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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第2章 「追われる者」
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第五節

 あの母親を相手にもう一度家を抜けることが最大の難関だったが、そこはさっきユキが血相を変えて飛び込んできたことをこじつけた。戦士として働きやすいいでたちと、二メートル弱の槍を片手に、今度はしっかりと靴を履いて家を出る。

 自分の槍の天才は何のためにあるのか、長らく疑問だった。特に努力をすることもないのに、相手の動きは止まって見え、相手の技の意図は手に取るようにわかり、自分の小細工が相手に面白いように掛かる。だがその才能を有効に発揮できる機会がない。

 世の中が、平和すぎたのだ。

 こんな世の中では芸術的な殺傷力も、大道芸の道具にしか使えない。そんなことは認めたくなかった。

 天性の才能をもって生まれたのには相応の意味がある。必ずある。ニールは固く信じていた。

 ……そこへ突如現れた「魔王」という存在。

 朝、新聞にそれを見つけたとき、腕に震えが走った。自分が天才だった理由は、これだったのではないか。今日この日、この男と戦うために授かったのではないか。

 うまくはいえないが、これが自分の人生の意味かどうかを、確かめに行きたい衝動が抑えられない。

 それが意味であれば、敗れて死ぬこともあるいはしかたない……そう思えたし、同時に、いくら相手が「魔王」でも、「人間」である以上、そうならない自信も持ち合わせていた。

「そういうわけです。コンニチハ」

 ユキの言う通り校庭の端、背の低い草の生い茂る場所に二人の人影が見えたのを確認したニフェルリングは、不敵な笑みを浮かべた。

「だれだ?」

 とは、"銀"は答えたものの、実際はだれでもいい。月を背負った、自分と歳も変わらなそうな青年の、得体の知れぬ威圧感は明らかに敵であることを示している。

 身長よりもかなり長い槍は無造作にその穂先を地面に向けていたが、脱力のわりに全身どこにも打ち込める隙がない。

「魔王って若いのな」

 彼のニューロンもすでにつながっている。これは間違いなく魔王だと。

「魔王?」

「俺はニフェルリングっつう者なんだけど、戦ってくんない?」

 ニールはてっきり魔王というのはもっとこう……仰々しい存在かと思っていたので、初め丁寧語を使ってみたのだが、実際はまるで同じ教室にいてもおかしくないほどの普通の男だ。

 油断……とは違ったが、戦える自信を深めたことは、先ほどの言葉がしっかり地についていたことで自覚した。

「ヒロ、ちょっと下がってて」

「手伝います」

「大丈夫だよ。何かあったらよろしく」

「はい」

 軽やかに立ち上がる"銀"。月明かりのみの校庭で色の濃い戦闘服を着ているニールは見えづらいが、そこはそこ、なんとか戦えてしまうのがゲームだ。

 そういえば自分はどんな服を着ているんだろう。川で泥を落としていたときにさえ気にならなかったことがいまさらながらに気になった。

 余談だが主人公"銀"……英治も含め……については極力容姿についての描写を避けようと思っている。プレイヤーの分身のことは読者の想像にお任せしたい。とりあえず彼は幾度となくヒロに袖や裾をつかまれるから、長袖であることは間違いない。

 ……などと悠長に説明している間に、長剣よりもはるかに長い槍の制空権が"銀"を飲み込もうとしていた。


 二撃、三撃、四撃。

 打ち合って間合いが開く。驚いた顔をしているのはニフェルリングのほうだった。

「すげ……」

 彼の声と同時に"銀"が出る。出会いがしらを狙った槍の正確な迎撃をこれまた的確に打ち落とすとさらに踏み込んだ。この、さらに踏み込まれるところが、ニールにとっては意外なのだ。

 ここまで鮮やかに自分の制空権を割ってくる相手に、いままで何人出会っただろう。踏み込まれたからといっても、いなす術がないわけではないから、最終的にはさばいて間合いを取り直しているが、これは手ごわい。

 ……もっとも"銀"も似たようなことを感じながら剣尖を揺らめかす。

 このゲームに来て初めて「打ち合い」をした。今まで出てきた雑魚とは大きく違うらしい。

「お前ボスか?」

「は? しらねぇよ」

 今度はニールが打って出た。槍把といって刃のついているほうとは逆方向を棒術のように操ってフェイントをかけると、手首のスナップで二連突きを加えようとする。そのフェイントにまともに引っかかった"銀"の剣は、突きに対する防御力を殺がれていた。

「銀さん!!」

 猛然と突きかかってくる二つの槍撃を、"銀"は上半身をひねりこんで寸でにかわす。が、身体の軸が戻らず、そのまま片膝と左手をついた。

「やぁ!!」

 動きの止まった"銀"のこめかみに、狙いすました槍把の一撃が斜め上から襲い掛かる。

(いった!)

