第三節
英治は一度、この世界から離れた。この、箱の中の奇妙な「現実」とどう向き合ったらいいのか、ちょっと気持ちの整理をつけたい。
まずインターネットの批評を開いてみることにした。検索をかけると何件もの批評が引っかかる。
「すっげーリアル」「ユキちゃんかわいい」「紙飛行機がつくれた」
などという当たり障りのないものから、中には「~~を襲った」とか「火をつけてみた」など、犯罪じみたコメントまで踊っている。
が、英治が知りたいのは自由度の高さや彼らの暴力性ではない。
(わたしは生きてる? 生きてることを認めろ?)
それがゲームのテーマに絡んだことであれば納得できる。当然それに言及されたつぶやきもあることだろう。……と、期待というか、すがりにきたわけだが、いくら探しても、英治の求める話題に触れている文字はない。やたら「死んだ」という文字は目立つけども、彼女が感情をあらわに何かを主張したようなことを言及している媒体はなかった。
一般的には、彼女はほとんど置物のような扱われ方をされている。英治がこぼした通り、『チュートリアルの娘』として生き、あるところで死ぬ役回りなのだろう。
(馬鹿にしやがって……)
一通りインターネットを巡回してそう結論付けた彼に沸いた感情は、軽い怒りだった。
「おかえりなさい」
ヒロは“銀”の気配をすぐに感じて、振り返ると微笑んでみせた。
先ほどゲームを止めた時と同じ光景が広がっている。バスケットに重ねられたパンと、湯気の上がるスープ。そして"銀"は、変わらず切り裂かれたベッドの上に座っていた。
「ただいま」
ただし、挨拶した"銀"の頭脳は、"先ほど"とは違う。プログラマーの気まぐれに踊らされて腹を立てている彼が、そこにいる。
「なぁ」
音もなく立ち上がった彼は、洗い物をしていたヒロの背中に立つ。彼女は振り向き、背の高い彼の顔を見上げていくつか瞬きをした。
「はい?」
「このゲームってどんなことでもできるんだよな?」
彼女の髪に触れ、水をすくうようにその一部を手のひらに載せてみる。ヒロの目がその手と"銀"の顔を行き来しながら、彼の雰囲気の異様さを感じて硬くなった。
「はぃ、たぶん……人ができることはできると思います」
「アンタはどこまでできるか教えてくれるチュートリアルなんだろ?」
「!!」
その眉間が悔しそうに歪む。が、"銀"はその表情を感じる間もなく彼女を、ベッドのほうに突き飛ばした。
「ひゃ! なにを!」
何かを言いかけたが、その時にはすでに自分の上にのしかかって、両腕を押さえつけている“銀”の顔が鼻先に迫っていた。
「やだ!」
顔を背けて必死に抵抗するが力で及ぶはずもない。あっという間に腰の帯は解かれて、乱暴にめくられたワンピースから、見せるつもりもない白い肌と下着が覗く。
「まって、まって!!!」
ヒロは抵抗をやめず、太もものあらわになった足を激しくバタつかせながら必死に叫んだ。
「どうして!? わたしが作り物だから!?」
「うるさい!」
迷いを振り払うように"銀"も叫び、彼女の頭を両手で固定して強引に唇と唇を重ねた。数瞬、それで叫び声がうめきに変わる。
そしてようやくそれから開放されると、彼女はまるで深海にもぐっていたかのように荒く息をし、それが破綻して何度か咳き込み、苦しそうにもだえた。
「やめ……て……」
強引に身体をまさぐられる中、消え入るような声と力で必死に抵抗していたヒロだったが、身体を覆っている布がその役目を果たさなくなった時、彼女は彼の乱暴をさえぎるのをやめ、力なくベッドに崩れた。
「まって……もう抵抗しないから……」
そしてか細い声で囁くように言う。
「でも……一つだけ聞かせてください」
息がかかるほどに近い距離で、涙に濡れた彼女の大きな瞳が、不安に霞んでいる。
「わたしは……「生きて」ないですか……?」
「……」
「わたしは……道具と同じですか……?」
「……」
「銀さんが普段からこういう人なら……わたし、あきらめます。でも、普段はこんなことしないのに、ゲームの世界だから……わたしのことを作り物だと思ってるからするのなら……わたしは」
死にます……
そう言い放った時の彼女の表情を、英治は遠く先、この物語が幕を閉じたあとも、忘れることはできなかった。
それほど……思いつめた顔をした。
彼女は、犯されることよりも、自分の存在を認めてもらえないことについて苦しんでいる。自分が、この世界に舞い込んできたプレイヤーたちをナビゲートするだけのために生まれてきた人形であることを、どうしても認めたくないのだ。
「生きて」ないのなら、生きていくことに未練はない。……それが、彼女の瞳を通して、英治の心にも強固に伝わってくる。
英治は問うた。いままでゲームの中で、こんな目を見たことがあるだろうか。否。
……自分は、生まれてからいままで、こんな目を見たことがあるだろうか。
崩れてしまいそうなほどに脆く震えているのに、その奥深くで限りなく強く燃え盛っているような……英治はそんな瞳に魂を奪われて……そのまま、長い長い時間が経った気もする。
「わかんねえんだよ……」
そして、やっと搾り出した英治の声は、少し震えていた。
「何でお前、そんなこと考えてるんだよ……」
作り物のくせに……とは、言えなくなっていた。彼は、この世界の神になるには優しすぎた。
「……とにかく、お前がそんなだと、どう接したらいいのか、わからない」
ゲームなのに……自分や無数にいるプレイヤーを楽しませるために、それだけのために生まれてきたプログラムのはずなのに……その真実が揺らぐほど強烈に、彼女の瞳の奥は否と主張続けている。
それを、ともすれば認めてしまいそうな自分と、そんなことはありえないという現実的な思考の狭間で、彼は、彼女に体重を預けたまま、戸惑っている。