雨上がりの午後
雨がしとしとと降っている。
黒い雲が太陽を隠し、どんよりとした存在感で自己主張していた。
「…………」
さほど広くないこの街にたくさんあるビルの一室で、一人の女性が外の天候と同じように晴れない気分で窓の外を眺めていた。
「ダーリン、今日も連絡ないね~」
「ここでは所長と呼びなさいって言ってるでしょ」
背後からの声に、窓の外を見ていた女性が振り返ってため息をつきながら叱る。
「だって、こんなんじゃ仕事にならないじゃない」
「表の仕事は私達の役目でしょ」
二人が居る部屋は、比較的他の建物を比べて新しいマンションだ。そして、会話から推測するにその一室を事務所にしていると思われる。
綺麗に整頓され、企業用に隔離された部屋で小柄な、ゴシック&ロリーターファッションの少女が客間のソファーにごろごろしながらノートパソコンをいじっていた。
「ま、彼のことだから心配はないと思うけど……」
と言いつつも、美崎絵里奈も心のうちでは丸1日連絡が繋がらない彼を心配していた。
所長とはこの事務所のオーナーだが、彼は表立った事が嫌いなので、部屋の名義も彼女の物だ。
表の仕事も裏の仕事も営業からスケジュール管理、接客、依頼の難易度にあわせて部下に指示を出すのも彼女。つまり、所長の仕事は全部彼女の仕事だった。
従業員は彼女とその妹の美崎憐、それから所長の三名。
所長とは、絵里奈と同い年の青年で、妹の憐とはいわゆる『友達以上恋人未満』の関係だ。
その3人がマンションの一角をわざわざ事務所にしてどんな仕事をしているのかと言うと、一言で表すとすれば探偵業をしていた。
だが、浮気調査や人探しよりも、彼女らには暴力関係の解決を求める依頼人が多く、この事務所に来る人間は探偵所の名前ではなく、別名の方が知名度は高かった。
人はこの事務所を『暴君の影』と呼ぶ。
相手が誰であろうが頼んだ次の日には相手に恐怖をとり憑かせて解決すると評判で、その名は闇から闇へ、裏側の世界に鳴り響いていた。
だから、所長は裏の世界では恨まれている可能性は十分にあり、拉致、殺されてる可能性だってないとは限らない。
「電話も繋がってるのに、全然返事ないし~」
憐が携帯電話を見つめながら、不安を口にした。
こういう風に、感情を素直に出せる彼女を、所長は好きになったのかもしれない。
自分のように、自分の気持ちをうまく表に出せない不器用な女よりも……
えりなは軽いため息をつきながら、そう思った。
「大丈夫よ。あの人、携帯は常にマナーモードにしてるから気がつかないだけかもしれないし。明日には連絡あるわよ」
そう明るく答えたが、えりなの気持ちも晴れなかった。
『ついていない日は何をしても一日中うまくいかない』という迷信を彼女は信じていた。
これは所長の口癖でもあったから。
ピンポーン
ふいに、そのジンクスの始まりを告げるかのように、玄関からチャイム音が鳴った。
「あ、ダーリンかな」
「あの人だったらチャイム鳴らさないでしょ」
そう言って、はしゃぐ妹の脇を通り、少し警戒した心もちで受話器をとる。
今日は依頼者が来る予定はない。
「……はい、どちらさまでしょう?」
(あ、えりなちゃん、、木下だよ)
その声を聞いた途端、絵里奈は受話器を戻しそうになった。
できれば会いたくない知人をあげろと言われたら、えりなは彼の名前をあげるだろう。
木下とは、所長の中学時代からの腐れ縁、つまりは友人と呼べる間柄だった。
所長を通じて絵里奈も何度か顔をあわせ、話をする知人から、食事を誘われる友人へ進展していき、一時は恋人と呼ばれるような関係になる。
だが、付き合う前は積極的に木下は自分からアプローチをしてきたのに、いざつきあうといなったら急に、まるで飽きたかのような態度をとるようになった。
そんな彼に激怒して一週間で別れてしまった。キスもしていない。
いま思えば、所長に対してのあてつけだったのかもしれない。
