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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第3章 現実と仮想の狭間で
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第五節

 草を掻き分け、急に視界が開けた場所に立ちはだかった百の人影。

「げ」

 "銀"にとっては予期しない大集団である。眉をひそめて視界に入れた彼らの武器は統一されてもいない。長短問わず刃物を持っている者もいれば、こん棒や農耕用の鎌、つるはしのようなものをもっている者もいる。

「一揆かよ」

 しかし、苦笑する"銀"に恐怖はない。ゲームの死に真の恐怖を感じる者などいないように、この場合の彼もその状況にむしろ高揚感すら燻らせながら、犬のように扱っていた男を追いやり、剣を抜いた。

 相変わらず画面は危険を告げている。あれから半日ほど歩いてほんの少し怪我は癒えたようだが、引っかかれるくらいならともかく、大きな一撃は即死だろう。面白いじゃないか。

 ヒロが隣にいるわけでもない。たとえ死んでも、彼女の心配をする必要もないのだ。

 彼は重さも感じることのない剣を右手に、刃でもって相手を威嚇するような構えをした。剣道の心得などはないから、隙だらけの構えではある。それでも百余名を相手に臆することもないその堂々とした姿が、ならず者達の歩みを鈍らせる。

 その中心……ルーディギウスもその一人だった。

 この、肉厚な曲刀を携えた男は剣術に長けているが、それは決して己を高めるために育てたものではない。生き残るために手段を選ばず振るってきた経験が彼の剣技のすべてであり、強い者と戦って実力を試したいなどという悠長な精神は持ち合わせてはいない。

 この戦いもまた、自分が怪我をせずに勝利する方法ばかりを考えていた。

「おい」

 立ち止まったことを臆したと思われるのを嫌い、"銀"に凄みの聞いた声を掛けるルーディギウス。

「ここの掟を知ってるよなぁ」

 一人を殺ればここすべてが敵に回る。この世界の民なら誰もが知っている。だが"銀"はこの世界の住民ではない。その凄みを鼻で笑い、

「しらねえよ」

「はっ! ナメられたもんだぜ。おいおめえら、行くぞ!」

 彼は一際大きな声を上げ、いの一番に走り出す。だが、"銀"の剣の間合いの先で足を止めると、左手に忍ばせておいた砂の塊を"銀"の顔めがけて投げつけた。

「なに!?」

 ファッと拡散しながら"銀"の目を襲う細かい石のつぶてが、視界を一瞬にして奪った。よくしたもので画面向こうの英治ですら視界がさえぎられ、すべてを見失っている。

 "銀"は後ろへ向かって走り、一度間合いを取るしかなくなった。

「ちっ」

 罵声が勢いを借りて迫る中、対処がわからないまま一心不乱に目をこすってみると、ぼんやりながらも殺気に燃える男たちが目に映ってくる。

 斜め右から二人、斜め左から三人。

 "銀"は反射的に右へ飛んだ。一番右の男が短剣をもっている。これを通り過ぎるように横へ走った。皆右手に得物を持って迫っているから、片手武器であれば右へ右へ回ったほうが攻撃は遠い。しかもこの五人は我先に、と直線的に追いかけてきたから、互いが壁になりうまく斬り込めなくなった。

「ぐぁ!!」

 いびつな五対一はその力が発揮できないままに、気がつけば一対一になったところを次々に斬り伏せられた。そのままの流れで"銀"は、百人の外周を右回りにぐるりと追い立てる牧羊犬のような動きで、外枠にいる相手から斬る作戦に出る。

 何せ体力は無尽蔵だ。いつまでも衰えないスピードに、一対一に対面された者は次々にその戦闘能力を殺がれてゆく。

 右へ右へと移動してしまう"銀"を相手にすると、どうしても太刀筋が自分たちの右側、"銀"からみて左側に集中してしまい、読みやすい一撃はなおさら容易に受け流されてしまう。つっかかっては簡単に斬られてしまう自分の仲間を見て、彼らの出足は時間を経るごとに、目に見えて重くなった。


 一方、ルーディギウスは目潰しを行った後、そのまま斬りには行かず仲間たちが自分を追い越すのを待った。先陣を切って飛び出したことが他に伝わればいい。後は様子を見て自分が生き残り、この「追われる者」を殺すチャンスを伺う構えだ。

