脱走
タニアが部屋から連れ出されて、何時間が過ぎただろうか。
『食事の時間です』
女性の声が、天井のスピーカーから部屋中に響き、白いフローリングの床の一部、円状になっている場所が機会音と共に開いて中からひとつのケースが現れた。
五十嵐が真っ先に走り出し、中を確認する。
どうやら食料が入っているらしい。スティック状の携帯食料が8つ。おそらく一人ふたつなのだろう。そして、500ミリリットルの水が入ったペットボトルがこれも人数分、4本入っていた。
「…なんだ…これが食事だと?こんなんで腹の足しになると思ってるのか?馬鹿にするな!」
手に握りしめた携帯食料を床に叩きつけて叫んだ。
「おいおい、他の人の分まで投げないでくれよ?まあ、確かにまともな料理を出してもらえると思ってはいなかったけど、それでもこれはひどいね。料理ですらない。逆に考えれば、ここにコックはいないし、出前すら頼めない場所、とも考えられる。もしかしたら番組のクルーたちもこれを食べてるかも」
日下部が床に散らばられた携帯食料を拾って、田口と立花へ手渡しながら言う。
「おい!聞こえてるのか!」
五十嵐はなおも天井に向かって叫び続けていた。
「はーい、はいはい、聞こえてますよっと」
その光景をスタッフがコーヒーを飲みながら、監視モニターの前で笑いながら言った。
「こっちの声はそっちに聞こえないけどね」
両足を机の上に置き、まだ開始から4時間もかかってないというのに監視に慣れたのか、緊張感も薄れ、もうすっかりとリラックスモードだ。もはや非常事態はおきないと安心しきっている。
牢獄にいる4人に与えた携帯食料をむしゃむしゃかじりながらつぶやく。
「俺達でさえ出前はおろか、コンビニの弁当すら食えねーんだぞ。お前達は食えるだけ感謝してもらいてーな」
まるで自分達が彼らの生殺与奪があるかのような言動だ。
「なあ、お前、エスって映画知ってるか?」
「なんすか?それ」
「心理学の実験でな、大学生数十名の男女を、「囚人役」と「看守役」に分け、数日間、それぞれの立場で刑務所生活を送らせると、最初は仲良く笑いながらその役を演じていた。だが、日増しに本物らしい振る舞いになり、囚人は卑屈な態度に、看守は命令口調になったそうだ」
いまのお前のようにな。と続けた。
「でも、こいつらは本当の囚人っすよ?」
「お前は本当の看守じゃないだろう?いや、本物の看守でもこんな閉じ込める事はしない。この実験は二度と行ってはならない心理学界のタブーになったらしい。のめりこまないように気をつけろ。……手を汚すのは俺だけでいい」
「は?なんすか?最後聞き取れなかったんですけど」
「……いや、なんでもない」
散々騒ぐ五十嵐の後ろにいる人物を見ながら、プロデューサーはつぶやいた。
「ちっ!」
騒ぎ疲れたのか、五十嵐は舌打ちをして自分で投げ捨てた携帯食料を拾う。
そして、そのままゆっくりと歩き出し、水を飲もうとしている日下部に近づいて肩をくむ。
「なあ、お前、ここから簡単に逃げ出せるって言ってたな?よくわからねえし、信用できないが、俺も便乗させてもらえねえかな」
すごい言い草だが、五十嵐は日下部を値踏みするような目つきで見ながらも、断らせないように話をもっていく。
「タニアを見て奴らが警察やただのマスコミとは違う事がよくわかった。もっとタチが悪ぃ。ここにこのままいてもどうせ進展はない。奴らの思う通りのシナリオで俺らの罪が暴露され、真空パックされて警察にお歳暮を送るかのようにノシつけて渡されちまう。これだったらいっそバラされてもいいからここから逃げ出して、海外にでも行ったほうがマシだ。港までつけりゃ海外に出られるツテはあるんだ。だから、どうだい?取引しないか?」
五十嵐がそこで肩を組む力を強め、日下部に座れというように圧力をかけながら、さらに小声で話し出す。
「お前は俺をここから出す。俺はお前を海外まで連れていってやる。ここだけの話、ヤクザの金を横領したんだ。お前くらい簡単に連れ出せる。フィリピンでもタイでもいい。なんなら、女のひとりやふたりおまけにつけてやるぜ。気兼ねなく、自分の好きなように扱えるんだぜ?」