いずれにせよ、絵里奈にとって木下は昔の自分を思い出すきっかけなので、できれば顔も見たくなかった。
木下と別れた事を所長に告げると、もう二度と彼をここに呼ぶことはなくなり、しばらくは顔を見ていなかったのだが。
「所長は本日不在ですので、雨の中お越しいただいたのに恐縮ですが、どうぞお引取りください」
(ああ、違うよ。今日は依頼で来たんだ)
「依頼?」
絵里奈が、意外そうな声で聞き返した。
確かに、木下という男は依頼などの用事でもなければ自分から雨の日にぶらっと来宅するような自発的な人間ではない。所長と約束もしていないのだからなおさらだ。
(そうなんだ。とりあえず話を聞いてよ)
「……わかりました」
それだけ答えると、絵里奈は受話器を置き、振り返りもせずに憐にお客が来たから案内するように伝えた。
「は~い。木下さんでしょ」
憐ががばっと、顔を起こして、ネットを観ていたノート型パソコンも閉じずにとててっ、と玄関に小走りで向かった。
「いらっしゃ~い」
がちゃっ、と鍵をあけて、ドアを開くと黒っぽい傘を持っている木下が立っていた。
雨の勢いがかなり強かったのか、木下の肩と足元は一目でわかるほど濡れていた。
「こんにちわ。あいかわらず元気だね」
「看板娘ですから、なんて。でも、今はちょっと元気なかったんだ」
「へぇ、なんで?」
ドアを開いて玄関に足を入れた木下がちょっと驚いたような表情で聞いた。
「それがね、昨日からダーリンと連絡が……」
「憐、早く入ってもらいなさい。タオルも忘れないようにね」
「あ、いけない。どうぞ」
靴入れの中に入っているタオルを憐は一枚とりだし、木下に渡すと部屋に招き入れる。
「スリッパは好きなのどーぞー」
「ありがとう」
笑顔で答え、案内された部屋に入るとそこには絵里奈が立っていた。
「雨の中、ようこそいらっしゃいました。どうぞお座りください」
眼鏡をかけた知的美女、絵里奈が客間の中心に置いてあるソファーの横で営業スマイルを浮かべながら、まるで木下の事を初めて来る客のように、頭を下げて営業挨拶をする。
しかし、その眼だけは笑っていなかった。
「…………」
木下は彼女がかもしだす、絶対零度のような雰囲気に圧倒され、一瞬後ずさる。
「どうぞ、お座りください」
座れ、と繰り返す。有無を言わさない口調に、木下はさらに萎縮してしまった。
ただならぬ雰囲気だったが、話をしないで帰るわけにもいかず、どうしたものかと悩んでいると、後ろから燐が小声で背中を押す。
「どうしたの?お姉ちゃん、すごい怒ってるよ。こういう時は逆らわず、言う通りにしたほうがいいよ」
とどめを刺された木下は、あわててソファーに座った。
「少々お待ちください」
木下が座ると同時にそう言って、絵里奈は台所へ引っ込んだ。
絞首台に立つというのはこういう気持ちなのかもしれない。
不安のあまり、そんなことを考えていると、絵里奈はすぐに湯のみを盆の上に置いて持ってきた。
「粗茶ですが」
そう言って、木下の前にお茶の入った湯のみを置く。
「……えっと……?」
それを見た木下は、困惑した表情で、満面の笑みで立っている絵里奈の顔を見上げた。
「どうかしましたか?」
やはり、その瞳は笑っていない。睨みつけるかのように、細い眼で木下を見返す。
どうもこうも。木下の目の前に置かれたお茶は、とても濁った緑色をしていた。
誰の眼にも茶葉の入れすぎな事は明白で、飲まずともしぶいことがわかる。
それはミスやドジのレベルではない。彼女はワザとやっていた。
木下を見つめる彼女の視線は、「これを飲まなかったらどうなるかわかってるわよね?」と物語っていた。
これは彼女の機嫌を損ねた罪だということを木下もようやく理解した。
何故かまでは彼にはわからなかったが、このお茶とも呼べない泥水を飲まなければ難癖つけて話も聞かないつもりだろう。
どうしたものかと少し考え、悩んだが、意を決したようにその濁り茶に口をつけた。