 が、今、「追われる者」を追う目は苦りきっている。

 正式な訓練こそ受けていないとはいえ、いずれも喧嘩で慣らしてきた荒くれ者たちをこうもバタバタと倒されては、殺すチャンスどころか場合によっては自分が危ない。

「あわてんなおめえら! ちゃんと囲んで叩け!!」

 その声で幾分冷静を取り戻した者達に、彼を先回りする動きが出てきた。走る道がなくなった"銀"の動きが止まる。

 そこへ一際巨体のバルサという男と他二人が囲むように飛び掛った。得物は三人とも三十センチくらいの短い剣だ。

「死ねや!!」

 三人の一撃が次々に"銀"に襲い掛かる。

 "銀"はその一つ目を剣で受け流し、二つ目を上半身をそらせてかわした。だが三つ目、

 ギィン!!

 という、耳が劈くような音と同時に、ものすごい力で押された"銀"がその場にしりもちをつく。

 バルサの叩きつけるような一撃が思うよりも鋭く、よけきれないと判断した"銀"の剣が下手な角度で迎え撃って耐え切れなかったためだ。

「おわ!」

 画面向こうの英治が重さを感じるわけではないが、その重厚感は画面を越しても感じられて、一瞬背中に悪寒が走った。

「今だ!」

 "銀"が体勢を崩したことで、周りが一斉に勢いを得た。今がチャンスとばかりに群がってくるハイエナの数は一瞬で数えきれない。

 "銀"も必死である。しりもちをついた体制からすばやく身を翻し四つんばいのような形になると、まるでネコが走るように足四つのまま目の前の大男から離れるように走った。途中極端に低い態勢のまま、間合いに入った男一人の足を斬り悲鳴を上げさせる。

 それに一瞬遅れて、背中を追いかけてきたバルサの短剣が突き貫く力となって"銀"に襲い掛かったが、その一撃は空しかったばかりか、逆にバルサの身体のほうが浮かされてしまった。

 身をよじって突きを避けた"銀"の、壁を突き通すような横蹴りだった。

 それ自体は大した打撃にもならなかったが、動揺から復帰したこの巨漢が再び"銀"を探した時には、すでに彼はずっと向こうのほうで立ち上がって剣を構えなおしている。


 しとめられない……。

 スラムの男たちは不敵に笑う"銀"に恐怖した。

 すでに二十は倒されている。たとえ味方が百いても百で一斉に襲いかかれるわけではない。三人が同時に撃ちかかってもすり抜けられ、一人で二十人倒しても息も切らさないバケモノをどうしとめればいいのだ。

「あいつも人間だ。いずれ疲れがでる!」

 ルーディギウスは叫びつつも、ここらで勢いを盛り返さないことには、ずるずる士気が落ちていくであろうことを感じていた。

「俺がやる間に周りを囲め!」

 吼えながら"銀"の前に進み出る。"銀"は一瞬ネコが狩りをするような目つきをすると大地を蹴った。

 袈裟!!

 上段から斜めに振り下ろされる"銀"の刃。ルーディギウスはそれに反応している。

 が、その瞬間剣が翻った。左の首を狙った一撃がいつの間にか右胴への斬撃に変わる。

「ちぃ!!」

 一撃目はフェイントだ。ルーディギウスはそれを目の端で捉え、袈裟を迎え撃っていた剣を持つ右手首を下に返した。とたんに鋼の刃が弧を描き刃が下を向く。"銀"の持つ直刀とルードの曲刀の打ち合わされた金属音が、彼の肝臓の手前五センチで爆ぜた。

 そのまま下を向いた切っ先を、身体を捻り無理矢理左手を柄にそえて半ば回転をしながら斬り上げるルーディギウス。

 "銀"は反射的に全身を反り返ってその軌道から外れるようにしたが、それ以上の追撃はできず、間合いを取り直した。他の奴とは違うらしい。その時、

「背中が見えた奴は足でも手でも服でもなんでもいい、つかまえろ!」

 すでに取り囲みつつある人数に向かってがなる声が、荒野を駆ける。

(まずい……)