「あ、それなんですけど……よく考えたら、あいつらがこの部屋の扉を開けるまでは、俺の力だけじゃ外に出られないの忘れてました。思った以上に壁が厚いようでして。まあ、さっき外人の人を連れていったように、この部屋に入ってきてくれればなんとか脱出もできると思うんですけどねえ……」
下手に出ているように敬語ではあるものの、ヤクザ相手でも日下部の瞳はまるで脅えてはいなかった。むしろ、目の前の男がどう動くのかを楽しむような、余裕のある笑みで語っていた。
だが、五十嵐はそれに気づいていない。
「本当だな?どうやるのかわからんが、ここから出られれば組のやつらに見つかるまでは少なくとも殺されることはない。このままじゃ刑務所に連行され、そこで殺し屋に狙われてしまう……俺の命がかかってるといってもいい。本当に出られるな?」
「多分……、俺一人なら余裕ですけど。責任はもてませんよ?」
「わかった。信じてやるよ。だから頼む。俺も協力するから出してくれ。いや、お前の邪魔はしないから一緒に連れてってくれ」
日下部の手を握りながら、懇願するように言う。
「まあ、いいですけど。そろそろ帰ろうかなとか思ってたし。でも、二人も逃げたら番組側も……」
「面子がつぶれるからやつらも本気でくるっていうんだろ?わかってるさ。奴らが金と面子にどれだけこだわるか。俺も同じ穴のムジナだからな。だが、やつらはまだ上品なほうさ。マスコミ様だからな。だが、俺みたいな下品な奴の考えてる事はまず思いつかない。そこがぬけ道さ。まあ、見てなって」
「期待してますよ。ところで、なんで横領なんかしたんですか?」
唐突に、聞きにくいことを躊躇なく聞かれて、五十嵐は不意をつかれ、不覚にも驚いた顔をしてしまった。
「ふ、わかった。教えてやるよ。政治家が俺の親分に渡す金を盗んだのさ。土地転がしで儲けた金の一部をな。だから俺がここにいることがバレたら、奴らは刑務所にでも殺し屋を送りに来る。表からも裏からも逃げられなくなるのさ」
五十嵐は脂汗を流しながら話す。
「ふーん、なるほどね」
「……それだけかよぉ?もっとなんかあるだろ。感想が」
「いや?特に。それなら、僕がなんとかできなくもないですけど、まあ、海外に逃げた方が楽かもしれないですよ」
もう話は終わったというように、日下部は肩に置かれた手を離して、再び壁を背にして座りこんだ。
「とりあえず向こうからアクションがあれば貴方をここから出せると思うんで気楽にお待ちください~」
「あ、ああ……」
狐につままれたような顔をしながら、五十嵐がうなずく。
「なんだか調子狂うなぁ……」
「……なにを話してたの?」
ひそひそ話しが気になったのか、田口と立花が神妙な顔つきで五十嵐を見る。
「どうやらアイツはここを脱走するらしい」
「えっ……」
自分も脱走に加わる事はふせておきながら、会話の内容をかいつまんで話す。
「そんなことができるのか……!?」
「しっ!」
五十嵐は口に指をたてて、声を抑える。
「アイツが言うには、どうにかしてあそこの扉さえ奴らに開けてもらえば脱走できるらしい……この会話を奴らに聞かれたら警戒されちまう」
田口と立花の食料を手渡しながら、五十嵐はふたりを座らせて、小声で話し出す。
「どうやってここを出るかはわからん。だが、アイツに付いて行けばもしかしたら俺達も出る方法が見つかるかもしれない」
「ここから脱走なんて……ムリに決まってる」
「そうね……仮に抜け出せても、私達が犯罪者なのは確かな上に証拠は番組側がすべて握っているはずよ。警察から指名手配されるのを待つくらいなら……」
「そうだっ」
五十嵐が何かに気づいたように、少し大きな声を出した。
「俺達は、なぜ捕まった?」
「なぜ?」
この状況で、あまりといえばあまりに当たり前すぎる疑問を口に出す五十嵐に、田口が首をひねった。
「私は……婦女暴行で……」
「そうじゃない!つまり、どこで、いや、やはり何故としか言いようがないのだが、どうして俺らの犯罪がバレたのか、それはまあいい。事件が発覚したことで警察が捜査をして、その情報をTV局が入手する。それはわかる。だが、どうやって俺達の居場所を探り、俺達の身柄を確保できたのかってことだ」
