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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第1章 神に見放された少女
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第九節

 その言葉と背中が消えると同時に、部屋は突如発火した。火矢である。

 油布が巻きついている矢尻が一斉に四方の窓から群がり、二人の周りの空気までをも焼き始めたのだ。

 もうもうと立ち込める煙に、すぐに閉塞感を感じ始めたヒロの隣で、しかし"銀"はあわてない。

「あいつほんとに警察なのかよ……」

 画面を通して熱も匂いも感じない彼は、数をこなしてきたゲームの世界で体験していない状態などない。先ほどまで同席していた家主に同情すらしつつ、冷静に出入り口に目をやった。まだ火の手は上がっていない。……というか、誘っているのだろう。

「ヒロ、たぶんここを出た瞬間に矢が飛んでくる。だからここをでたらまず右に飛んで」

「……はい」

「いくぞ!」

 ヒロの手を引く。出口まで三メートル。その距離を突っ切り、外の暗さに飲まれるのと同時に二人は横へ飛んだ。

 風を切る音がいくつか背中から聞こえてくる。それが家の出口に針山を作ったとき、彼らはすでにそのすぐ脇に転げて立ち上がっていた。

「ヒロ! 南はどっち!?」

「た……たぶんこっちです!!」

「じゃあそっちじゃないほう!!」

 ユンクの本隊とやらがどの程度の規模かは知らないが、敵は少ないに越したことはない。走り出す二人を追いかけて、矢が背中の壁を次々と粉砕していく。ただしそのいずれも彼らを貫くことはできなかった。

 と……ここまで、ビッツの思惑である。

 先ほども述べた通り、彼はこの報告をユンクに上げていないから、本隊が来るはずもない。が、その偽情報を流せば逃げる方向を操作できる。その先に伏兵を置けばよかった。

 先ほど少々触れたがビッツが率いているのは、自警団でも諜報部と呼ばれる情報収集を管轄する部署の者たちであり、普段は戦闘を担当していない。ユンクに無断で用いることのできる人数は自分の部下しかいないので仕方ないのだが、数は多くても戦闘のプロではない彼らを有用に使うためには、それなりの条件を用意してやる必要があった。

 その条件……"銀"たちが逃げている先には足場の悪い水田地帯がある。彼がたとえ腕に自信があっても、思うようには動けまい。

 ここに多くを潜ませ、二人が来れば弓で牽制をし、弱ったところを自分自身で止めを刺す……というのがビッツが描いているシナリオであった。

 地形に暗い"銀"はそんな計略などには気づかない。背中からつかず離れずで追い立てられるように降り注ぐ矢に操作されて、二人は暗い夜道を走った。


 しばらく時間がたって、二人は攻撃がやんでいることに気づく。逃げ切ったのだろうか。背中からびんびんと迫っていた殺気が、今は消えている。

 気づかなかったが、静寂の中に虫の声が響いていた。何という名前の虫だか知らないが、英治も聞いたことのある夏の夜に鳴いている虫だ。まぁヒロの肩丸出しの服装を見ても、そういった季節なのだろうから不思議ではないのだろうが、ゲームの中の季節など考えたこともない英治にとっては、なんとなく新鮮な発見だった。

 辺りはすでに市街ではない。一帯は畑だろうか。水田?……実際に何を造っているのかはよくわからないが、月が、湿り気を帯びた土を照らしている。ところどころに掘っ立て小屋のようなものが建てられているのも見える。

 "銀"たちはその水田地帯を横切ることになる。後ろにはかなりの数の追っ手がいることはわかっているわけだから、まさか引き返すわけにはいかなかった。

「でも、さっき言った川はこっちでいいと思います」

 ヒロは息を切らしながら、左右が泥の沼と化している間の、あぜ道のような土の道をついてくる。先ほどの疲労も充分取れてはいないだろうが、それでも絶対に"銀"から目を離そうとはしない。

「わたし……」

 歩調がゆっくりになった"銀"に、ポツリとヒロがつぶやいた。

「今日、死んじゃうかと思いました」

「あはは、大げさだな」

 確かにいくつか剣や矢はかすめた。そんな経験は現代社会では体験できない。でも実際ここにいるわけではない"銀"にとって死に対するリアリティはなく、彼女を取り巻く、動悸が止まらないほどの恐怖を理解してやることができない。

 だから"銀"は笑っているが、彼女の恐怖には根拠があった。

「銀さん、わたし言わなかったですけど……」

「ん?」

「実は……ほとんどのわたしが、死んでいます」

「え?」

 "銀"が思わず立ち止まる。ヒロもそれに倣い立ち止まると、言った。

「わたし、全部のわたしにつながってるっていいましたよね……?」

 ヒロの思考はオンライン上でつながっている。記憶もすべて蓄積されており、具体的な経緯まではその気になって引っ張り出してこないとわからないが、結果、自分が「死んだ」ことは知っている。

 ほとんどが、死んでいた。

 ヒロがチュートリアル的存在であることは、本人が認知したわけではないがすでに触れた。

 実はこの説明書の娘には、死へ続くシチュエーションが幾重にも用意されている。製作側からしてみれば「ゲームの掴みとしてお話を盛り上げるために死を利用されているキャラクター」でもあった。

 そんな理由だけで、時に物語では人が死ぬ。彼女は初めから、神々に見放されている。

「だからちょっと心配になりました。でも生きてて良かったです」

「……」

 "銀"は気がつけば、透き通るような笑みを浮かべた少女をまじまじと見つめていた。

 ヒロが今語った境遇を製作側が意図して強いているのなら、なぜ、その「生」に「なぜ」を問いかけるような性格を彼女に植え付けたのだろう。

 ヒロの悩みを知る現実世界のプレイヤーはネットを見る限りいないのだから、ゲームに絡むことは皆無なのだ。製作側にヒロを早々に死なせてしまう意図があるのなら、なおさら意味がわからない。

 ……とすれば、もしかしたら彼女の滑稽ともいえる「悩み」は製作者という名の"神"が意図しない、偶然の産物なのではないだろうか。

 彼女が本当に何らかの形で本当に"生きている"として……その深遠を、このゲームを作り出したプログラマーも、ここに参加している数多くのプレイヤーも、ゲーム内の登場人物たちも、誰一人理解しているものがいないとしたら……。

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