やはり苦いのか、木下が苦渋に満ちた表情をする。
それを見た絵里奈も少し溜飲が下がったのか、満面の笑みのままソファーに座った。
「……依頼の話だけど、このパソコン貸してもらっていいかな、ぐほっ……」
むせながら、木下は憐が開いていたノートパソコンを持ち上げて聞く。
「いいよ。どうするの?」
木下の向かい、絵里奈の横に燐が座りながら聞いた。
「ちょっと……ね。あるサイトに、っと……ここのサイトから飛んで……」
燐の問いに、木下はぶつぶつとつぶやきながら、色々なサイトを開いていく。
「会社の上司から……っと、相談をうけてさ……調べていくうちに、ちょっとヤバそうな話かなーと思ったから、相談に乗ってもらおう……って、おっし、ここだ」
隠しリンクを何度もクリックして、ようやくお目当てのサイトが開いたようだ。
トップ画像が完全に開くまでの間に、懐から定期ケースを取り出して中から一枚の写真を二人に見せる。
写真には、清楚な中学生くらいの学生服を着た女性が立っていた。
憐が興味深い表情で写真に顔を近づけ、じーっと見つめてからふと聞いてきた。
「彼女さん?」
「違うよっ!」
木下はあわてて否定する。
今年26歳になる木下が中学生とつきあっていたら犯罪だ。
「これは五年前の写真。今はすっかりとグレてしまい、写真からものすごいかけ離れた格好になってるようだ」
言いながら、もう一枚の写真を見せる。
「これが現在の写真」
髪の毛は女性なら誰もが染めるような金色とも茶色ともわからない脱色した色、顔はつけまつげやらファンデーションやらで人相まで変わってしまっている。
「同じようにチャラチャラした男と一緒にかけおちしてしまったようで、ずいぶん心配していたよ……」
「だから、貴方が調べようとしたら自分の手にあまりそうだったから代わりに私達に依頼を頼もうと?まさか、自腹ではないんでしょう?」
人のために身銭をきるという事が嫌いな彼が、たとえ上司のためとはいえそこまでするとは思えなかった。
そもそも、出世にも興味はないはずだ。
心から気の毒だと思っての行動半分、損得半分。彼の行動を絵里奈はこう読んでいた。
「料金を聞いてから、値段次第では上司と相談……します……」
絵里奈に嘘をついたらどうなるかわからないという恐怖で、木下はしどろもどろになって答えた。
「すっごい納得。いくら割り増しして請求するつもりかしら」
「そんなことしないよ」
「これ……なに?」
パソコンを見ていた燐が、会話の途中で疑問の声をあげた。
ようやくダウンロードが終わり、サイトが開いたのか画面に映像が流れ出した。
背景も英語なので、最初絵里奈と憐は外国のサイトかと思った。
「日本の放送局が運営しているサイトだよ。音量は……ここ。それから、ここをの過去デモムービーってのをクリックして」
木下が画面の左上を指差しながら言う。
燐がパソコンに繋がっているイヤホンをはずすと、音声が部屋中に鳴り響いた。
<皆さん、こんにちわ。ニュース『犯人を裁くのは貴方だ!実況中継48時!』の時間が始まりました!前回の放送を観た方はご存知ですが、前回と同様、この部屋には犯罪を犯した容疑者が逮捕、監禁されています。ここには弁護士はいません。犯人が自分で弁護し、貴方がたに判決してもらうのを待っております。そう、彼らの罪は貴方がたが決めるのです!>
「……なによ。これ……」
絵里奈が呆れたような、驚いたようなため息をつきながら言った。
映像の下には、日本語、英語を筆頭に十カ国ほどの翻訳された説明文が添えられていた。
『空前絶後、前代未聞のネットによる公開裁判!貴方しか知らない、極秘の裁判です!』
かいつまんで読むと、つまりは日本の全国ネットで放送しているような大手のテレビ局が独自の調査で犯罪者を見つけた場合、逮捕、監禁できる旨が書かれていた。
