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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第3章 現実と仮想の狭間で
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第四節

 一方、連絡所ではユンクとそれを取り巻く環境が紛糾していた。

「スラム民との口約束など何の価値もない」

「しかしわたしが辞めないとなれば彼らは暴動を起こします」

「だから飛び込むなといったのだ。いくら婚約者とはいえ、貴様は自分のおかれている立場がわかっているのか」

「お言葉ですが、立場で自分の婚約者すら救えぬのなら、そんな立場は御免被ります」

「……とにかく、貴様の脱退は認められない。あくまで勝手を言うのなら、貴様を重大な命令違反で拘束しなければならない」

 命令を無視したばかりでなく団員に虚偽の命令を伝え行動に移した。どのような理由があっても許されることではない。ユンク自身がそれを納得していた。しかしその上で

「逮捕は甘んじて受けます。しかし「追われる者」の死がわかるまではお待ちいただけませんか」

「わからん奴だな……」

 何とでも言え。……ユンクは眉間を難しくしたまま、その言葉を受け流す。

 「追われる者」を生かしておいてはいけない。彼をしとめることによる名誉などもどうでもいい。ヒロのため、自分はすべての障害を強引に切り抜けても身を呈したい。

「わたしをとめるならそれなりの覚悟を持って臨んでいただきたい」

 ユンクはその言葉を、一際大きな声で言い放った。と、同時に執務室の外の、殺気ににた重苦しい空気が霧散する。

「では、失礼いたします」

「おい待て!!」

 静止も聞かず、悠々とその場を後にするユンクであった。


 自警団に未練がないわけではなかったし、なそうとしていることは自警団の中でできたろう。だが自分はすでに辞めると約束をしてしまった。彼の行動はスラム民の脅威を感じたものでもあったが、自分の言葉に対する義理立てでもある。

 誇り高い男であった。

 連絡所を出たユンクを、満天の夜空と無言の十五名が出迎える。

 ユンクの表情で察したようだ。その中の一人が進み出て、会釈をした。

「ご苦労様でした……」

「感謝する」

 ユンクは深く一礼をすると、

「もしこの地域にあの"銀"という男が現れたら伝えてはくれないだろうか」

「勿論」

「その際には我々もお手伝いをいたします」

「ご健勝をお祈りいたしております」

 口々に、さまざまな音で、元部下の厚意が伝わってくる。

 彼はその全員と言葉を交わし、やがてここを辞した。


 ユンク、ヒロの物語はいったんここで止まったようになる。

 彼はその後、ヒロに会いにいってない。自分に弓を向けた婚約者に対して心中は複雑であった。もちろんこのままにするわけではなかったが、しばらく冷静になる時間がほしかった。

 ヒロもヒロで、あの学者宅に釘付けにされている。彼女の物語はこの傷が完治する前にまた動き出してしまうが、ひとまず今今は寝ていてもらおう。どうせ他に話すことがある。

 "銀"はまだあの場にいる。体はボロボロだが、痛みがあるわけではない。それにどうも画面を見ていると、どんな重症でも特に医者や薬に頼ることなく、徐々に回復していくようだ。

 といって、全快までを待つのは面倒だった。要は攻撃が当たらなければいい。何でもいいからヒロに会いに行きたい。

 むっつりと不機嫌そうな表情を浮かべたままの"銀"の手には、血染めの剣が握られている。

 ヒロに会うためにはまず、浮浪軍団を相手に戦争を始めなければならない。その火蓋を切るために、"銀"はその刀の切っ先をだらりと無造作に地面に這わせたまま、バラックの広がるふもとへと歩み始めた。


 その異様な雰囲気を身に纏っている"銀"に"見つかってしまった"のが、彼とヒロを丘陵地帯でしとめようとしていた一派である。

 彼らはすでにそのほとんどが解散していた。

 自警団の男が女を連れ去ってしまい、残った男などに興味は薄い。「追われる者」という存在を知らないわけではないが、男一人なら別に商品価値がなくなるまで弱らせてからでも遅くはなかった。

 彼らはその帰りの列の最後尾をうろついていた一群である。その一人が"銀"に捕まった。

「お……おい! なんだよ!」

「出口まで案内してもらおうか」

 これを、他に潜んでいた残りの衆は無視するわけにいかない。

「おい、そいつを放せ」

 岩と背の低い木が群生する狭い獣道に、みすぼらしい格好をした男達がぞろぞろと沸いてくる。

 対する"銀"は「一人残せばいいよな」とつぶやくと、まず首根っこをつかんでいた男を一気に斬り捨てた。

「野郎!!」

 ありきたりな悪役のような罵声を浴びせながら飛び込んでくる男達の威勢はいいが、"銀"の敵ではない。たちどころに死体の山を築き上げて、残る男たちの戦意をすっかり殺してしまった。

