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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第2章 「追われる者」
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第九節

 だが一つ、彼らに予期せぬ事態が発生した。

 チャックビルの入り口に突如沸いた騎馬兵団が、その静かな作業を脅かす存在として現れたのである。

「我らは自警団である! 夜半で苦労をかけるが聴取に協力願う!」

 自警団はまるで白昼であるかのごとく、住人をたたき起こして聴取を始めた。彼ら反抗的な住人達に対して、これほど気分を逆撫でする方法もないものだが、「追われる者」がここに入り込んでいる以上、一国の猶予もない。

 スラム民は面食らった。今まで自分達の団結力に遠慮して、見て見ぬふりをしてきた自警団の奇襲である。口汚く雑言を並べる者もいたが、本当に好戦的な仲間たちは今「狩り」に出かけているために、彼らは聴取に応じるほかはなかった。

「要するに奥なのだな」

 情報は、反抗的な者を二,三人、容赦なく斬り捨てた後、信憑性の増した情報となった。ヒロ達がここを出ていないことは間違いない。

「追い詰めた」

 彼は眉間にしわを寄せたままつぶやいた。

 チャックビルは地区の外周を切り立った岩山が囲んでおり、"銀"達が奥に行ったのなら、その先は歩いて通行できるような場所ではないのだ。

 ユンクは確信すると精鋭十五騎に左手で合図をする。

「行くぞ!」

 権力に対する暗い殺気が煙る路地を、ユンク率いる十六騎は蹴散らすようにして走った。


 馬蹄ばていが砂埃を上げて迫る音は「狩り」の途中の住人にも聞こえてきた。

「馬?」

 この地区に蹄の音など響いたためしがない。よそ者が土足で踏み込んできたことは明白で、その事実はそこらに伏せていた男達を一様に不愉快にさせた。

 やがてその不愉快の元が姿を現す。光を放つセラにより神々しく輝いている騎馬兵団。その仰々しさはますます不愉快だが、その正体を聞けばなおさら眉をひそめた。

「自警団である。こんな時間になにをしている?」

「自警団だと?」

 物見をしていて立ち上がっていた者以外もわらわらと集まってくる。その数はちょっとすぐには判断できなかった。

「自警団がこんな時間になんの用だ」

「先に質問したのは我らのほうだ」

「へっ、答える義理はねえよ」

 群衆はみなそれぞれに刃物、鈍器などの得物を携えており、殺気だっているのは手に取るようにわかる。ユンクはひとまず、話してこの場を対処することにした。

「人を探している。もし貴公方が今追い込んでいる獲物が男女の二人組ならば、それは自警団の仕事だ。こちらに任せてほしい」

「なんだと?」

「男のほうは相当の手だれだ。貴公方の手に負える相手ではない」

「別に……」

 誰も追い込んじゃいねえよ。と、衆の一人が言った。

「ならば我らがここを通ることをはばかるまいな?」

「いや、気にくわねぇ」

 この地区においては自分達が法だと思っている連中である。「そのことを街の権力は暗に認めていたではないか。相互不可侵の慣習を破られては面目が立たない」と、落ち窪んだ暗い瞳の群れが訴えている。

 しかしユンクは譲らない。

「非常事態だ。貴公方にも危険だから踏み込んだ。やつらの正確な場所を知っているな? 答えてほしい」

「うるせぇ、都市部で一斉に暴れてやろうか」

 彼らはすかさず自分達の切り札を切った。

 失う物の何もないならず者達の人数は多い。これに一斉蜂起されると自警団の人数だけでは制御できず、街は少なからず損害を被る。彼らを見過ごす代わりに街の平安が保たれている部分もあり、ユンクの上司が侵入の回答を渋った最大の理由であった。

 だが馬上のユンクは眉一つ動かさず、平然と言い放つ。

「勝手にすればいい」

「!?」

「その時は貴様ら、根絶やしになると思え。自警団が地獄の果てまでも追い落とす」

「……」

 これにはさすがのならず者達もややたじろいだ。その様を馬上のユンクの冷たく光る目が、少しも動くことなく見据えている。

 これまで自警団にも何人かハネッ返りはいたが、ここまで正面をきって彼らに喧嘩を売ってきた者はいなかった。しかしこうまで開き直られると自警団は戦闘集団、スラム民は素人だ。分が悪いことは間違いなく、死んでも名誉を守るほどの気概もない中で、馬上の男たちを口汚く罵りながらも、それぞれの顔色を伺い始めた。

