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線香花火2

作者: ちき優

「翔君は元気ですか?」

「あぁ、足を骨折しとるが元気じゃよ。あんなやつ心配せんでいい。あいつが飛鳥ちゃんの部屋を覗こうとしたんじゃ、自業自得ってやつだよ」

「それはそうなんですけど……。あの時視線を感じて、気になって窓を開けたら翔君の顔があったから思わず、正拳突きをしちゃったんですよね。二階だってこと忘れて」

「はははっ。翔のやつも少しは懲りただろう」

 飛鳥は苦笑いを浮かべながら、相槌を打った。

 降り注ぐ太陽が少し傾き、庭に木陰が生まれ、セミの鳴き声が少しだけ静かになるまで、庭師のおじさんと他愛もないおしゃべりをしていた。

 庭師が仕事に戻ると、飛鳥は台所に行って冷蔵庫を開け、ナスを一本取り出した。そのナスに竹串を刺し四本足の動物を作り、食卓に置いてから夕食の準備に取り掛かったのだった。

 母を亡くしてから、二回目の送り盆だった。飛鳥は夕食を作りながら、優しく語りかけるように囁いた。

「ねぇ、お母さん、あれから二年が経つんだね……。あたしね、去年より料理が上達したんだよ。おばあちゃんに料理を教えてもらってるんだ。おじいちゃんはいつも、美味しいって言ってくれるんだよ。お母さんの味にはまだまだおよばないけどね。そうそう、こないだ弟の雄介からメールもらったの。お父さんと男同士で仲良くやってるみたいよ。部屋の中は散らかってそうだから、今度片付けに行ってあげようと思ってるの。あ、お母さんが可愛がってたネコのミー助、あたしが連れてきちゃった。あの二人に任せてたら、ミー助、餓死しそうなんだもん。ミー助元気なんだけど、おじいちゃんが餌のやりすぎで、デブネコまっしぐらな感じね。おじいちゃん甘いから、おばあちゃんに叱られてたわ。可哀想だけどミー助のためよね……」

 飛鳥の言葉は、台所を漂った後、グツグツと煮える鍋の中に、ゆっくりと溶け込んでいるような感じだった。

 夕食作りも一段落した所で、玄関の方で物音がした。「ただいま」と言う声が聞こえたのでコンロの火を切り迎えに行った。

「おばぁちゃんお帰り。どこ行ってたの?そんな派手な頭で」

「飛鳥ちゃん、ただいま。これはウイッグよ」

 おばあちゃんはウイッグを外しながらどこに行ってたのかを話してくれた。

「今日はね、ドンテ・ホーキに行ってたの。花火のCMをしてて、安かったから買いに行ってきたのよ。みんな派手な格好してたから、あたしも派手な髪型で出掛けなきゃって思って。初めて行ったけど、いろんな物が置いてて楽しかったわ。あ、でも出口が分らなくなったのは困ったわね……」

