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『名も無き物語』  作者: 矢久 勝基
第1章 神に見放された少女
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第十節

 その時、周囲の風が、一斉に揺らめいた。

 無数の影が辺りの風景を三百六十度さえぎる。半数が巨大なたいまつに火をかけていて、半数が矢をつがえているのが見えた。

「ヒロ……少なくとも今回だけは俺がアンタのことを死なせねえ」

 そう決意をした"銀"が、剣を抜きながらヒロを背中に隠す。が、状況は限りなく厄介だ。

 四十近い弓の人数もそうだが、彼らのほとんどがぬかるむ沼の中にいる。

 足をとられながら彼らの元まで到達することがまず困難だし、到達しても一人一人の間隔が広いため、また一人を斬りにいくまでに横から後ろから集中打を浴びる。自分は耐えられたとしても、ヒロが耐えられまい。

 苦りきった"銀"の表情を浮かび上がらせるかのように、いくつものたいまつがあぜ道に投げられる。

「王手……だな」

 後ろで声がした。先ほどの男だ。

「なるほど、ここまでシナリオ通りか」

 自分たちはあの攻撃で、ここに誘導された。安い手に引っかかったものだが、急場の際の判断力がどれだけ鈍るかということも知った。

「貴様は俺がしとめるよ。「追われる者」」

(くそ……)

 今の状態はまずい。何か手を……"銀"は八方から突きつけられている矢尻にせわしなく目を移しながら必死に知恵を搾り出そうとしたが、とっさに浮かぶ案がない。

「ヒロ……今からでも遅くはない。戻らんか」

「……」

 ビッツの声は尖っていたが、彼女を見据えるその瞳は声とは裏腹に、どこか頼りなく揺らめいている。

 しかし、その意図を汲むことのないヒロに、この男は苛立ちを募らせた。

「ヒロ!!」

 そしてこの男もまた、これほどの危険を冒してまで"銀"から離れないヒロの苦悩を汲むことができない。

「クッ……!」

 心の通い合えない戦場はしばらく凍りついていたかのようだったが、やがて苛立ちに任せた男の声がそれを叩き割るような声を上げた。

「撃て!」

 一斉に放たれる矢。いまだ"銀"に案はない。反射的にヒロに覆いかぶさって伏せる。

 降り注ぐ矢の雨が辺りの風を引き裂いて、"銀"の周りに突き刺さる。その風切り音は当たらずとも生命を削り取ってゆくが、彼らの技術不足か数のわりに当たらない。何斉射かしてようやく何本かの矢が"銀"を傷つける程度で、それも急所には程遠かった。

 それがさらにフードの男を激高させる。

「なにをやっている!! 包囲網を狭めてもいい! 確実に致命傷を負わせるのだ!!」

 ビッツの号令で兵たちは沼の中を音を立てながら前進し、慣れぬ弓を引き続ける。やがて一本が"銀"の心臓付近を捉えた。

「ぐゎぁ!!」

 "銀"の突き刺さるような声が夜の只中に響き渡る。

「銀さん!!」

 その身体に包まれたまま声に反応したヒロの悲鳴で、ビッツは直ちに攻撃中止を命令した。とどめは自分で刺さなければならない。

(忠実なものだ……)

 目の前には「追われる者」という、この世界での最大のターゲットがいる。命令を聞いている自警団諜報部の一人一人にとってもそうであるはずで、この状況での攻撃中止を受け止める部下たちにやや感心しながら、彼はいくつかの矢を吸い込み動かなくなった"銀"に近づいた。

