第五節
それから半月が経過した。
ヒロは忽然と姿を消してしまったかのように、手がかりすらつかめない。あるいは自警団の誰かを捕まえることができれば進展もあるのかもしれないが、それすらかなわず、徒労の毎日を過ごしている。
「いちおね、あたしが知ってる範囲全員には特徴言ってきたよ」
学校が再開しないために時間の余る高校生たちが、ヒロ探しに手を尽くしてくれている。特にユキの人脈の広さとセラ(魔法)の存在が心強く、おかげで放射状に伸びる探査網は確実にその範囲を広げてはいた。彼女がこめかみに左右それぞれ人差し指と中指をあてるだけで、ある程度の距離の人物と会話することができるのも、拡散に一役買っている。
加えて、ユキは結局、あの血だらけの長剣をおでこにあてることもしてくれていた。さすがに血と脂に汚れた刃をあてる時には嫌な顔をしたが、それでも本人が申し出たことであった。
大量の念が流れ込んだために、吐き気をもよおしたようで、真っ青になって胸を押さえていたが、それでもヒロの消息はつかめない。
"銀"自身もニールの家を拠点にして聞いてまわったが、その後"近衛兵"に襲われて沈黙している。
「お前は重罪人なんだからしばらくおとなしくしてろよ」
先日斬った、三人のスラム民に対する報復である。「追われる者」でなくても狙われてしまわれているわけだが、彼への追跡が執拗になると手伝っている学生達が動きづらいとのことで、ニールの自宅に押し込められた。
ということでヒロの探索は現在、ニフェルリング、ユキ、に加えて、二人によく関わるメルケルが行っている。
魔王魔王と言っていたこのブレイズの男が素直に協力体制に加わっているのが少々不思議にも思えるが、これが現在の「追われる者」への象徴的な態度であった。満腹時で食欲が満たされている状態……と言うべきか。ユキに促されるまま、憑き物が落ちたように右に左に飛び回ってくれている。
"銀"はニールの部屋の窓から夜空を眺めているしかなかった。
「ヒロ……」
静かな風に煽られ真っ白く光る月を眺めながら、彼女のどことなく儚い微笑みを思い出している。
あれは確かニフェルリングとの闘いをやり過ごした後、さまよってチャックビルに向かってしまう間に、ヒロが夜空を見上げて何かを指差した時だ。
「銀さん、あの一番大きく見える星は銀さんの世界にもあるんですか?」
その白くて細い人差し指の先をたどれば、そこには燦然と輝く、地球にあるものよりも幾分明るい月がある。
「あぁ、月ね」
「月っていうんですね」
「こっちじゃなんていうの?」
「ないです」
「名前ないの?」
「はい」
「じゃあ、月の話をするときはどうしてるの?」
「しないです」
「しない……?」
「あんなに大きくてきれいな星なのに、誰も話題に出したことないなんて、フシギですよね」
「まーな」
実際、話題にはしないだろう。シナリオに絡んでいれば別だが、あんなものはゲームの中ではオブジェでしかない。そもそも"銀"はヒロが指をさすまで、月が出ていることにすら気付かなかった。
「でもねわたし、あの星がある時はこんなことができるんですよ」
言いながらヒロは続けて二,三、意味不明の言葉をつぶやいた。
すると、一瞬ヒロの周辺を光を発する粒子が取り囲み、そのすべてが彼女に吸収されて、全身が淡く発光し始める。
「おお……」
"銀"は思わず息を呑んだ。瞬きも惜しまれるほどに美しい。
大理石の彫刻のように滑らかな四肢が光を纏ってなおさら透き通り、とてもこの世のものとは思えない清白さを宿す。ヒロであることを知らなければ、女神が降臨したものだと見紛うだろう。
「役に立ったことはないんですけどね」
いたずらっぽく微笑むヒロから、光がつむじを巻いて消える。"銀"も我に返ったが、少女を前に心がさわがしい。
「でも……わたしにはあの星は大事なんです。月っていうんですね。うれしい」
「他の星は知ってる?」
だから、"たかが"月で喜ぶヒロをもっと喜ばせたくなった。
「他の星……?」
「例えば、あっちの一番光ってる星、あれは金星」
「え、ひょっとして星には全部名前が……?」
「全部かはわからないけど結構ついてるよ」
「じゃああれは?」
「あれ?」
指差した青い星。
「た……たぶんシリウス」
「シリウス!」
とても喜んでいるヒロ。
「じゃああれは!?」
「まてまて」
言い出したのは"銀"のほうだが、実際天体に詳しいわけではない。
「今度ちゃんと調べとく……」
「はい!」
……それと、同じ空を今、"銀"は一人で眺めている。あの後結局天体を調べてないから、ヒロが最後に指差した星の名前も、その前に聞かれたあの青い星がシリウスかどうかも実際はわからない。
が、もう一度ヒロと、この空が見たい。ヒロを一人の人間として認めた自分で、彼女の隣に立って星を見たかった。
「魔王君」
不意に声がかかる。ニールの母親だ。すぐ後ろにいるのに気付かないほど、星に夢中になっていたようだ。
「今ねぇ、キミに伝言をっていう人が来たよ」
「伝言……?」
「うん。そんな人はいないって言ったんだけど、いなくてもいいから伝えてくれって」
明らかにここにいることがわかっている者の所業らしい。誰だろう。チャックビルの一派ならそんなまだるっこしいことはすまい。
「なんだって?」
「メリルの広場って知ってる?」
「知らない」
「すぐそこなんだけど、そこで待ってるって」
「誰なんだ……」
「ヒロの婚約者といえばわかる……とか」
「あいつか!!」
途端にフラッシュバックを始める"銀"の頭脳。その記憶は激震となって彼の脳裏を荒らした。たぎるものがおさえられない。
"銀"は母親の前を無言で通り過ぎて壁の端に立て掛けた剣の柄を握ると、
「広場の場所を……」
「うん」
彼女の説明は簡潔で、おかげで迷うこともなさそうだった。
「お世話になりました」
"銀"は最後に丁寧語で会釈をした。
「あの子達に会わなくてもいいの?」
雰囲気の異様さを感じ取ったのだろう。母親はこれが別れになると思った。
「もともと迷惑になると思ってたんで……」
「そう?」
彼女がとぼけたような声をあげる。うんともそんなことないとも言わなかったこの母親はいい女だと"銀"は思った。




