第十一節
「ぷっはぁぁーーーー!!」
王が消えたのと時を同じくして、ニフェルリングの、深海からの生還かと思うような、大きな呼吸が聞こえてきた。
「止まった……」
メルケルも隣で疲れ果てている。
どうやら「死ね」に関しては王の目が届くところでのみの効力らしい。その辺はゲームとしてバランスがされているようだった。
それはいい。むしろ様子が一番おかしいのはユキだ。
"銀"に対して、つっけんどんな態度をとる。喜怒哀楽で分類するとすれば明らかに怒っている。
こういう時のユキはわかりやすく、"銀"が何かを言うとそっぽを向き、だんだんと足音高らかに遠ざかって座って不機嫌の合図をする。苦笑いのニフェルリングがその背中に、
「どうしたんだよ」
「知らない! もうやだ!」
「えー、なにいきなりへそ曲げてるんだよ……」
ちなみに、ヒロと"銀"の会話をちゃんと聞いていたのはユキだけだった。
彼女は始めこそニールの腕にしがみついていたが、やがてメルケル一人で何とかなりそうな雰囲気になるとちゃっかりその手を離して"銀"と、彼に重なっているヒロを見ていたのである。
その表情が難しかったのは、ジェラシーもあっただろうが、それ以上に会話の内容が難解だったためだ。うまい表現が見当たらないが、まるでこの世界の会話ではない。
ただ、一つだけ理解できた言葉が……ヒロの死であった。"銀"は、確かに彼女へ死刑宣告をした。
ユキには理解ができない。本当は怒ってるんじゃない。いくつもの気持ちが交錯して、魔王に対してどういう表情を浮かべればいいのかがわからないのだ。
ヒロは明らかに魔王に会うことを心待ちにしていた。それを受け止めた魔王がどれほど彼女のことを大切に思っているかもわかった。
なのに。
ユキははっきりと聞いた。「ヒロを殺すことになる」と。「死を持ってくる」と。
……魔王という人物が、ユキには分からなくなった。
「よく分からないが……」
ニールが"銀"の元へ戻ってくる。
「あいつ、ああなると全然動かなくなるからしばらくそっとしておこう」
「なんかすまん」
意外に気を使うニフェルリングに"銀"もなんとなく謝ってしまう。
「で、どうすんだよ」
「行くよ」
行くしかない。どうせ自分自身は何度殺されても死なないのだ。
ガーゴイルというあのバケモノたちに敵わないとしても、相手が死ぬまで生き返ってチャレンジすればいい。実際、ゲームのボス戦というものはそういうものだ。それしかないと思った。
「分かった」
ニフェルリングに否やはない。ただし……ユキが置物のようになってしまっているのは何とかしなければならない。
「よし、メル」
ニールは名案とばかりに手を叩いたかと思うとメルケルの肩に手を添える。
「お前はユキを連れて帰れ。俺らは行くから」
「はぁ?」
この天才の願望に、ユキの駄々は邪魔でしかなかった。
槍の天才を生かすこれほどの機会があろうか。魔王に同行し、共に才能ギリギリの部分で戦いつくしたい。であればこそ、才能を授かった意味と言えよう。
彼はそれを、全力でもしとめきれなかった大型獣を見て感じた。つまりここにきて、生きる意味を、"銀"という男に見出していたのである。
一方メルケルはというと、この熱血漢は戦場にロマンを感じて、そこに自分の功を求める気持ちはあるにはあった。なので"銀"の言葉少なな決意に意気を感じて血が滾っているところはある。
が、同時に今回はあくまでユキを保護するためにやってきた。ユキが「帰らない」というから黙ってついてきたが、帰るというなら連れて帰りたい。
ユキは、というと……。
「魔王さま」
痺れを切らしたように、彼女は"銀"を呼んだ。
彼女にしてみればこの格好をして、ずっと彼を待っていた。自分がどういう表情をしていいのかわからないのだから、向こうからアクションをしてくれないと困る。から、目立つようにすねた。実際彼女の頭はそんなに計算高くないからそれを意図して行ったわけではないが、そういうことを無意識に行ってしまう、さながら子供のようなところが彼女のかわいらしさでもあった。
ともあれ……。
「魔王さま。説明してよ」
「説明?」
さすがに会話がしづらいので"銀"はユキの背中に触れられる場所に立った。
「俺の世界って何? 現実世界って何?」
彼女は膝を立てて座ったままその膝に顔をうずめたまま、まくし立てる。
「ヒロを……なんで殺そうとしてるの!? 説明してよ! じゃないとあたし、絶対ここから動かない!!」
「え? 殺すって?」
後ろでニールたちがざわつき始めるが、"銀"は黙っている。
彼の頭にはユンクの声が響いていた。
「説明してよ……どうして? 魔王さまは本当に人間じゃないの?」
質問が多岐にわたってもう何を言っているかわからなくなったユキに、"魔王"は言った。
「悪いけど、何も答えられない」
「あたし、このままだと魔王さまを勘違いする。魔王さまはそんな人じゃないと思うのに!」
「おい、ヒロを殺すってどういうことだよ!」
メルケルも後ろでがなりだす。が"銀"にとってはめんどくさいだけのシロモノだ。
「今ユキと話してんだよ。黙ってろ」
「ざけんな!!」