つまりはここではそういう行為を録画して、番組として加工、放送しているということだ。編集はほぼなしのリアル中継を最大のウリとして。
絵里奈も燐もこんな倫理や道徳を無視した過激な放送は知らなかった。たまにチャンネルをまわすとやっている全国ネットの犯罪を放送する番組は見た事はあるが。
「この流れているデモは、先週終わった放送の回なんだ」
木下が机の上で指を組みながら答えた。
番組はすべて有料コンテンツになっていた。会費ではなく、観たい番組ごとで販売されていた。番組は最長でも48時間。それの前半後半にわけて代金を支払う仕組みになっている。
現在もなおこの番組は継続して製作、放送されているようだ。
デモムービーの最後に第二回目の告知があった。
「……これっ、今日の8時から明後日の8時って、今も放送されてるの?」
燐の問いに木下がうなずく。
「リアルタイムで24時間、犯罪者のプライベートなどおかまいなくね」
「悪趣味、な……」
絵里奈が吐き捨てるようにつぶやく。
「それで?こんな番組を見せて……まさか……」
「そう。出演者のとこを見て」
第一回目の出演者の詳細をクリックすると、犯罪者の顔写真からプロフィールまで細かく書かれていた。
第一回公開裁判記録 : 男性1名、女性1名
プレイ時間 : 15時間33分
出演者 : 間宮新太郎(25)、
罪状:高校生を集団で五名暴行(内二名に全治三ヶ月の重症を負わせる)、幾度となく老人から財布の入った鞄をバイクで突き飛ばし、その間に強奪した疑い。
新谷加奈子(19)
罪状:同居人の間宮新太郎と共謀して親切そうなお年寄りから金品を巻き上げた罪。
「その、新谷加奈子ってのがこの娘さ」
デモムービーに映っている、よく観ないと顔もろくに判別できないような荒い映像だったが、確かに写真の女の子に似ている。
「この放送の後、彼女がどうなったのか観た?」
「いや、それがまだ観てないんだ……」
うつむき、髪をかきながら木下はつぶやくように言った。
「観たくなかったっていうのと、観てしまったらその後でどういう行動をすればいいかとても不安になってしまって観れなかった……ってとこね。後、この入会金かしら?」
図星をあてられて、苦笑しながらうなずく。
デモムービーの最後には『この続きが観たい方は有料会員登録をお願いします(350$)』と書かれてあった。
円高とはいえ、三万円。丸一日の放送とはいえ、たった1日だけで三万円をとる番組をどんな内容であるか想像したら、とても最後まで観る勇気はでないだろう。
「まあ、これくらいの罪ならある程度予想はつくけどね。ただ……ネットによる公開裁判をウリにしている以上、通常の裁判にあてはまる『常識』は当然通用しないと考えるのが妥当ね。初回の放送ならインパクトをだすために……」
絵里奈はそこで押し黙り、腕を組みながらソファーに背中をもたれ掛ける。
「……この程度の犯罪で公開裁判をして、いくらやじうま達が面白おかしくはしゃいだとしても、普通に考えれば重い禁固刑。番組を盛り上げるためのインパクトとしてどんな罪であれ、死刑にするというのであればわからないけどね」
「いずれにせよ、この番組を観るしかないかなぁ。でも、四日前の放送だから、禁固刑だとしたらとっくに刑務所に入れられてるね」
憐がめずらしく真面目な表情で絵里奈をみる。
「ただ、番組を作ってる放送局が海外にあったらお手上げかな~。まだ『依頼』として動けないから必要経費をかけられないし、大手の放送局が母体だとしても子飼いのグループがゲリラ的な放送をしてるんだったら、私達には追い詰められないと思うけど。それこそダーリンがいないと」
「そうね。でも、まず木下さんに上司の方と相談してもらうとして」
絵里奈が意地悪そうな笑みを浮かべ、机にあるメモ用紙に、胸元に挿していた万年筆でさらさらと文字を書いていく。
見積書
捜査料(一日) : 2万円
必要経費(雑費): 別途請求
資料制作費 : 5000円
成功報酬 : 10万円