そこまで言って、床を見つめながら少し考え込むように黙る。
「言われてみれば確かになぜかしら」
立花も不思議に思ったのか、首をかしげる。
「これはひとつの可能性なんだが……」
そう言い、立花の顔をみながら切り出す。
「俺はお前達の言うところのヤクザで、暴力団関係の会社の組員だった。俺は先週、組を裏切って金を奪った。この情報だけならちょっと探れば下っ端の噂話からわかるだろう。だが、俺の居場所まではわかるわけがない。逃亡者だからな、慎重に隠れていたのに気がついたら奴らに囲まれてた」
「……実は、私も撮影したビデオを裏で暴力員が流していた。私は組が所有するビルの地下で暮らしてた。その組は、ビデオの売り上げが半分を占めるような小さい組織だ。警察に組員がしゃべったりしないだろう。何故、見つかったのかさっぱりだ」
「タニアもヤクの売人をしていた。ヤクザの収入源になっていたはずだ。だから、もしかしたらここにいる全員は暴力団関係でここにいるんじゃねーか?あんたはどうだ?」
「私は……、よくわからないの……犯罪を犯したばかりなのに、すぐ捕まったわ。いきなり部屋に入ってきたかと思ったら、大勢の黒いスーツを着た銃をかまえた男性たちに囲まれて」
その恐ろしい光景を思い出してしまったのか、立花は自分を抱きしめるように肩を両手で押さ、身体を震わせる。
「やはり、ヤクザ絡みか……わかった」
五十嵐が難しい顔をしながらつぶやいた。
「俺がいた組の分家に、裏の情報を集める仕事をしてる奴がいるって聞いた事がある。そこから情報を買ったかもな」
「あのー?」
黙って聞いていた日下部が、壁に寄りかかって座ったまま、遠慮がちに口を挟んできた。
「なんだ?」
さっきまでの表情から余裕が消え、なにやら言いにくそうな笑みを浮かべながら3人を見ている。
「そのー、情報を集めるうんぬんってやつの話なんですけど……知ってる奴かも」
「なんだって!?」
五十嵐が驚きの表情で叫ぶと同時に、壁に内臓されているモニターが点いた。
<犯罪者の諸君、食事のお味はいかがかな?やがてやってくる罪への判決を恐れて、味わえなかった?それでいい。君達は自分の犯した罪を悔いて、部屋の隅で膝を抱えながら猛省すべきなのだ>
「ふざけんな!」
モニターに指差し、五十嵐が叫ぶ。
<次なる被告人は五十嵐君!君だ>
「なっ……くそっ!」
急に名前を呼ばれ、一瞬驚きの声をあげたが、五十嵐は表情を強張らせて唇を噛み締めながら田口を殴った。
「ぐはっ……な、なにを……」
「おい!このロリコン野郎!てめぇと同じ空気を吸っているだけで虫唾が走るんだよ!さっさと刑務所へ行きやがれ!」
突然の豹変に、田口は目を白黒させながら頬を右手で押さえ、文句を言う。
「な、なにをいきなり……」
「うるせぇ!」
何も言わせまいと、五十嵐はさらに田口の腹を蹴る。
「ぐはっ!」
激しい音と共に、田口の身体は床に倒れこみ、地面に背中を打ち付ける。
<ちょっ!お前ら!?>
司会者も突然のハプニングに出鼻を挫かれ、驚きの声をあげる。
普通の番組ならば、これらは放送事故としてカメラを止めれば済むが、これは生放送であり、むしろ視聴者はこういう過激な事故を求めていた。
演技そっちのけであわてたように、しきりにカメラ脇、おそらくディレクターからの指示が映し出されているカンペをちらちらと見ている。
だが、なかなか番組側からアクションはない。五十嵐はさらに攻撃をエスカレートさせていく。
「お前みたいな奴は痛い目みないとわからねぇんだ!俺がわからせてやろうかっ!あぁっ!?」
「やめてっ」
倒れている田口を問答無用で蹴りつける五十嵐が立花が腕を掴み、止めようとする。
だが、それすら振りほどき、今度は首を絞めようと両手をかける。
「……あ、ぐ……」
口を大きくあけてうなり声をあげながら、苦しそうに悶え五十嵐の両手を外そうと、田口が暴れ出した。
「そこまでだっ!」
5人を閉じ込めていた部屋の唯一の扉が開き、銃を持った兵士が六人、部屋に入ってきた。