「ひとまず逃げろ!」

「じゃあお前!」

 バタバタと音が立つような逃走劇の内の一人が、"銀"のターゲットとなる。

 男は悲鳴を上げるも、もはや彼を救う余裕のある仲間は誰もおらず、標的から外れたことを幸いに八方に散ってしまった。

 男は必死に悲鳴を上げながらなんとか逃れようとするが、次第に息が切れて動きも鈍ってきたところで上着をつかまれてしまう。振り返ってみると追いかけてきた男は息一つ切らしてはいない。

「ひぃ!! やめろバケモノ!」

「なんにもしねえから出口に案内しろよ」

「む……向こうだよ!」

 男はある一点を指差す。

「お前らの「向こうだよ」にはもう騙されねえ。一緒に行ってもらおうか。着いたところが出口でなければ殺す」

「ひぃぃ! じゃあこっちだ!」

 じゃあって……こいつホントに刺したろかと思いつつ、"銀"は男に剣を突きつけて歩かせた。


 その報告がルーディギウス……通称ルードの元に届いたのはそれからすぐであった。

 報告に対するこの首領の不愉快は言わずとも伝わり、彼の周りを囲んでいる汚れた身なりの男たちはやや小さくなってそこにかしこまった。

「面白くねぇ……」

 その言葉は"銀"へというよりも、先ほど道を通した自警団の男に向けられている。

 丸腰のまま十分弱らせてからとどめを刺すはずだった獲物が、いつのまにか武器を持って暴れているのはあの男の仕業に他ならない。

 それに、あの男を通してから「追われる者」の挙動が変わった。追い立てればどこへでも追い込める鶏のような頼りなさだったのに、今は真直線にこちらと対峙しようとしている。報告を聞く限り猛禽のようだ。

 あらゆる意味で「面白く」ない。

 ちなみにルーディギウス本人は"銀"を「追われる者」として当初から意識していた。ただしハネッ返りも多いここスラムで大げさなリアクションを取れば、我先にという奴が出てこないとも限らず、秩序に関わる。

 表向きは無関心を装っていた。

「とにかく、ルグのやつは助けてやんなきゃなぁ」

 報告しに来た男は無言でうなずいた。ルードとしてはあんな男はどうでもいいが、口実がほしい。

「よし、戦える奴集めろ」

 ここ、スラムには二千を越える民がいる。これは自警団の総勢よりも多く、だからこそ彼らは腫れ物を扱うような慎重さをもって当たっている。そんなならず者の集団をある程度まとめている彼のカリスマは相当のものであり、言ってみればマフィアの頭目のような存在であった。

 彼は腕の立つ者を百余名呼んだ。二千の中には女子供も混じっているし、さすがに千人からの大所帯を一人の男に振り向けるほど、この男も大げさではない。

 程なく集まれば、一癖も二癖もありそうな男たちばかりが列を成す気もなくバラバラにこちらを向いている。

 ……それらの真ん中に立ち、ガラガラとドスの利いた声を上げるルード。

「ルグもそうだが、俺達はナメられたらもう生きてはいけねえ。そうだよなぁ?」

 その音頭に対して、人を殺すこともいとわない眼光が、それぞれに無言で是を表した。彼らは必ずしもこのルーディギウスという男に忠誠を誓っているわけではない。が、この輪の中にいる間はお互いを守り、守られる関係がある。その奇妙な結束こそが、世界を脅かす存在として、彼らを認めさせている。

 要するに一人叩けば千人が復讐に来るということであり、逆に言えばこの認識が破られれば彼らとてもろい。ナメられたら生きてはいけないとはそういうことだ。

「殺るぞ」

 この一言で、百人が同じ方向を向いた。


 しかし悲しいかな、ルーディギウスは腕は立っても百人からの用兵術に於いて知識も素養もない。

 人は集めたが特に戦略もなく、単に多数をもって"銀"を討とうとしている。いや、一対百なのだから戦略が必要かといわれれば必ずしもそうでもないだろうが、"銀"という特別製の男を相手に、多くの読者が思っているであろうことをあえてここで書くのなら、勝ち目が見えない。

 ただし、"銀"にも不安材料がないわけではなかった。そもそもゲームの中の彼は現在、瀕死だ。いくらその技が洗練されているといっても、百を相手にまったくの無傷というのは考えにくく、ワンミスが死に直結している状態だ。

 双方、崖に張られた細いロープの上を渡って攻めるような決戦であった。

 "銀"が首根っこをつかんで前を歩かせている男は、確かに本当の出口への道を教えていたが、その道は途中、非常に見通しのよい野原を通る。徒党はそこで物見を走らせながら待ち構えている。

 一方"銀"のほうも、隠れるのが下手な斥候を何度も見たが、追いかけようとすると逃げるので、この道案内のための捕虜を伴って捕まえることは不可能であった。

 捕捉されていることは分かっているわけだから、"銀"があるいは、

「別の道を行け」

 といえば、今からの戦いは防げたかもしれない。

 リスクの可能性を省みずに真正面から飛び込む姿勢は、彼にまだゲームに対する油断がある証とも言えるか。

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