割引率 : 20%OFF
「これ、渡してね。あ、彼女を保護して親元に届けるとしたら、そのミッションの難易度によっては依頼料が発生しますんで」
言いながら、メモ用紙を渡す。
シビアな彼女に、木下はさらに苦笑の色を増した。
とはいえ、「しっかりしてるなぁ」とか皮肉など、恐ろしくてとても言えなかった。
それに、さりげなく割引してくれたし、例え上司が依頼を頼まずともとりあえずは調べてくれるだろうという信頼感ととりつく島もないほどの断られ方をされずに頼む事ができたという達成感もあったからだ。
話がひと段落し、木下の安堵感が「飲みかけのお茶をどうしよう」という悩みに変わった時、パラッパッパッパー、と事務所の電話が鳴り出した。
「あ、憐おねがい」
「はいは~い」
元気よく答え、憐が電話の受話器をとる。
「はい、美崎探偵事務所です」
「……じゃ、とりあえず帰って上司に話してみるわ」
残りのにごり茶をぐっと飲み干して、木下が立ち上がった。
「その人には酷かもしれないけど、この番組の話もしたほうがいいわよ」
「ああ、わかってる。そこを隠しても、逆に話がこんがらがるからな。じゃ、憐ちゃんもまたね」
電話対応している憐に向かって、右手をふりながら部屋を出て行った。
「申し訳ありませんが、所長は不在でして……は?あ、美崎の名前は二名いまして……あ、はい。では少々おまちください」
珍しく、憐が首をひねりながら保留ボタンを押して受話器を横に置いた。
「どうしたの?」
「えーっと……んーっと、ちょっとよくわからないんだけど、夕日テレビからだって。谷口さんっていうおじいちゃんっぽかったんだけど、『折り入ってお願いがあるから美崎さんはいるか?』って。代表の方って言ってたし、これはお姉ちゃんにだよね?」
「おりいった話?」
絵里奈が聞き返す。
夕日テレビとは、日本全国で放送されている大手の放送局だ。
なにかしら、とつぶやいて絵里奈は受話器を受け取り、保留を解除する。
「もしもし、お電話代わりました。代表の美崎絵里奈と申します。どのようなご用件でしょうか?」
(……実は、大変申し上げにくいお願い事がございまして……)
声の主は確かに初老を感じさせる男性の声だった。
(申し送れました。私、夕日テレビの会長をしております谷口と申しまして。絵里奈さんにご相談したい事がありまして、お時間を頂けませんでしょうか?ある意味緊急事態でして。事務所のすぐそこまで来ていますのでいまお時間がございましたら、どうかお話聞いていただけませんでしょうか)
確かに、声こそは冷静だったが、どことなく切羽詰っているような有無を言わさない雰囲気だった。
「わかりました。それではお待ちしております」
それだけ告げると、向こうもわかりました。それじゃあ、と答えて電話を切る。
「お客さん来るの?」
「そうよ。なんだかわからないけど。偉い人みたいよ」
私たちは全然そんなこと気にしないけどね。と言いながら、絵里奈はテーブルの上を片付けだす。
「コーヒーいれようか?」
「もうすぐ来るみたいよ」
憐がキッチンに小走りで向かって、やかんに水を入れてお湯を沸かす。
「インスタントなんて飲まないだろうけどね。形だけ形だけっ」
なにが愉しいのか、わくわくしたように笑いながら憐がぱたぱたとコーヒーを入れる準備をする。
「あ、お姉ちゃん~、さっき木下さんに出したお茶、あれ、わざとでしょー?こんなにおちゃっぱ入れて~!」
急須には山盛りの茶葉が残っていた。
これでは次に入れたお茶も相当濃いだろうことが予想される。
「好きな人に意地悪をしたいきもち……痛っ」
せかせかとマグカップを茶箪笥から取り出していた憐に、絵里奈がお盆で頭をはたいた。
「彼とはできれば会いたくなかったの。だから……もうそんな気持ちはないの。わかってね?」
「は、はい」
本気で怒っているのを理解した憐は脅えながら、何度もうなずいた。