 ニールは命中を確信した。左手は地面、片手剣で受けきれる勢いではない。当たれば頭蓋は砕ける。

 が、その鈍器が振り切られ、校庭の砂利を巻き上げた時、彼は右の腹に違和感を感じて動揺した。

「な!?」

 見れば、丸く黒い大きな影が、自分の腰辺りに吸い付いている。槍把の先に"銀"はいない。ということは……

 彼は反射的に斜め前に走った。その胴体を追いかけるように月の光を帯びた白刃が、横に弧を描いて消える。その一撃は逃れたニールの胴体に対してたった五センチまで迫っていたから、あと瞬き一つでも走り出すのが遅れていたら、彼は二つになっていただろう。

 黒くて丸い影は、大きく腰を落とした"銀"が自分の懐まで踏み込んできていたものだった。


 やばい、やばい、やばい、やばい!

 ニフェルリングはもう一度自分の相棒を構えなおしたが、心には動揺が渦を巻いて血がうまく流れない。あんな体勢から踏み込んでこれるような相手とは、やりあったことがなかった。

 想像以上の動きをされるということは、どこまで攻めていいのかわからないということであり、消極的な攻撃に終始するしかなくなってしまう。予想外、ということに関して、模擬戦闘でも負けたことのない天才のもろさが動揺となって表情に表れていた。

(ここは一度逃げたほうがいいかもしれない)

 戦う前は死んでもいいと思ったものの、このような一方的な犬死はゴメンである。彼はひとまず槍を正眼に構えなおすと小さい攻撃で牽制をしながら様子を見ることにした。勘のいいこの男が牽制に終始して徹底的に防御の陣を敷くと、まるで要塞のような鉄壁さを見せる。"銀"も攻めあぐねたが、彼はそもそもこの戦いを決闘または試合とは思っていない。

「ヒロ、撃ってくれ!」

 "銀"はヒロへ射線をあけつつも、彼女の方に飛び込まれても対応できる位置にじりじりと移動したとたんにそう言い放った。

「はい!」

 声に呼応するようにヒロの左手に表れる巨大な弓。

「なに!?」

 ヒロのほうへ彼の視線が移ったのと、その弓から光を帯びた矢が飛び出したのが同時。"銀"が大地を蹴ったのが次だった。

「やばい!!」

 なまじ目がいいだけに、彼にはすべてが映った。避けるには後方に倒れるくらいしかない。だがそれをすれば、「魔王」の追い打ちには対応できない。

 万事休すだが、とにかくもこの同時攻撃だけは避けなければならない。反射的にしりもちをつくように地面に転がったニール。その上を一条の光が、次いで白刃が通り過ぎる。その向こうの、はるか遠くに浮かぶ月が、やけに美しく見えた。

 その月も次の瞬間には姿を消す。上から覆いかぶさってくる男の刃が月に変わって怪しく光り、目尻にはご丁寧に二本目の矢が迫っているのが映った。

 ぱぁん!!

 だが、神にもらった天才的な両目すら硬くつむられたその瞬間、不意にその矢がはじけて消える。

 刃に骨が砕かれる激痛も感じない。はっと我に返ったニールが目を開けると、

「メル!?」

 彼の心臓は、見覚えのある刀に助けられていた。

「ほんっとにおめーは約束破りやがって……」

 メルケル。朝礼後に声をかけてきた熱血漢だ。

「よかったーーー、いきなりあたしが役に立つとかありえないねぇ、あははは」

 さらにやや遠くから、先ほど別れたばかりの女生徒の声。彼女が発したのであろう水色の魔力壁が役目を終えて、ニールとヒロの射線から音もなく消えた。

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