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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第4章 王のいる世界
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第三節

 ヒロを探さなければならない。

 おそらくあの自警団の男であればうまくやっているとは思うので、生きているのであれば急ぐ必要もないが、それにしたってただ街をほっつき歩いているだけでは見つかるまい……と、"銀"は街をほっつき歩きながら考えた。

 街を行く人々は彼が「追われる者」であることを気づいているのかいないのか、誰も気をとめない。それだけで"銀"にはこの街がとても平和でのどかに見え、美しく感じられた。

 というより彼はその時初めて、この世界の街というものを感じた気がする。"街"は意図して作られただけに美しい。

 まるでヨーロッパの風情のある街に旅行をしに来たのかと思うような、石畳の道が縦横に街の流れを作り出していることは以前も述べたが、その脇を彩る美しい街路樹と、味のある木造建築が連なる街並みに、なだらかなスロープが設けられている。まるでなにかのアミューズメントパークのような立体的な造りは、「追われる者」としてただ走り去るにはもったいなすぎるほどに趣向が凝らされていた。

 そこかしこに張り巡らされた水路、それを利用しての簡単な水車や景観を飾るための工夫など、細部まで造りこまれた風景が、"銀"の目をいつまでも飽きさせない。

「おばちゃん、このリンゴいくら?」

「あぁそれは二十ピンカ。買ってく?」

「悪い、今財布持ってなかった」

「なーにアンタ、財布くらい持ってないとデートもできないよ」

 そして街は、道路脇のりんご売りに至るまで"生きて"いる。

 "銀"は露店をすり抜けながら、努めて住民と様々な言葉を交わしてみて、つくづく思うことがある。

 現実世界の住人はいずれ、こういう仮想世界の中で本格的に買い物をしたり、どこかへ遊びに行くようになるのかもしれない……ひょっとしたら恋愛も結婚もするのかもしれない。

 結婚のスタイルなど、五十年もあればまったく変わっていることは近代史を見たって明らかである。もしこれで風の匂いを感じ、ヒロの剥いたリンゴの味がわかるようになれば、英治が……ではなく、現実の世界が、今とはまったく違った形を描いていくだろう。

 そんな日が来るだろうか。

 それは、ほんの少し前まで、インターネットという概念すらなかった人間の歴史において、誰も断定することのできない未来なのだと思う。


 "銀"は散策した挙句、自警団を探すことにした。

 あの男が自警団のなんとやらだったためだが、聞けばすでに解散しているらしい。そういえば新聞の記事で新しい法というのが、自警団について語っていたのを思い出した。

 元スラムは自警団が気に入らないのか、彼らに対しての動きは早く、特にチャックビルから一番近い居住地域であるこのラングスの連絡所は日をまたずに王の勢力に蹂躙され、幹部ら何人かは逮捕、連行されていったそうだ。

 するとあのユンクという男もだろうか……。

 "銀"は実際を知る由もなく、一応指し示された場所に向かってはみたが徒労であった。連絡所は廃墟と化している。

「うーーん……」

 人というものはどうやって探したものか……彼が再び途方にくれたところで日は落ちた。


「なにやってんだよ」

 連絡所の門柱を背もたれにして、座って空が暗くなっていく様を見ていた"銀"に、声をかけた人物がいる。

「お前か」

 白髪がやや目にかかるくらいの長さで真ん中で分けてあるつり目細面の優男……先ほども絡んだ青年だ。名前は知らない。

「お前の名前聞いてない」

「前に言ったよ」

「あ、そう?」

 聞いていたらしい。が、興味もない。

 "銀"は目をそらしてしまうが、そんな彼からニールは目を離さずに言った。

「お前がやってることってなんなんだよ」

「は?」

「いや、だから……なんのためにあっちこっち行ってんだよ?」

「……別に」

 にべのない返事。辺りは静かになるしかない。

 ニールの知り合いにはメルケルという馬鹿正直に情熱的な男がいるが、ニールは彼のように自分の気持ちを表に出すのが得意ではなく、言いたいことが言葉にならないまま、それでも"銀"から離れることなくいた。

 そんな彼を見る"銀"も、この意味不明な距離感が不思議だった。ので、思いついたことを言ってみる。

「今俺は「追われる者」じゃないよ」

「は?」

「お前に決闘を申し込まれるいわれはないんだよ。帰れ」

「……別に」

 ニールは目をそらしてふてくされた。

「決闘申込みにきたわけじゃねーよ……」

 "銀"の場所はユキの"犬鼻"でつきとめた。だがなぜ彼が見える場所まで来てしまったかといえば……ニール本人はよくわかっていない。

「お前、今日どっか泊まるとこあるのかよ」

「ない」

「ふーん」

 風が通り過ぎるたび、虫が鳴くたびにニフェルリングはポツリポツリと言葉を投げてみるが、どうにも会話が続かない。そのうち"銀"は相槌すら打たなくなった。もともとそんなに社交的ではない男だ。