ここで「でも……」とか、「そんなこと言っちゃって~」とか言おうものなら、確実に絵里奈は憐のほっぺたをこねくりまわすだろう。
幼少の頃から彼女の癖を知っている憐は、ほっぺたを抑えながら二度とこの話題はするまいと決心した。
ピンポーン
「あ、はーい」
逃げるようにして燐は玄関へ迎えに行った。
「……突然のことで申し訳ありません」
玄関のドアを開けると、電話をしてきたと思われる初老の男性と、つきそいの若い男性が立っていた。
「いえいえ、大歓迎ですよ。どうぞ。おあがりください」
憐の案内で二人を先程木下が座っていたソファーに座らせる。
「私が代表の美崎絵里奈です」
木下の態度から一変、まともな対応で名刺を渡す。
「これはご丁寧に。夕日テレビ会長、谷口です。よろしくお願いします」
名刺を受け取り、もうひとりのつきそいの方とも名刺を交換する。
「……それで、どういったご用件でしょう?」
「その事なのですが」
しどろもどろと切り出そうとした時、憐が台所からコーヒーを持ってきた。
4人分持ってきたということは、自分も聞こうという腹だろう。
「こちらの不手際でして、大変申しあげにくいのですが……。貴女方は報道について、最近話題になった『報道局による逮捕権』のニュースはご存知でしょうか?」
「……犯罪に関する報道番組を作る全国ネットで放送している局に、番組制作中や放送中に犯罪者を見つけたら逮捕することができる、というアレですか?」
ついさっきまで木下とこの話題で話していたので、なにやら変な気持ちで絵里奈が夕日テレビ会長の問いに答える。
「そうです。大手放送局にだけ責任問題などしっかりするという一定条件で犯罪者を逮捕、独占報道できる権利です」
神妙な面持ちで会長がうなずいた。
「当社でも、その権利を得れば放送の枠が広がる、と思いまして、我先にと申請しました。つい二ヶ月前に受理されたのですが……最初はつつましく、地道な調査で見つけた盗犯やインサイダー取引を逮捕する現場を録画放送していたのですが……」
「あ、その番組見たことあります。『代理警察24時』ですよね」
憐が横から口を挟んだ。すると、会長は少し喜んだ顔で燐を見る。
「そうそう。見てもらえましたか。ありがとうございます。結構視聴率よかったんですよ。ご相談とはそのことでして」
本当に困った顔で絵里奈と憐を交互に見ながら続ける。
「その視聴率に調子にのった番組クルー達の中で、さらにエスカレートさせた番組を作りたいという意見がでまして……プロデューサーやら現場監督やら、副社長を筆頭に複数の役員まで参加する始末で。ネットを媒体とした放送を始めてしまいました」
説明の途中から興奮してきたのか、会長は汗をかいてきたようだ。持っていたハンカチで額をふく。
「……どんな番組か大きな声では言えませんが、従来の全国ネットで放送されているような犯罪者にモザイクをかけてインタビューだけするというスタイルではなく、複数の犯罪者を同じ部屋に入れて罪を暴き、犯罪者を裁判にかけてその模様を見せるスタイルのようです」
「もしかして……」
とてとて、と憐が隣の部屋に置いてきたノートパソコンを取ってくる。そして、さきほどまで見ていたでもムービーを二人に見せる。
「これですか?」
「それです!」
指差しながら叫んだ。
「なるほど、それで?この番組に関しては少し私どもも調べてみようと先程決めた所ですが、あなた方はこの番組をどうしたいとおっしゃるのでしょう?犯罪者相手とはいえ、このような非人道的な番組を日本最大の放送局が流していることがばれたら大問題ですからね。止めさせたいという依頼でしょうか?」
それなら放送局の拠点さえわかれば、彼女たちにもできない事はない。
ただ、それだとなぜ美崎探偵事務所に依頼が来たのかが謎だ。
知名度で言えば下の下。一般人への公開もほぼしていない。完全なその道の口コミだ。やっていることは誰が見ても乱暴なやり方で、毎回死者が出るような事件的依頼ばかりだ。