「まぁ待て……」

 その時、低いのによく通る声で、いきり立っていた若い衆をなだめた男がいる。

 ユンクの前にゆっくりと進み出る男の顎はひげに覆われている。ただならぬ眼光を携えて、袖のない簡易な服装から覗いている肩には、威圧的な筋肉が蓄えられていた。

「この先だ。バラックを越え、林を越えると身動きのとりにくい丘陵地帯がある。そこに追い込むようにしている」

「ご理解、感謝する」

「ただし」

 この男、名をルーディギウスという。彼は己の剣を目の前の地面に突き立てた。

「ここを通った時点でてめぇらは、俺らとの契りを破ったとみなすからなぁ。報復は必ず行うぜ」

 ユンクと、ルーディギウスの視線が交錯したまま、数瞬の時が流れた。彼からは掃き溜めの長としてのプライドやカリスマ性が伝わってくる。その面目も考慮に入れなければ、街の損害は現実のものになるに違いない。ユンクは、先ほどよりも、口調から角を取り去るよう努力した。

「貴公は話がわかりそうだ。交渉したい」

「交渉?」

「わたしは、今ここで自警団を辞める」

「隊長!?」

 後ろの十五騎がざわめきだす。それを目の端に収めて彼は続けた。

「当然彼らもここで解散させる。その功をすべて貴公の物として構わない」

「それのどこが交渉だぃ」

 ユンクは、自信たっぷりに言い放った。

「自警団支隊長ユンクを調べてみろ。わたしがスラムに赴き、貴公方になす術もなく辞任を余儀なくされたという事実が、どれほど大きな勲章かはすぐに分かる」

 英雄の敗北と言っていいほどの出来事であり、それほどユンクの自警団としての功績は大きかった。

「隊長……」

 その重みは、ならず者達より仲間内がよく知っている。ユンクは振り返ると、動揺の隠せない部下達に言った。

「君達もそういうことにしてほしい。真実を語ってはならない。わたしが彼らと約束したことだ。暴動を起こされたくなければ徹底せよ」

 そしてもう一度群衆の方に振り返り、

「ここから先へはわたしが個人としてゆく。それでどうだろう?」

「まぁいいだろう」

 ルーディギウスは、他のガヤが騒ぎ出す前にうなずいた。無理に反抗して目の前の軍事力の怒りを買った場合、今ここで自分が今の地位を失うほどの打撃を被る危険性がある。追っている獲物は大きいが、今のところは面目が保てる落としどころを見つけて切り抜けなければならなかった。

「てめぇが自警団でないなら、もたもたしてると狩るぜ」

「わかっている。できるだけ早く用は済ませる」

 部下のほうへ振り向くユンク。十五騎は困惑はしていても、何も言おうとはしない。そんな彼らをユンクは少し誇りに思えた。敬礼をする。

「ご苦労だった。面倒を起こさず、まっすぐ持ち場に戻ってほしい。馬は後日届けに行く」

 そして彼はもう何も言わずに馬をひたすらに蹴った。


 空が白んでいる。

 "銀"とヒロはついに一睡もできないまま、スラムをさまよい続けた。

 ただし、周辺の様子は変わっている。バラック地帯を抜けて、木々立ち並ぶ荒地を越え、丘陵地帯に入った。足場が悪く、"銀"はともかく疲労がたまっているヒロには、その一歩一歩が堪える。

「ここまで来ればいいだろ。ちょっと休もう」

 "銀"はスラム抜けたと思っていた。

「眠いならしばらく寝てもいいよ」

 するとヒロはにこりと微笑んで、

「眠さのピークをすぎちゃいました」

 と首をすくめた。

 実際ここはまだスラム民のテリトリーだ。目前に徒歩では到底越えられない険しい岩山を控え、進退窮まる己地ひちにいる。彼らスラム民はつまりここへ獲物を追い立てたわけだ。実際に、"狩人"達は"銀"やヒロを遠巻きにしている状態である。

