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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第5章 戦場
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第八節

「戦い方が分からない」と言いつつ、ニフェルリングもメルケルもたいした働きをする。ユキはその後攻撃こそしなかったものの、何物も通さない盾のような力がかなりの活躍を見せ、三人を致命打から幾度も救った。

 やがてガーゴイルはここでの劣勢を確信したのであろう。実際、木々の多いこの場所では大型獣の動きは相当制限される。いくらか傷ついた身体を引きずって飛翔すると、一度弧を描いて西の空に消えていった。

「うわぁ……やっと帰ったーー」

 崩れるようにして腰を下ろすニフェルリング。ところどころ傷ついているが目立った致命打はなさそうだ。

「ふん、それくらいでへたばるなんざ鍛錬が足りないな」

 その隣で剣を杖に虚勢を張っているメルケル。こちらは鎖帷子が切り裂かれ、以後使い物になりそうにない。

「俺はお前の倍は動いてんだよ」

 言い捨てて、ニールは振り返った。

「さてユキ」

「はぁぃ……」

 怒られるとわかっている犬のような表情を浮かべるユキ。

 "銀"はそのやり取りを尻目にまた走り出した。目ざとく反応したユキがニールたちから目を離す。

「あ!! 待って!!!」

「いいよお前ら疲れてんだろ!? そこで休みながら説教でもされてて!」

「帰ってよ!? ゼッタイだよ!?」

 彼はそれに答えることもなく、木々の茂る緑の野へ消えていった。

「さてユキ」

 話の腰を折られてしばらく黙ってたニールだったが、とんとんと槍の尻で地面を叩いて注意を引くと、もう一度このおてんばの名前を呼ぶ。

「はぁぃ……」

「なんだ? あのテレパスは」

「ゴメンナサイ……」

「なんて言ったっけ?」

「あたし、魔王さまとチャックビルに行くね。がんばる!……だったかナァ……」

「よく覚えてていい子だね」

 まるで子供を説教する親のようだが、親がいないようなものであるユキは、たまにあるこの時間が嫌いじゃない。

「でも、詳しい場所も知らさずに一方的に通話切ったら心配するね?」

「はぃ……」

「メルなんて発狂してたぞ。よりによってチャックビル!! ってな」

「メルごめんなさい」

「ああいいよ。よかったよ。無事で」

 でも魔王は一回殺すから、と半分真顔で付け加えた。

「こいつさ、とにかくチャックビルに行こうってうるさくて、何はともあれ来たんだよ」

 ニールもこの地区の悪名を知りながら、しかしユキを放っておけずに了承した。

 しかし、いざ踏み込めば、陰気な雰囲気は微塵もなく、武装を見咎められる様子もなく、人にユキの姿を見ていないかを聞きながら、半分旅行気分でウロウロと徘徊できてしまった。

 だが肝心のユキは手がかりがつかめない。"銀"が隠していたが故だが、そのため、彼らも自然、チャックビルの奥地へ進んでいかざるをえなかったわけだ。

 そして今日、

「なんとメルがユキの悲鳴を聞いたって言うんだよ」

 ガーゴイルがユキに照準を合わせた時の悲鳴なのだろうが、その時彼ら二人はまだ数キロ離れたところにいた。よほど注意をしていないと聞こえないだろう声を、メルケルが拾ったというのは、

「ま、愛の力だな」

 愛の力、らしい。が、ユキは"銀"に憧れているため、つるりと聞き流す。

「というわけだ。ユキ」

「はぃゴメンナサイ。反省します……」

 小さくなってみせるこの娘のしぐさがかわいらしい。この兄妹ごっこが、二人は小さいころから好きだった。

「さ、帰れ」

「え? 帰る?」

「うん」

 その言葉をしばらく考え込んでみる。そのうち、思考がついてきたか、あっけらかんと言い放つ。

「あたし、帰らないよ?」

「は?」

「え、何で帰るの?」

「ユ・キ、ふざけてるのか? お前は」

「え? え? なんで?」

「ここ、どこだかわかってる?」

「あー」

 ユキにしてみれば、チャックビル入りから数週間がたっている。

「大丈夫だよ。魔王さまが何とかしてくれるから」

「その「魔王さま」と一緒にいたからあんな怪物と戦う羽目になったんだろ!」

 ユキの目が幾分まじめになる。

「やだよ。あたし帰らないよ」

「な……」

 こういうシチュエーションでユキが反抗したのは初めてだった。ニールは一瞬呆気にとられるが、

「だってなお前……」

 何かを言いかけて、一瞬メルケルを見る。しばらく考えた末に彼女をメルケルから遠ざけた。

「おぃ、なんだよ……」

 蚊帳の外のメルケルがちょっとなさけない声を上げるがニールは声をひそめて言った。

「魔王とお前、今付き合ってるのか?」

 実は先日のユキの告白について、ニールには事前に相談があった。その時は「気持ちは伝えたほうが後悔はない」などといってしまったが、まさかこのおてんこ娘がその後ふらふらと後を追ってしまうとまでは考えてもみなかった。

 考えられることはこの二人がうまくいってしまったということ。

「ううん、まだ答え聞いてない」

「くぁ……」

 ニールの体中から力が抜ける。こいつは飴玉で誘拐犯についていってしまう子供か?