その分、仕事は慎重に選んでいる。依頼人の言い分を鵜呑みにしないのが絵里奈のやり方だった。
「いえ、今回お願いしたい事は少し違います……それがですね……」
お世辞にも、嘘をつく事に慣れているとは言えない態度で、会長はさらにしどろもどろになる。
「私も確かに公開処刑のような非人道的番組はいかがなものかと思います。ただ、初回の視聴率と利潤が無料放送と比べ物にならない数字が出たのも事実でして……」
「なるほど」
絵里奈が少し眼を細めて言った。『他人の不幸を見せてやれば大金がもらえるならばどんなモラルも無力と言いたいのね。なるほど?』とその瞳が語っていた。
「犯罪者に人権などありませんからね。刺激に飢えている視聴者は大喜びでしょう」
話をあわせるように、絵里奈は作り笑顔のまま危険な台詞を言った。
機嫌が悪くなった姉の態度を、憐は瞬時に理解していた。
それに会長も少なからず気がついたのか、あわてて取り繕うように首をふりながら声を荒げた。
「いえ!そんなことはないんです。私としてもその番組はまずいと思ってまして!」
大きな声を出して少し喉を痛めたのか、コーヒーを一口すすってから会長は一息いれて話し出す。
「た、確かに夕日テレビとしては営利団体です。利潤は優先される。しかし、いくら何十という放送局を転々として放送するからバレないとはいえ、この事が公になれば社の道理的信用が失われます。私はこの番組を封印したいと考えております」
「そうですか。それで?私どもにどうしてほしいと?」
言い訳はもう結構、といった顔で絵里奈が単刀直入に質問を突きつけた。
「……今日、第二回目の放送がされていますが……その様子ですと、まだ観ていないようですね?」
「ええ。知ったのはつい先程ですので」
「そうですか……」
さらに言い出しづらくなったように、しきりに額をハンカチで押さえている。
「会長、そこからは私が」
つきそいの男性が、困っている会長の助け舟を出すように切り出した。
「美崎さん、」
真剣な表情で、絵里奈をじっと見つめる。さすがの彼女も、何の話を切り出されるのかわからず、一瞬たじろいだ。
「な、なんですか?」
「これからお話することはおそらく、貴女の気を悪くされるかと思いますが、番組制作局一同全員が猛省いたしますのでどうかお許しください」
深々と頭を下げて話を続ける。
「我々のデーターベースには、記者クラブ以外の捜査チームが殺人犯や窃盗犯を追いかけた、複数の犯罪者の記録が大量に存在します。このWEB放送で使用した番組クルーも副社長が絡んでいることからこのデーターベースを利用したと思われます。その中にですね……従業員の方の写真があったようで……」
そこで話を区切り、ちょっとお待ちくださいね。と断って、懐から携帯電話を取り出し、話題になっている『実況中継48時』にアクセスして絵里奈と憐に見せる。
『あ、所長!』
リアルタイムで放送されている所長の姿を観て、二人が驚きの声をあげた。
「今回の人選は、副社長が最終確認したようなのですが……どうやらクルー達が写真を間違えたようでして。こうして急遽、お詫びに伺った次第です」
「…………」
睨み付けたいのを我慢しているような表情で、美崎姉妹は会長とつきそいの男性を見比べる。
「それで」
絵里奈が口を開く。
「所長をどうするつもりですか?私たちにこの話をしてなにをさせたいのですか?」
「私どもはお願いにまいりました。我々の調べですと、彼の罪状は殺人です。それも、ひとりやふたりではない。連続殺人犯です。とてもにわかには信じられない噂を聞くところによれば、彼は普通の殺人者ではない」
「……そう、ですね。彼が本気になれば、この小さな部屋から出るだけではなく、番組クルーも全員殺せるでしょう」
「そこです!」
男は叫び、ソファーから勢いよく立ち上がると、その場に土下座をした。