「お前さ……」

「もういいだろ。なんの用だよ」

「いや……」

 ニールもそれを最後に黙る。

 暖かい夜だった。このまま雑魚寝をしても風邪を引くことはあるまい。こうなったらとことんここで時間をつぶしてみようか、どうするか。……何かを残せずには帰れないニールの頭の中は忙しい。

 そんな時がしばらく流れたが、さしたる答えも見つからないままもう一度振り返ってみると、"銀"はすでに立ち上がっていた。

「どこいくんだよ」

「だからぁ……なんでお前にそれを言わなきゃいけないんだっつの」

「いいだろ……教えてくれたって……」

「人探してんだよ」

「ん?」

 沈みかけたニールの心が、にわかに色めき立つ。

「そういえばあの子は?……前に連れてた女は?」

「うるせえな」

「うるさくねーよ。それなら……」

 俺たちが役に立つかもしれない……ニールの心が躍った。

「さっきうちに飛び込んできたヤツがいたろ? あいつは人が探せる」

 まぁ実際に役に立つのはユキなのだが、そこはセットで考えている。

「紹介するから来いよ」

 やっとつながった……なんとなく胸をなでおろすニールの傍らで、"銀"はというと、少し考えている。

「お前、俺に関わってると狙われるぞ」

 王とやらに睨まれるのが嫌で、昼間の連中をみすみす家に上げてしまったのだろう。そう思ったからかばったというのに、自分から関わろうとする態度は理解に苦しむ。

 無論"銀"は自分が惚れ込まれていようなど、夢にも思っていない。

「なんかたくらんでんのか?」

「めんどくせー奴だな……」

 ニールはややイラつきながら頭を掻いた。

「さっきお前自身がいってたろうが。「追われる者」でもないならわざわざ罠はめて何の意味があるんだよ。それにその子探すったってどうせ取り付く島もねーから、こんなとこで座ってたんだろ? いいから来いよ」

 ……一気にまくし立てられれば、なるほどその通りだった。これがたとえ罠だとしても、自分には失うものが今は何もない。


 さて、もう一人ここに"銀"に憧れた人物がいる。

「あの……こんばんわ!」

 そのままユキの家に直行した二人は、途中、ヒロの寝ている医療所の脇を通ったりもしているが気づかない。

「さっきは、あ、ありがとうございました!」

 この半分上ずっている声はユキのものだ。

 彼女は二人を玄関で出迎えると"銀"のほうへ進み出て、ペコペコとものすごいスピードで何度も頭を下げた。

 そして顔を上げて"銀"の姿をまじまじと見る。

 "銀"自身気付いていないし極力控える方針だったので描写をしなかったのだが、実は"銀"と言う男は容姿端麗である。まぁ冒険ゲームの主人公などはほぼそうだから、別に不思議がることもない。

 しばらくの後、分析が終わったのか、ユキが満面の笑みを浮かべてはしゃぎはじめる。

「あの……すっごいかっこいいです!!」

 その視線をいっぱいに浴びながら、"銀"も同じようなことを考えていた。

 かわいい。

 ヒロよりもさらに小柄で、やわらかそうなブロンドのショートヘアが、襟元まで扇のように広がっている。寝る準備を整えていたのか、ネグリジェのような白いワンピースがドレスのように見えてまるで妖精のようだ。

 そういえばヒロのことも"妖精"と表現したが、ヒロがしっとりと静かに咲く一輪の花の妖精であるとするならば、この娘は太陽に向かって陽気に咲く一面のタンポポの妖精ような無邪気さが垣間見えた。

 ちなみにご存知の通り、互いはこれが初の顔合わせではない。が、顔を認識できるほどに落ち着いて向き合ったのはこれが初めてであった。

「あたし、ユキといいます。よろしく!」

「え? ユキ……?」

「はい、ユキでっす!」

 あごの辺りで小さなピースをつくるユキの左手が、これまた小さい。いや、驚いたところはそっちじゃない。

「アンタがユキか……」

「はい、ユキでっす!」

 "銀"の言い方は自分を知っているかのようにも聞こえたが、それがなぜかなどはあまり気にしない性格である。

 二度も名前を呼ばれてラッキー、くらいにただ彼の目の前でニコニコしていた。

 そんなユキを、今度は"銀"がまじまじと見つめている。

(これがヒロインか……)

 以前このゲームのブログを漁った時に、この娘の話題は事欠かなかった。ヒロと旅に出た者などはいない。皆、この娘と、かなり楽しげな旅をしている。

 どこをどうすればそうなったのか、自分にはまったく理解できない。この娘が自分に同行するような展開に、どうすればなったのやら。

「お茶用意するからどうぞ。ニールもね」

 その視線をはずすように、ドアの脇によけたユキが手で部屋の中へと促した。

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