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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第2章 「追われる者」
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第三節

 さて「魔王」。

 学校が放課後になり、生徒有志の討伐隊などが編成されているころ、彼ら二人はまだ空き家にいる。

 潜伏……というより、単にくつろいでるともいえるか。あの川を渡るのは諦めて西へ向かったが橋は一向に見えてこず、変わりに居住地域を見つけた二人が目星をつけて滑り込んだ空き家である。

 その後は一切争わなかったことも幸いしてか現在はマークが外れているらしく、この家の内外、コトリとも敵の音がしない。

 現在、世界は二人を見失っている……といった状態なのかもしれない。ちょうどいい。ヒロを休めない手はない。とりあえず明日まではここにいよう……"銀"は決めていた。

 空き家空き家と連呼したが、空き家ではないということも述べた。部屋には明らかに生活感があり、食料なども蓄えられている。それを失敬して、ヒロは"銀"に料理を振舞ったりもした。

「なんであの包丁さばきでこんな料理ができるんだろう……」

「だから、わたし料理は得意ですから」

 テーブル向かいの椅子に座っている妖精が、どうだとばかりの笑顔を作る。その表情がかわいらしすぎて画面向こうの英治がしばらく黙ってしまうほど、彼女は魅力的であった。

「でもわたし、自分の家でてからもうご飯は食べられないかもしれないって思ってたから、ホントよかったです」

 家主さんには悪いけど……と付け加えながら、ヒロは自らが下ろした魚のムニエルを口に運ぶ。

 ちなみにここで、"銀"はこの世界の照明についてヒロに学んだ。

 この世界の家のほとんどには、電気の明るさと遜色のない発光物質が部屋の四隅に置かれていた。体温に反応するらしく、その球体に触れるとついたり消えたりする。これをヒロに紹介された時は"銀"も面白がって何度か試してみていたが、とにかく、日本の一般家庭の夜と同じく、目の前に並んでるご馳走も、その向こうでフォークを少し変わった手つきで操っているヒロも、昼と同じように見ることができる。

「ヒロはやっぱ食べないと死んじゃうの?」

 "銀"がレタスをかじりながら聞くと

「そりゃ、死にますよ……銀さんは死なないんですか?」

「向こうの世界なら死ぬだろうな」

「向こうの世界なら……?」

「こっちなら死なない」

 間違いないと思う。断言した。

「「追われる者」ってやっぱり特別なんですね……」

 矢が刺さっても平気で動き回っている、食べなくても平気、加えて超人的な強さ……。

「世界中が敵ならそれくらいでやっとつり合うだろ」

 食料に関しては、もう少し失敬して、保存食になりそうなものをいくつか袋にまとめてある。もとよりゲーム内のことだと思っている英治にそんなに罪悪感もない。

 そして何よりもいい物を見つけた。この街の地図。

「えっと……」

 ヒロはテーブルにその地図を広げてみせた。窓の外を見ればすでに完全に日は落ちている。

「……わたし達が行こうとしてるところはここです」

 地図の一点を指差す。

「で、わたし達が今いるところがこの辺です」

「広っ!」

「はい?」

「いや、アンタのことじゃない」

 この辺……と、指で丸を描いた円の大きさが半端じゃない。

 昨日囲まれて襲われた後、わからない道をたどってここまで来た。要するに、ヒロも今ここがどこかが、分かっていないらしかった。

「この、大きな寺院がありますよね? これはまだ絶対に越えてないです」

 その声は限りなく頼りないが、自分の街とはいえ、一日かけても歩けないところまで正確に地形を把握している住人などなかなかいないだろう。何にしてもヒロの言う目的地はまだまだ遠いことが、そんなあやふやな状態でもわかった。

「まぁ明日までここで休んでから……」

 その時だ。

 ガチャッという音と共に正面の玄関が開かれ、外の風が吹き込んできた。「しまった」という、あからさまな動揺を携えて門の方へ振り向く二人。

 しかし本当に驚いているのは扉を開けたほうのようだった。

「え……?」

 という、脊髄から生まれたような短い感想が思わず口から漏れる。

 そこには、金髪で、いわゆるおかっぱの少女が、ドアのノブに右手をかけたまま、目を真ん丸くして立っていた。

 英治たちの世界とはまったく違うデザインだが、どことなく学生服を思わせる、萌葱色のブレザーっぽい服装で、膝までのフレアスカートをはいていた。

 「それ」が地蔵のように"銀"達をみて立ち尽くしている。"銀"も、現れたのが戦いとは無縁そうな女とは意外で、呆気にとられていた。

 もっとも、これはほんの数瞬の出来事である。先に動いたのは少女のほうだ。

 彼女は目を真ん丸くさせて硬直したまま、その扉を開けた形と同じ形で、静かに閉めなおした。たぶん、自分はまだ帰ってなかったことにしたのだろう。

 そのまま、膝も曲がらないままに五歩ほど後ずさると、きびすを返し家に背を向ける。そしてすっかり日の落ちた夜道を一目散に走りだした。


「まずいかな……」

 それを見送った"銀"がかすかに罪悪感を感じてつぶやく。あんまりリアルなのは問題だなと思ったのは初めてじゃないが、再びそう思った。

 ヒロと顔を見合わせれば、彼女もばつが悪そうだ。

「人、呼ばれますよね……?」

「うん、たぶん」

「ハァ……」

 ヒロがちょっとうなだれる。

「わたし、筋肉痛だらけなのに……」

 それでもぎしぎしと立ち上がり、先ほど保存食を詰めたバッグを背負う。そしてキョロキョロと辺りを見回し見つけてきた羊皮紙にインクを走らせた。

 ~バッグと食料と地図をお借りしました。いつか必ずお返しします~

 そんな、"全身筋肉痛"の彼女の姿を眺めつつ、英治は自分と彼女の違いを思う。

(生きている……ねぇ……)

 生きているかどうかというのは筋肉痛になるかどうか、バッグを借りますという置手紙をする配慮ができるか、ではない。実際の肉体を持つわけでもないヒロだが、これほど自分で考え、受け答えをし、行動ができる。それでも生きていない状態というなら、生きている状態というのは、どういう状態を言うのか。

 ……ヒロの美しく整った文字を眺めながら、その目に暖かさを宿し始めた彼がいる。

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