「どうか!どうか、彼を怒らせる前に、お引きとっていただけませんでしょうか?あの方を徴収したのは、完全に手違いでして、この番組に参加させるつもりは一切なかったのです」
「ん~、わざとじゃないなら私はいいよ。ダーリンを迎えに行けばいいんでしょ。どこにいるかわかってよかったし」
憐が男を慰めるように、絵里奈の顔を見ながら言った。
「しょうがないわね……。無実の罪で監禁されてるわけでもないし……ね。でも、慰謝料ってもらえるのかしら?」
「それでしたら、依頼料という形でこちらをお持ちしました」
会長が懐から、分厚い白い封筒を差し出す。
中には現金が詰まっているのだろう。その厚さは二、三百万はありそうだ。
「わかりました。案内してもらえるんでしょうね?」
「もちろんです。ただ、条件がありまして……」
「はいはい。内緒にしてってんでしょ」
封筒を受け取り、呆れたような顔をしながら絵里奈はため息をつく。
「それもありますが、番組クルーは彼を無条件解放するのをためらっています。番組のリアリティが崩れてしまうのを恐れているからです。だから、ちょっと……なんというか、強引に連れ去っていただきたいといいますか……」
「強引に?」
絵里奈は封筒のままお札をスーツの内ポケットに入れながら、聞き返す。
「ええ、そうです。部屋は24時間常に8個のカメラで録画、放送されています。途中で中休みを入れてしまうと視聴者の緊張感が途切れてしまうという配慮なので、中にいる人と打ち合わせはできないと思ってください。部屋の中で聞こえる話し声や音声はすべて視聴者に聞かれてしまいますので」
「……だからクルーを振り切って、彼を連れ出せってこと?」
「お願いします!」
呆れたように言う絵里奈に、土下座をしている男が叫んだ。
「はぁ、わかりました。依頼料も戴いてしまいましたし、早速行きましょうか?どーせ、あの人も自分がどーなるかなんて全然心配してないんでしょうし?私たちが探してくれるって勝手に思ってるから、あと半日くらいはおとなしくしてるでしょうけどね」
ぶつぶつ言いながらも、少し楽しくなってきたのか、笑みがこぼれている。
「もう頭あげていいですよ。私たちはとりあえずもう怒ってないので」
「あ、ありがとうございます……」
ほっとしたのか、安堵の表情で顔をあげた。
「憐、出かける準備して。荒っぽい事になるだろうから、アレを持っていくのよ」
「はーい。でも、できれば私だけに任せてほしいんだけどな~」
憐が立ち上がり、つぶやきながら隣の部屋にひっこむ。
「では、出かける準備をいたしますので、少々こちらでお待ちください。目的地まで遠いですか?」
「三、四時間といったところでしょうか」
「わかりました」
そう言って、絵里奈はすっと立ち上がり、自分も部屋に向かった。
「あ、そうそう」
なにかを思い出したように立ち止まり、会長に振り向く。
「第一回目の、WEB公開裁判に参加させられた二人の処遇ってご存知ですか?」
「いえ……お恥ずかしい話、私にまではそういう情報はこないんですよ。事後報告ばかりで……」
苦笑しながら会長は頬をかく。
「目的地にいる関係者に聞けばわかります?」
「え?ええ、多分」
「わかりました。ありがとうございます」
絵里奈はそれだけ言うと、再び歩きだして部屋に入っていった。
そして、内ポケットに入っているお札と携帯電話を取り出し、木下へ電話をかけた。
「……あ、もしもし。いまどこ?」
(どこって、駅のホームで電車待ってるけど)
確かに電話の後ろでは電車待ちの人たちがざわざわ言っているのが聞こえる。
「さっきの依頼、まだ相談してないと思うけど、引き受けてあげるわ。場合によってはタダにしてあげるから感謝しなさい。それだけだから」
(あ?え……)
一方的に話し終えると、絵里奈は電話の電源を切る。
「さて、と……」
携帯電話をベットの上に置くと、絵里奈は模造品の双刀をじっとみつめた。