 近づきつつ、黒いフードの中から三十センチ程の短剣を抜く。

「意外に簡単なものだったな」

「ビッツ! もうやめて!!」

 ヒロはもがくが"銀"に被さられたまま思うように動けず、半狂乱にもだえて声だけで彼を止めようとしていた。ビッツはそれを嘲笑う。

「俺達が生まれてきた意味だろう? 貴様に止められるいわれはない」

「ビッツはいいの!? 誰に仕組まれたかもわからない目的に振り回されたりしても!」

「誰に仕組まれる仕組まれざるに限らず飯は食うだろう。就寝もするだろう。同じだよ。生きる目的が与えられているのは当たり前のことだ」

 ビッツはやや前かがみになり勝ち誇ったようにヒロの顔を覗き込んでいる。ヒロは悔しそうに彼を睨みつけた。二人、ほぼ手の届く距離にいる。

「ヒロ……貴様はしばらく俺が預かるよ。ユンク支隊長では公平には裁けんだろうからなぁ」

 薄ら笑いになにか濁ったものが混じっているようで、ヒロは寒気がした。

「とにかくやめて!! 銀さんを殺さないで!」

「黙ってろ」

 そんな彼女の耳元で、不意に声がした。声の主は風に舞い上がったかのように飛び上がると黒ずくめの男のナイフを奪い、片手で彼を拘束してそれを背中から首に突きつける。

「なに貴様!?」

 一斉にざわめき立つ周囲。"銀"はすばやくそれを制した。

「おっと動くなよ」

 剣は瞬きひとつで首領の命を絶てる場所にある。下にいるヒロさえも呆気にとられている中で、"銀"は不敵に笑った。

「悪いなー。こういう卑怯手しか思いつかなかった」

「貴様、まだ動けるのか……!?」

「まだっつーか、ぜんぜん普通だよ」

「馬鹿な……!」

 たしかに馬鹿な……であろう。身体にいくつもの矢が突き刺さったまま平然と笑っていられる人間などいるわけがない。

 ……この状況は"銀"にとって、勝ち目がなかった。

 だが、"銀"へのとどめを、ビッツが刺さなければならないところに穴があった。

 そんな意図は知らなかったし、まさか"銀"自身もこの男が手の届く範囲まで来るとは思っていなかったが、"銀"のとっさの芝居のおかげで、手を伸ばすだけで相手の獲物を制するチャンスに恵まれた。

「さて、悪いけど逃げさせてくれ」

 ビッツに剣を突きつけたまま、ヒロを立たせて自分の剣を拾わせると、じりじりと歩き出す。円を抜けてしまえば後は何とかなるだろう。


 そこに声がした。

「やはりその程度だよなぁ、ビッツ」

 声の元のほうへ一斉に顔が向き、声の主を捉えると、男はビッツと似たような黒いフードをかぶっていた。

「バーツ!?」

 ビッツの声が踊る。

 "銀"もビッツと同じ背格好をしたこの男には見覚えがある。あのユンクという男に自分たちの監視を命じられたもう一人だ。

「「追われる者」よ。愚かな弟が片手落ちの計画を立てて申し訳なかったよ」

「おう、今度はもう少し勉強させてやりな。俺たちがここを出たら、こいつ開放してやるから」

「その必要はない」

 彼は周りの兵たちに攻撃準備を命令した。彼らはやや動揺しつつも不揃いに矢をつがえ始める。

「おいおい、こいつが死ぬぞ」

「そのつもりだよ」

「おい! まて!」

 叫んだのはビッツだった。

「やめろバーツ! お前まさか……」

「捕まったお前が悪い」

 フードの中で表情はわからないが、冗談でいっている風はない。

「一緒に死んでしまえ」

「マオラを裏切るのか!?」

「黙れ」

「よろしいのですか!?」

 部下であろう一人が言う。バーツは平然としたものだ。

「貴様らを支隊長へ報告もせずに勝手に動かしたのはあいつだ。処遇はユンク支隊長から俺に任されている。やれ」

 そういうウソを用いた。一任などされてはいないが、バーツはユンクにもっとも近い立場にあり、格もビッツより上であったために、急場の判断として、団員たちは納得した。

「撃て!」

「あぶねえ!」

 号令と共に放たれる矢が"銀"、ヒロ、ビッツに無差別に襲い掛かる。"銀"は刹那、拘束していたビッツを突き飛ばすとヒロに飛び掛って沼に転がった。凶器がすぐ上を通り過ぎ、再び二人の周辺に散らかってゆく。

