嵐の後の天弓。
嵐の後の天弓。
先程まで、空を染めていた白い雲を、暗雲が塗り替え、天高く雷が鳴り、大粒の雨が大地に降り注いだ。
俺は、急いで最寄りのバス停へと駆け込んだが、時既に遅し、集中豪雨の脅威は凄まじく、一瞬にして、服の内側まで水が染み込んできた。
「いやぁーっ、いきなり降ってきましたね」
「…」
バス停の屋根の下に潜り込んで直ぐ、雨宿りの先客と思しき女性に声を掛けた。
彼女は、返答も会釈も無しに、俯いたまま立ちすくんでいた。
俺と彼女の距離は、およそ一メートル。ただ、今はその溝が深く感じられた。
ザーッ、ザーッと…
雨音だけがバス停の中に響いた。
遠く、交差点に様々な色の雨傘が咲いていた。
その様子を眺めながら、今の状況を思い返し、俺はため息を一つこぼした。
「うっ…くっっ…」
水の弾ける音に耳を傾け、煙草に火を点けていると、右隣から歯を食いしばり、声を殺して、泣いている様な声が聞こえてきた。
というか、彼女は声を殺し、泣いていた。
雨に濡れたせいで、湿気った煙草に、やっと火が点いた瞬間、風が吹き、彼女の黒髪が揺れ、横目で様子を窺っていた俺の目に、唇を噛み、涙を必死に堪える横顔が写った。
「えーっと」
俺は煙草を吸うのを躊躇い、この場から逃げ出そうかと思った。
ただ、逃げ出す事は出来なかったが…その理由は単純で、気の利いた言葉を言いたいだとか、慰めたいなんて感情ではなく、俺が動く事で、彼女が完璧に崩れ落ちそうだったからだ。
俺が、そう思わされる程に、彼女の醸し出す雰囲気は脆く、儚かった。
だから、柄にも無く声を掛けてしまったのだ。
「何か…あったんですか?
ここで会ったのも何かの縁だ。雨が上がるまで、俺が話を聞きましょうか?」
「いえ…別に大丈夫です」
「俺には…そうは、見えません」
俺の言葉に反応し、顔を上げた彼女の目は、赤く腫れていた。
止めど無く流れる雨の音に、周りの音が掻き消され、世界が俺達を取り残して、無くなった様な感覚に陥った。
「貴方は他人です」
「ですが、貴女は泣いています」
「…だから、何なんですか?」
「泣いている人を…しかも、女性を見て見ぬ振りなんて、俺には出来ません!」
「はぁ…もしかして、ナンパですか?少しでも、貴方を良い人だと思った私が馬鹿でした」
未だ、雨は降りしきり、彼女の瞳は腫れているが、唇を噛み締めることは、していなかった。
俺には、その事実がたまらなく嬉しく、彼女の儚さが緩和されているように思えた。
煙草は半分程燃え尽きた。
「ナンパか…いや、ただ…最近、幽霊とばかり話していて…人と話せそうだと思った途端、舞い上がってしまったみたいだ。すいません、事情も知らずに、突っ込んだ質問をして」
「おかしな人ですね…
幽霊なんて信じてるんですか?」
「はは…信じてますね」
「そんな非科学的なモノ、あるはずないでしょッ!!」
突如、怒鳴り声をあげた彼女。
だが俺は、そんな事よりも、この人はコロコロと表情が変わる、人間らしい人だなぁ…と思っていた。
確かに、怒鳴られて驚いたのは、驚いたが…
「ごめんなさい、いきなり怒鳴ってしまって」
そして、彼女の表情は、また変わる。先程まで、怖い顔をして、怒っていたかと思うと、今では申し訳なさそうな顔で、俺の事を見ていた。
不思議な人だ…素直にそう思った。
「いえ、人に怒られるのも良いもんですよ?」
「え…えーっと、もしかして、マゾヒスト?」
「は、え!?違います!
ノーマルです!ドノーマル!」
煙草を片手にブンブン振り回し、否定した。
初対面でマゾヒストと思われるのは、どうしても避けなければならない。何故…って?それは、俺が嫌だからだ。
大した理由は無いが、取りあえずマゾヒストと思われるのは、心の底から嫌だった。
「ふっ、ふふふ…ははははっ」
「ど、どうしました?」
俺の言動を目を丸くして見ていた彼女は、お腹を抱えて、笑い出した。
その様子を、俺は呆気に取られながら見つめていた。
「いや、幽霊の存在は肯定するのに、自分がマゾヒストだっていうのは、必死に否定するものだから…おかしくって、つい」
「あ、あぁ…」
気が付けば、雨は勢いを失い、遠くの交差点に咲く傘の色が、先程よりも濃く見えるようになっていた。
戯れの時間も終わりだ。
俺は、フィルターまで吸い切った煙草を、携帯灰皿へ押し込むと、雨宿り中の戯れに別れを告げた。
「通り雨でしたね。
雨も上がった。話は約束通り、これで終わりです」
「え、あ…はい」
「俺は行きますね。
このままだと風邪を引く」
そう言って、びしょ濡れの服の裾を見せた。
彼女は、名残惜しそうな表情で、俺の事を見た。
だから、最後に俺は言ってやった。
「実は、俺…マゾヒストかも?」
「え…?」
それだけ言い残し、雨上がりの街へ歩き出した。
三歩ほど進んで、水溜りを覗くと、小さく手を振り、笑顔を浮かべた彼女の姿が映っていた。
たった、五分間…
煙草、一本を吸い切るまでの会話だったが、俺は、彼女に何かをしてあげることが出来たのか…
その答えは、水溜りの中を見れば、分かった気がした。
俺は振り返らず、手を上げて、彼女へ別れの挨拶をする。
もう会うことは無いだろうし、別れを惜しむ時間も、それほどの関係でも無い、軽く手を振ると、頭の中は、次の仕事の事でいっぱいになっていた。
「嵐の後の天弓…か」
不意に、見上げた空には、虹が架かっていた。
見ての通り、ド短編です。
まだまだ、未熟な所が見え隠れしていると思いますが、読んで頂けたことは、ありがたく思います。
贅沢を言えば、感想やポイント評価、Twitterのフォローをして頂けたらと…
後、短編ですが、長編にした時の構想もありますので、リクエストがあったり、私自身が気乗りすれば書こうかと思うので、良かったら、見てください。ちなみに、ジャンルはファンタジーになります。
最後にありがとうございました。
@IttoJp