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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第4章 王のいる世界
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第六節

 すぐそこ……と言っていたが、実際は結構な道のりであった。

 だがそんな距離も溶けるほどに、"銀"はいろいろな思いを煮えたぎらせている。怒り……なのだろうか。恨み……いや……。

 よくはわからないが、すべての感情をぶつけ、それを食い散らかすことによって気を静める存在があるとしたら、それはあの男だけだ。

 ……月に照らされた広場で、一方の男も無機質な土の地面を睨みつけながら同じ事を考えていた。

 今から来るであろう男に対するこの感情は"怒り"なのだろうか。確かに怒りもあるだろう。が、そんな次元を突き抜けた、もっと大きな感情がある。あの男が生きていたのなら改めて自分自身が片をつけなければならないという衝動が、頭に渦巻いて離れない。

 ラシャ地の黒い軍装に身を固めるこの男の姿は気配も感じないほどに暗いのに、存在感はまるで広場全体の空気を重く沈みこませているようだ。 

 広場にたたずむ影が、やがて二つになる。

 距離は五メートル。鞘にしまった直剣を地面に突きたてて待っていたユンクの、見る者を圧倒するような強い眼光と、赤黒く汚れたままになった抜き身の長剣を無造作に携えてきた"銀"の眼光が、その中心で静かにぶつかり合う。

 そのまましばらくの時間がすぎた。虫の声一つしない。

「ヒロは……」

 その空間に、ユンクの静かな声がする。

「ヴェヴェルという学者の自宅で療養中だ。用事が済んだら迷わないようには手配してやる」

「へぇ……やけに親切じゃん」

「どうせ貴様はここで死ぬ」

「俺は死なないんだなこれが……」

 "銀"の限りなく挑発的な目が光る。一方この荒唐無稽な発言をユンクは笑わなかった。

「やはりそうか……」

 この男には確かに致命打をあびせている。今日、今、この男がここに無傷で立っていること自体、不死といわれなければ説明がつかなかった。

「だがそれは不思議だな」

「なにが?」

「わたしたちは貴様を殺すことを最大の目的として生きるよう仕向けられている。なのにそれが死なないというのはどう説明をつければいい?」

「さぁな。どうする? それでも戦るんだろ?」

「無論」

「そうこなくっちゃ」

 重そうな長剣を腰のところまで持ち上げる"銀"。だが、まだユンクは動かない。

「貴様が不死なら一つ約束してほしいことがある」

「なんだよ」

「わたしが貴様を屈服させたら、もう二度とヒロに近づくな」

「嫌だといったら?」

「貴様の手足をもいで永遠に監禁するだけだ」

 この男は今、燃え盛る炎ですら凍りつくような冷たく鋭い視線を"銀"に向けている。ヒロのためならどのような鬼にもなる……その目が語っていた。

 しかし、"銀"の目も強い。

「俺はヒロを助けたいと思ってこの世界に来てる。近づかないわけにいかないんだよ」

「それが思いあがりだ。貴様が来てからヒロは変わった」

「わかってないな……」

「わかってないのは貴様のほうだ!」

 周囲を取り巻く空気が、凛として畏まる。そして色味の失われた次の言葉に、"銀"は動揺した。

「わたしたちは作られた人間だ」

「お前、知ってたのか」

「ヒロがなにを悩んでいるか……わたしはある時理解ができた。だが、わたしたちは生きてなどいない。貴様達挑戦者が来るたびに暗殺することを仕向けられただけのおもちゃだ。そうなんだろう?」

「……」

「その事実は変えられん。貴様がヒロになにを吹き込んでも、別の挑戦者が現れればわたしたちはまた同じことを繰り返すしかない。わたしたちが正気を保ち、それを地獄の底まで続けるにはどうしたらいいと思う……?」

「……」

「何も知らずに生きることだ」

 そんな残酷な事実を知らず、知っても知らないことにしなければとてもではないが未来永劫そんなことを続けていくことはできない。

 後に語るが、ユンクはヒロほど詳しいことは知らない。「何も知らずに生きていく」ような段階は当に過ぎ去った深遠に、ヒロが陥っていようとはユンクは思ってもみなかったが、それを差し引いても「これ以上、何も知らずに生きることができれば、今以上に傷つくことはない」と、考えていた。

「貴様をヒロに近づけたくない理由が三つある……」

 周りに、ゆらりと陽炎が立ち上ったような錯覚がした。地面に突き立てられていた剣が、彼の左手に持ち上げられて宙に浮き、眠りから目覚めたように殺気を帯びる。

「一つはヒロが貴様のことを愛し始めたことだ」

 その剣の刃が鞘を走りはじめ、月に照らされた鋼の凶器が"銀"の前で、徐々に伸びてゆく。

「もう一つはヒロが愛する貴様が、世界中に狙われている者だということ」

 そして剣が鞘を完全に離れたとき、ユンクはその鞘を当てもないほうへ放り投げた。

「もう一つは?」

 その殺気を正面に受けながら、"銀"はそれを聞かずには戦いは始められないと思った。

「そんな貴様がヒロに余計なことを吹き込もうとしていることだ!!」

 言い終わるや否や、ユンクの姿が"銀"の視線の先から消える。そして次の瞬間、剣撃と共に、斜め後ろから落ちてきた。

 "銀"もそれを十分に警戒していた。ただ、見えないところに現れたので剣の反応はできず、前方に前回り受身を取るように転がって距離をとる。そのまま超人的な奥足の力で戻る方向へ踏み込むと目いっぱいに腕を伸ばし突きにかかった。