「いくぞヒロ」

 泥まみれになりながら、"銀"が叫ぶ。

「はぃ! でもどうやって……」

 周りは弓を持つ自警団の兵隊に囲まれている。

「周囲が針山になるまで撃て」

 その間にも、バーツと呼ばれた男の無情の指示と共に放たれる矢のいくつかが、周辺の土や泥を巻き上げた。

「いいかヒロ、さっきとは状況が違う。一気に走って囲みを突破してくれ!」

 状況の違いとは包囲網の狭さだ。

 彼らは未熟な弓の技術を補うためにその円を大きく縮めてしまった。今やほんのわずか駆け抜ければその円の外周を突き抜けることができる。

「しかもこいつらは今、包囲網が狭すぎて水平には撃てない!」

 同士討ちになってしまうリスクは彼らも負うまい。おのずと射線は打ち下ろしに限られるはずであった。

「だから飛び跳ねながら走ってくれ、もし囲みを突破できるならそのまま逃げて」

「銀さんは……?」

「人数減らさないといつかやられる」

 戦うつもりだった。足場が悪いとて、これほど近づいていれば何とか剣も届くだろう。乱戦になれば弓は使えない。

「怖い……」

「がんばれ! 絶対に生きてここを出るぞ!!」

 覆いかぶさるようにうつぶせに重なっていた"銀"は中腰になりヒロの手を強い力で引くと先に行かせた。

「走れ!!」

「は、はぃ!!」

 ヒロにしてみれば無我夢中である。言われたことを忠実に、カモシカのようにしなやかに飛び跳ねながら、一直線に離脱を図った。

 続いて"銀"も同じ方向へ飛び出す。

「出たぞ! 撃て!!」

 その背中を追いかける声と風切り音。暗がりで、しかも激しく動いている者に弓の照準などそうそう合うものでもないが距離が近い。狙われた"銀"の身体には何本かの矢が刺さった。痛くはないが死んでも困る。不規則に動いて的を絞らせまいと思った矢先、彼はヒロを狙って仰角に構えている射手を見た。

「ヒロ! 飛びこめ!!」

「あ!」

 同時に放たれる矢とヒロの短い悲鳴。しかし彼女は忠実に"銀"にしたがって、あぜ道から沼へ飛び込んだ。一瞬遅れてその背中を飛び越した"銀"が、泥を跳ね上げながら、目前に迫った射手を真正面から斬り落とす。

「ぎゃぁ!」

 その男が汚い悲鳴を上げるころには右、左の男達にも剣が達していた。

 乱戦。敵の目の前に味方がいるのに弓を撃てる者はいない。

 "銀"は沼の中でしかし、自分の重さを感じないわけで、足をとられつつも驚くほどのすばやさで人と人の間を縫うようにして走り、次々と斬った。

 中には弓を捨て、剣を抜いた者もいたが、"銀"と対面してまともに斬りあえる者などいない。思うように動けない中で、振りかぶれば胴を、突けば半身でかわされて袈裟に斬られて二つになっていった。

「うるぁぁぁ!!」

 魂をうならせ、豊富な実戦経験を元に人の塊に何の躊躇もなく飛び込んでいく"銀"。

 目標をひとつに決めず、走り回っては手当たり次第に斬る。たとえそれが致命傷にならなくても、次の目標を目指し一つ所にいないことが、一対多数において自分が手傷を負わないためには大切だった。

(強い……)

 今しがた仲間であるビッツごと"銀"を葬ろうとしていたバーツは、半ば他人事のように次々と仲間が倒れてゆく様を眺めていた。まるで鬼神ではないか。

 確かに彼らは諜報員であり戦闘訓練は浅い。しかしこれだけの包囲をもって奇襲をかけて簡単にひっくり返すのは、並大抵の実力でできることではない。

「ふん……」

 バーツが背を向ける。

 もともとビッツをおとりに"銀"をおびき寄せる感覚の持ち主である。回生の手段がないと見るや、この戦場を部下ごとあっさりと捨てるのに何の躊躇もなかった。明日になれば、弟の死体でも回収しにこよう。

 ……阿鼻叫喚の地獄と化した街外れの水田地帯を尻目にして、彼の姿はいつの間にか消えていた。

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