激高したメルケルが大きく右手を振りかぶった。それはさすがに"銀"にも意外で、この超反応の男も成すすべなくその拳を頬で受けて吹っ飛ぶ。恐るべき力。ゆうに二メートルは飛んだ。痛みはないが、視界に大きく映った空にポツリとメルケルだけが見える状況が衝撃的で、その動揺が余計な言葉となって現れる。
「お前らのためでもあるんだよ! ほんとのこと知ればお前らもヒロみたいに苦しむかもしれないだろ!」
「ほんとのこと?……どういうこと……?」
ユキが、すねるのも忘れて顔を上げる。"銀"は立ち上がりもせずにむっくりと起き上がるとふてくされたようにいった。
「何も話せない。お前らもう帰れよ。俺一人で行くから」
「魔王さま……」
「ユキ、悪いけど俺、やっぱりヒロを見捨てることはできない。あいつを愛してやりたい。ゴメンな……」
ユキは唇を強くかみ締めた。憧れた人を前にして顔がゆがんで醜くなっているのがわかるが、それでも少しでも力を緩めれば涙が溢れ出すことは間違いない。
だがそれは先ほどブレにブレた"銀"という男が、自分の描いていたままの姿に戻る瞬間でもあった。
「わかんない! わかんないよ!! 愛するのはいいよ。あたしなんてかなわないって思ったから!! だけど、何でそれなら……殺すなんて……」
「魔王だからじゃないか? 人間の心なんて持ってないんだよ」
そう言うしかない。この無邪気な娘を第二のヒロにしてはいけない。
……その隣でメルケルが「え?」などと驚きながらユキや"銀"を交互に見ていたりしているが、場のすべてがそれを無視した。
「お前さ」
代わりに今まで黙ってたニールが口を開く。
「今からあのバケモン二匹と王のところに殴りこむんだろ?」
「そうだな……」
「なら俺は戦力としては貴重じゃねーのか? お前一人でヒロんとこまでたどり着けると思ってんのかよ?」
確かにその通りではある。
「俺だけ連れてけよ。こいつら帰していいから」
「お前って奴は……」
メルケルがうなだれる。
「なんでいつもそう自分本位なんだよ」
「ついてきてくれるんなら感謝はするよ」
「じゃあ決まり。お前ら帰れ」
あくまで無視されるメルケル。"銀"はニールが差し伸べた手を頼りに立ち上がった。
「あたしは!?」
ユキが、一際大声を上げる。
「あたしはもういいの!? 必要ないの!?」
そんな彼女に、ばつの悪そうな表情を浮かべた"銀"が目もあわせずにぼそぼそとつぶやいた。
「俺が今からやること、わかってるだろ?」
というか、ユキの心の動きがまったくわからない。今の今、自分を見損なったんじゃないのか。
「俺がやろうとしてることはヒロを……」
「そんなこといってるんじゃなくて!!」
さびしい。このタンポポの妖精は今からぽっかりと空こうとしている心の穴の埋め方がみつからない。
「ユキ」という孤独に育った人物は、他人の心に住み着くことで自分のアイデンティティを保っている。それはヒロがどうとかではなく、自分がもう必要ないと思われることがなによりもつらいのだ。
もちろんそんなのは無意識だが、もちまえの人懐っこさは人の心に生き続けたい彼女の心の現われであった。
「あたしは、もういらない!?」
だから、意味不明にも、彼女は今、必死で叫んでしまっている。
そして、このあまり求められたことのない"銀"という男は、こういう心の動きに弱かった。
「そんなことはないけど……」
「じゃあさ、お願いしてよ! 一緒にいこぅ? って」
それに、彼女にとっては魔王と会っての数週間がとても楽しい。
人生で最も充実した時間であるといっても過言ではなかった。ニールといても楽しい。メルケルといても楽しかったが、この、別に何をしてくれるわけでも、特別笑えることを言ってくれるわけでもない魔王との時間は特別だった。
もしこの結末が悲しいものであったとしても、彼の隣を離れたくない。
「お願いだよ……あたしのこと、必要だって言ってよ……」
「……」
「あたし、一生懸命がんばるからさ……死んでもいいからさ……」
ニフェルリングも呆気にとられている。こんなに感情をあらわにしたユキを見たことはない。先ほどまで彼女を帰らせようと努めた彼も、
「わかった。一緒に来てほしい」
と言った"銀"を否定することができなかった。なんとなくその様がやるせなく、ニールはとりあえず冗談の一つでも言いたくなる。
「というわけだ。じゃあな、メルケル」
「ええ!! 俺は!?」
「ん?」
「俺は必要ないのかっての!!」
「うん、いらない」
「いやお前! お願いしろよ俺に!!」
「なにをだよ、早く帰れって?」
「ちげーーーーよ馬鹿ぁ!! 結構強えだろ俺も!」
「じゃあいいよ。勝手に行けよ」
「行け、じゃなくて、来い、だろーが!」
「別々に行くことを来いとは言わねーだろ」
「俺のこと必要って言えーーー!!」
……そのやりとりに思わず微笑んでしまう"銀"。展開によってはきっと、彼らと楽しいだけの旅をすることもできたのだろう。
自分がページをめくった物語はそうではなかったが、彼らがいる限り、自分はこの物語を、結末まで走りきることができるに違いない。
英治は、突き放そうとした先ほどを忘れて、そんなことを思っている。
なににせよヒロは近い。
彼の"名も無き物語"は、佳境を迎えようとしていた。