 それに気付かぬ二人は、ごつごつした巨大な岩を背もたれにして並んで座った。昨日の喧騒が嘘のような、驚くほど静かな夜明けだ。

「きれいですね」

 朝日が、遠く山脈と空の境界線から姿を見せる。徐々にその全貌を見せる太陽の赤く燃える様を、二人はしばらく言葉も交わさずに眺めていた。弛緩していく筋肉と頭脳に鳥の声も聞こえてくる。

「ヒロ、何か匂いとかする?」

「風の匂いがしますよ」

「そうか」

 "銀"には感じられないが、ほのかなそよ風が二人を洗っている。風の匂いとは、肌をなでるその空気にのってくる、草や花の匂いなのかもしれない。そういうものを感じられないのが、今の"銀"……英治には残念に思えた。

 空を眺めたまま風景に溶けてしまいそうなヒロ。きっと……彼女にも匂いがあるのだろう。

「なぁ、ヒロってさ……」

 "銀"は思うことがあって、ヒロに近い左手のほうを彼女に差し出した。

「この手をさわるとあったかいの?」

「……?」

 彼女は言葉の意味をしばらく迷った後、「ちょっといいですか?」と断っておずおずとその手に触れた。

 自分よりも指の関節一つ大きい"銀"の手の平は、力強く分厚い。でもそのぬくもりは、確かにヒロの手を通して伝わってくる。

 ……その温かさが、その男の優しさのような錯覚さえも覚え、ヒロは少しだけ嬉しくなった。

「あったかいです」

 だが"銀"は苦笑せざるをえない。

「ははっ、なんなんだろうな、このゲームは……」

 思わず言ってしまった。

 なぜプレイヤーの感じられないものまで、この世界には用意されているのか。英治は、そのことの意味や無駄を感じるよりも、その匂いが、ぬくもりが自分に伝わってこないことに少し苛立ちを覚えた。

「ゲーム……ですよね……」

 対して、その言葉に彼女の笑顔が乾いてゆく。

「いや、ヒロ、違うんだよ」

 ヒロがどうして悲しげな顔をするのを察した彼は、自分の手のひらの上にある彼女の小さい手を握り締めて言った。

「俺はさ、こうしても何にも感じないんだよ。こうしても……」

 その手を引き、ヒロを身体を一瞬にして手繰り寄せて抱きしめる。

「ヒロの温かさも、心臓の音も、匂いも、何も感じない」

「……」

 妖精は少し驚いていたが、何の抵抗もせずにそれに身を委ねていた。彼の心臓の音が、自分には確かに伝わってくる。

「この世界で生きていないのは俺のほうだ」

 彼は今、そのことが腹立たしかった。超人的な力がなければ彼女の隣にいる意味がないことを知っていながら、その矛盾を棚に上げて、彼女を感じたかった。匂いやぬくもりだけじゃない。この娘の苦しみが、痛みが、疲労が、共有できない自分が、腹立たしかった。

「ヒロ、今の俺にはまだ何も証明できないけど……」

 "銀"はヒロを抱きしめたまま、彼女の耳の後ろで囁くように言った。

「ヒロ、アンタは、生きてる」

「え……」

 電脳世界の娘が、"生きている"。それはどういうことか……今は漠然とした結論でしかないが、

「……いつか俺が、アンタが納得するように証明してやる。だから……それまでついてきてくれ。絶対に死ぬなよ」

 "銀"のこのテンションはなんだったんだろうか。ヒロを元気付けるための勢いだったのか、著しい緊張状態からの開放から生み出された感情だったのかは知らない。なににせよ、いろいろな疑問や理屈をすべて突き抜けて、彼はヒロにそう言い放った。

 ヒロは……動かない。涙すら流れない。ただひたすらに、呆けている。

「わたし……生きていますか……?」

 言ってはみたが、答えなんて聞こえない。

 生きてる……生きてるってなんだろう。

 心臓が動いていることなのか。話ができることなのか。ぬくもりを感じる力なのか。きれいなものをきれいと思える感情だろうか。

 だれかに、生きていると認められることなのだろうか……。

 いや、どうでもよかった。

 ヒロは今、自分の肌がすべて透き通ってしまって、その中を大量の水が通り過ぎていったかのような、不思議な清涼感に包まれていた。

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