 あいつもあいつだ。なぜハッキリせずにこんな危険なところまで連れてきた。

「だから!……まだ可能性があるの。がんばらなきゃ! でしょ? 応援してね」

「何か違う……」

「とにかく帰らないから」

「……」

 彼は黙って一度ユキの元から離れメルケルの方へ向かう。今度は男二人がひそひそ話となった。

「メル、どう思う? あいつ帰らないとか言うんだけど」

「ま、俺たちがついていけばいいんじゃないか?」

 再び脱力のニール。「こいつも馬鹿だ」とばかりに、うんざりした声を上げる。

「お前な、さっきみたいなバケモンがわんさといたらどーするんだよ」

「勝てばいい」

「勝てなかったろ」

「生きてれば勝ちだ」

「すげえ理論だな」

「お前っていっつも慎重だよな。だから彼女できねえんじゃねーの?」

「お前だってできてねーだろ」

「俺はほら、ユキと秒読みじゃんか」

「あぁ……」

 こんな男と、あんな女を連れて魔王と行動を共にするのはあまりに危険じゃないだろうか。

 なまじ面倒見のいいニールは、煩わせられる未来を考えるのがいやだった。

「ともかくだ。一回帰らせよう」

「やだよ。それに引きずって帰らされたって、あたしまたくるから」

 会話をいつの間にか耳が触れられるような距離で聞いていたユキがぴしゃりといさめる。かと思うとその匂いはふわり、風のように浮き上がった。

「もういい? あたし魔王さま追いたい」

「あ! 待て!」

 会議は急に終わり、いきなり走り始めたユキの後を、二人の男は追うしかない。


 "銀"は、ヒロがいたであろう場所にたたずんでいた。

 うつぶせに倒れた血だらけの死体がある。ユキは顔をしかめて以後そちらは見ないよう努力する。

 草が踏み固められている天然のクッションと、壁代わりの背の高い草がいくつかの区画を造っており、その内の一つには木が生えている部屋があった。

 しかし大事なのは木ではない。

 根元に、明らかに不自然なロープが巻きつけてある。その前に、"銀"は立っていた。

「間に合わなかった気がする……ユキ、このロープとか木とかに念が残ってない?」

「待ってね」

 ユキはしゃがむ……というか四つんばいのような格好になると木におでこを当てた。

 その裏で"銀"の肩に、ニフェルリングが手を掛けた。

「おい、お前からもユキに帰るように言ってくれよ」

「ちょっと! 魔王さまにヘンなこと吹き込まないで!」

 セラの最中なのに声が飛んでくる。

「お前が言えば言うこと聞くだろ?」

「いや、聞かない」

 一瞬だけ思い出すようなしぐさをした"銀"だったが、帰れといって帰るなら、ユキはとっくに自分の隣にいないはずであった。

「なぁ……」

 言いかけて、またさっきのようにメルケルに目をやり、「ちょっと来い」と"銀"の肩を押して彼から遠ざける。

「お前、さっきからなんで俺見てからひそひそ話するんだよ……」

「なぁ、魔王さんよ。実際ユキのこと、どう思ってるんだよ」

「は?」

「お前が好きだってんなら俺もちょっとは考えるよ。だけど好きじゃないんなら、はっきり言ってやってくれよ」

 その言葉に、さすがに"銀"が吹き出す。

「お前……あいつのなんなんだよ……」

「どうでもいいよそんなことは。それより、好きでもないならあいつをこれ以上危ない目に合わせてほしくない」

「そうか……」

 "銀"が腑に落ちた顔をする。

「お前が好きなのか」

「ちげーよ馬鹿」

「お前が告ってみたらどうだよ。それでユキが揺れたら帰るかもしれないんじゃないか?」

「はぁ? 無理に決まってんだろ」

 ユキを相手にそんな恥ずかしいことは演技でもしたくない。

「魔王さま」

「うわぁ!!」

 ユキはいつの間にか立ち上がっていた。その顔がひそひそ話の目の前にいてニールが思わず大声を上げる。

「分かったよ魔王さま。間違いないね。この寝巻きと同じ人の念だよ」

「そっか。やっぱり間に合わなかったんだな……」

 ここでヒロがどんな仕打ちを受けたのかも、彼は知る由もなかった。

「どこに行ったかわかる?」

「うん、あっち」

 ユキの指は、ずっと遠くへ見える岩山のほうを指している。いままで歩いてきた方を手前というのなら、そちらは奥であった。そのまま、やや言うのをためらいつつ、

「それもね、近い」

「え?」

「急げば十分かからないくらいのとこ」

「早く言え!!」

 はじかれたように走り出す"銀"。

「ホラ……だって急に走り出すんだもん」

 彼女の疲れた身体が、それでもあの超人を追おうとする。男たちがそれに続いた。

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