 脅威に一番先に気付いたのは"銀"であった。

 一般のゲームの中では基本つかまれない。つかまれてもはずす方法があるのが普通だ。だが、このゲームはわからない。それに、たとえはずす方法があったとしても一撃で死ぬのだ。それだけの猶予があるとも思えない。

 というか、自分を囲んだ連中が一斉に自分の得物を投げつけてきたら、その時点で終わる。

 どちらにしてもまずかった。そして、その焦りが、判断を鈍らせた。

 "銀"の視線がぐるりと回り、一点に向かって走り出す。包囲の一番薄そうな場所だったが、そこに立ちはだかったのが先ほど蹴り上げた巨漢であった。

「バルサ! つかまえろぃ!!」

 という声と、バルサの振り下ろしが"銀"に襲い掛かるのとが同時。"銀"は先ほどもだが、この、剣というよりナタのように叩きつけられてくる彼の一撃を避けて空振らせることがどうしてもできない。それだけ、この大男の斬撃は鋭く大きかった。

 大きな金属音と共に、トラックにはねられたかのような大きな衝撃が彼を襲う。が、先ほどよりもうまく受け流せたために、今度は吹き飛ぶことはなかった。

(もらった!)

 "銀"には、この大男のがら空きの腕が見えた。鈍い光を放つ刃が、バルサの短剣を左へ払うと同時に右の腕に向かって水平に迅る。

 ユンクを主人としていたこの長剣は余程切れるらしい。バルサの腕は丸太のように太かったが、剣はそれを貫いて肋骨まで達していた。

 どさっという、腕が地に落ちるくぐもった音と、バルサの悲鳴。返り血の量が半端ではない。だが先ほども言ったとおり、剣は肋骨で止まり、彼は即死に至っていない。

 "銀"もそれを知った。バルサはのたうち回るかと思いきや、"銀"を映すその目はまだ生きている。どころか憤怒の炎に燃えていた。それに動揺した。

 剣を引っこ抜くように腰に力をいれて剣を引いた時には、すでに攻撃のタイミングを逸していたにもかかわらず、"銀"はその剣を強引に振りかぶる。

 動作としては完全に後手であり、それが斬撃に変わるはるか前に、大男の残る左手が"銀"の首をわしづかみにしていた。

「やべ!!」

 声が、"銀"よりも画面の向こうの英治から漏れる。

 "銀"は腰を預けてその剣をそのままおろそうとしたが、その豪腕が"銀"を地面から引き離してしまう。こうなると腰の力も足の力も使えない。ついでに体勢も崩されて、剣を振り下ろそうにも定まらない。

「離せ!」

 もがき振りほどこうにも動かない。進退窮まって途方にくれた"銀"だったが、それから一瞬の間もおかず視界に現れたものを、今は呆然と眺めている。

 それは、彼自身を深く貫いた真っ赤な刃であった。

 背中から貫かれたらしい。一撃が内臓を突き破り、胸から切っ先を覗かせている。

 "銀"はバルサに首をつかまれていたため振り返ることすらできなかったが、それが可能なら見えたものは、ルーディギウスの下卑た口元であっただろう。

 悲鳴も上がらないまま、気がつけば"銀"は地面に叩きつけられていた。バルサの豪腕が"銀"の身体を、まるでかんしゃく玉を鳴らすかのような勢いで力任せに投げつけた所為だった。

「くそっ!」

 画面向こうの英治が、追い討ちに対する備えをしようと起き上がるアクションをさせようとする。

 が……もう、"銀"は動かなかった。


 "銀"は、死んでいた。




 真っ暗な画面から声がした。

「死んじゃいましたね」

「あ……」

 その声は紛れもない、ヒロの声。

「あなたは死ぬと、しばらく追われなくなります。意識の回復は三日後です」

「ヒロ、今ちょっと話せるか?」

「銀さんを負かせた人はこの世界の王になります。以後はそれを前提としてストーリーが進みます」

「なぁ、ヒロ……」

「王が倒れれば、あなたは再び「追われる者」となります。王を倒すことは強制ではありませんので……」

「……」

 これはヒロではない。本当に説明のために組まれている音声プログラムのようだ。英治の顔に嘲笑じみた色が浮かぶが、ただ、もうずいぶんと聞いていないように思えるヒロの声が、彼の耳には心地よかった。

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