 それは何もないところを貫いたが、"銀"は態を半身にかわしたユンクを目の端に捉えていた。いち早く反応した血染めの剣がまるで追尾されたミサイルのようにユンクの方向へ吸い込まれる。

 鋼同士が激しくぶつかり合う音。皮一枚の距離でそれを受け止めた剣の鎬が翻ってやや左斜め下から胴を払いにいく。うなりを上げたユンクの刃がすでに第三撃目のモーションに入っていた"銀"の斬り上げの剣と根元でぶつかり火花を散らした。

「くっ……」

 どちらの剣もそれぞれの胴の寸前で止まっている。よく言われる「つばぜり合い」とは逆の×を描いて、押し切って傷つけようとする二人の両腕の筋肉がたくましくもりあがった。

「貴様のやろうとしていることはヒロの傷口に塩をすり込むようなものだ!」

 奥歯をかみ締めたまま、力が入りすぎてやや震えた声をあげるユンク。

「わっかんねえだろうがよ! あの子にとって希望かもしれないだろ!」

「希望などない!!」

 ユンクは怒号と共に奥足になっている左足を軸にして反時計回りに身体を回した。そのまま左片手に持ち替えた長剣で今度は左胴を払いに行く。その様はまるで真上から見ると剣が三百六十度の円を描いたような軌道だ。

 対する"銀"は力を込めすぎて勢い余って右に流れる体を立て直しながらやや後方へ飛び、その刃が通り過ぎるのを見送る。

「ヒロに「お前は生きている」とでもいうつもりか」

 ユンクの剣尖が下段に下がれば、構えは自然暗くなった。それがまるで今までの華々しく咲いた火花をかき消しているようで、"銀"も容易に踏み込まない。

「あいつがもしその気になったとして、貴様はあいつに広がっていく夢に応えられるのか?」

「夢……?」

「生きている人間なら貴様と同じことができるはずだ。それを認めたことであいつの欲求は限りなく広がっていくだろう。……その時、結局何も変わらない自分に気付く。貴様の"希望"とやらは、それがどれだけ残酷なことか、考えた挙句の結論か?」

「……」

「もてぬ希望など、もたせないほうがいいのだ」

「うるせぇ!!」

 "銀"が大地を蹴る。下段のユンクはそのまま身をかがめて制空権に入ると同時に足を斬りにいったが、"銀"はまた超人的な反応でこれを飛んでかわすと、振りかぶった刃を一気に振り下ろした。ユンクの姿が消える。

「どうせ後ろだろ!」

 今度は"銀"のほうが弧を描くように身体を回して後方を薙いだ。

「!!」

 ユンクの眼がカッと見開かれる。反射的に後ろに飛んだが少しだけ間に合わなかった。剣尖が腹を薄く切り裂き、血しぶきが舞う。

 そしてまだ態勢が崩れているこの剣士に、血で艶の消えた刃が立て続けに襲い掛かる。ユンクはその一つ目を防ぎ、二つ目で膝を崩して転がって、三つ目は再び姿を消した。

 現れたところは"銀"からみて斜め前、一足では届かないやや遠い距離だ。

 その影を、"銀"は睨みつけた。

「お前よ、ヒロの本当に幸せそうな顔、見たことあんのかよ」

 答えを待たずに一気に間合いを詰めた"銀"の攻撃が、また三連撃となってユンクを襲う。

「ヒロの本当に悲しそうな顔を見たことがあんのか!」

 空振りに終わった剣を収めつつ、なおも斬りかかった。

「俺はあいつを喜ばせてやりたいだけだ!」

 しかしその一撃は刷り上げられて、開いた胴を薄く斬られた。

「貴様はそれでいい!」

 唐突に左斜め後方に現れたユンクの一撃が、ギリギリで右に上半身を倒して剣の壁を作った"銀"の数センチ先で爆ぜる。

「貴様はいつかこの世界から消える男だろう!?」

 声のほうへ"銀"が振り返った時にはすでにユンクの姿はない。

 左を向いた銀の死角、右側の肩の先にいた。

 もはや"銀"は目で追えてない。よくわからないが、とにかくその殺気から逃れるために前に転がった。と、今の今腰があったところを横向きにユンクの刃が通り過ぎる。

「つかの間の喜びとやらを手に入れて、その後あいつはどうなる!?」

 そのまま飛び上がるように起き上がった"銀"が再び強く踏み込み、身体をつんのめるようにして男の首筋を狙った。

 それも空しい。"銀"はその後、ほぼ同時に頭上から現れた彼の兜割りを、再び地面を転がって避けている。

「くっ……」

 跳ね起きる。その背中を、ユンクの袈裟斬りが襲っていた。

「!!」

 ピシリと音を立てるかのように"銀"の背中に斜め向きの赤い線が入る。

 だが、"銀"はそれをものともせずに右足を真後ろに踏み込んで、剣を斜め上に薙ぎにいった。

「ぐっ!!」

 飛びのくユンク。押さえる胸からじわりと血がにじむが、それを跳ね除けるかのようにこの男は叫ぶ。

「貴様に、ヒロの自我を完全に目覚めさせる責任が取れるのか!!」

 荒い息に混ざる声にのしかかっている感情が、まるで魂に直接響くかの如き重さで、英治の脳を貫いてゆく。

 ~~~~貴様は、自我を背負ったままこれから幾度繰り返されるかわからない、この『名も無き物語』の業苦の連鎖を味わうことになるヒロの……その手をとって、この世界から連れ出してくれるとでも言うのか……!~~~~

 それは……まるでこの物語を通り過ぎていったすべてのユーザーに対する怨讐の念のようであり……英治には、この時のユンクの表情が、妙にヒロと重なって見えた。


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