「花火ならホームセンターに売ってるのに、わざわざドンテ・ホーキに行かなくても良かったんじゃない?」

 おばあちゃんはキョトンとした表情の後「それもそうね」と可愛らしく笑った。ちょっと抜けてるけど、こんなおばあちゃんが飛鳥は好きだった。

「遅くなっちゃったわね。そろそろ夕食の準備をしないとね」

 おばあちゃんは買ってきた花火を玄関の壁に立て掛け、台所に向かって行こうとしたので、飛鳥はあわてて呼び止めた。

「あ、今日はあたしが作ったの。豚バラのミルクに込みに生姜を入れて、さっぱりとした味にしあげておいたわ」

「それは美味しそうね。夕飯が楽しみだわ。あ、そうだ。おじいちゃんは?もう帰ってる?」

「うん、なんかね、飲み仲間と飲みに行ったって、庭師のおじさんが言ってたわ」

「そう、じゃあ早めに送り盆の準備をしてようか。おじいちゃんも、今日は早めに帰ってくると思うから」

 和室に行き、テーブルの上に仏具や供え物、ナスで作った牛を飾り、送り盆の簡単な準備をして、おじいちゃんが帰って来るのを待っていた。

三十分程、飛鳥とおばあちゃんが世間話をしていると、「たっだいま~」という上機嫌なおじいちゃんがほろ酔い気分で帰って来た。飛鳥は立ち上がり玄関へと駆けて行った。

「おじいちゃん、夕食の準備が出来てるから、送り盆をしながら一緒に食べよ」

「うん、そうしよう」おじいちゃんは笑顔でうなずいた。

 おからに火を点け、静かな会話をしながら夕食の時間は過ぎて行った。

 寂しいという言葉が合うのか。切ないという言葉が合うのか、たぶんその両方がこの部屋にはあふれてるんだと、飛鳥はなんとなく思っていた。その静けさを吹き飛ばすように、おじいちゃんは声を張って言った。

「飛鳥、飲み仲間に花火をもらってきたんだ。夕食の後に皆で花火をしよう」

 おじいちゃんの言葉に、飛鳥とおばあちゃんは目を合わせて笑いあった。おじいちゃんは首を傾げたが、おばあちゃんが花火を買って来た話をすると、一緒になって笑ったのだった。

 夕食を終え片付けを済ますと、蚊取り線香をもって三人で縁側に出た。太陽はいつの間にか姿を隠し、淡いオレンジとダークブルーのコントラストが空を彩っていて、とてもきれいだった。優しい風も頬を撫で、自然と頬が緩んでいた。

「おじいちゃん、あたしね……。この瞬間の空好き」

「渚も、そんなこと言っとったな……」

「お母さんも?」

「あぁ、やっぱり親子は似るもんだね」

「そっか……」

飛鳥は呟いてから、しばらく夜へと移り行く空を眺めていた。母が「好きだった」と聞いたこの空、きっと何度見ても母の事を思い出してしまうだろう。そしてまた、飛鳥の知らない母の事を聞くたびに、その瞬間は忘れることの出来ない、素敵な宝物になるだろうと感じていた。

「そろそろ、始めましょうか」

おばあちゃんは縁側に花火を並べ始めた。飛鳥は並べられた花火の中から、色の変わる花火を手に取り、庭に置かれたローソクで火を着けた。花火は黄色・緑・赤と色を変えた。思わず「きれい」と言う言葉が、心の中からすべり落ちた。

「飛鳥見てごらん」おばあちゃんの方を振り返ると、手首を器用に動かしてハートの形を作った。飛鳥も真似してみた。一瞬だけハートになり直ぐに煙になって消えた。

「飛鳥、このハートはどこに言ったと思う?」

飛鳥は少し考え「天国かな」と答えた。

「ふふっ、素敵な考えね。私はね、どこにも行ってないって思うの。飛鳥と一緒にハートの形を作った事は変えられない大切な過去だもん」

おばあちゃんはそう言い切った後に「もちろん」と続けた。

「過去には悲しい思い出もあって、記憶の湖が氾濫して涙が止まらない時もある。でもね、涙は必要なの。悲しい思い出のために泣いた記憶が、悲しい記憶を優しく包んで、大切な過去になって、生きるための強さに変えてくれるの。だから渚が亡くなった時は、涙が枯れるまで泣いたわ。そのおかげで、喜びも悲しみも全部、私にとっては大切な過去よ」

 飛鳥はおばあちゃんの話に聞き入り「大切な過去」「涙は必要」という言葉を、何度も何度も心の中で復唱しながら、きっとおばあちゃんは数え切れないくらい泣いたんだろうなと思いながら、大切な過去になるように笑顔で花火を続けていった。

 おじいちゃんは縁側に座り、飛鳥とおばあちゃんが花火をしているのを、猫のミー助の隣でビールを飲みながら眺めていた。それに気づいた二人はおじいちゃんの下へ駆け寄った。

「おじいちゃん、お昼も飲んでたんだから、飲み過ぎちゃうから程々にしなきゃだめよ」

 おじいちゃんは飛鳥を見つめ「渚」と母の名前を呟いた。

「おじいちゃん、あたし飛鳥よ」

おじいちゃんは少し考え「そうだったね」と寂しそうに笑った。

「線香花火しよっか」

 飛鳥は縁側に残っていた線香花火をおじいちゃんに渡した。ひらひらとした部分を手に持ち、二人で静かに火を灯した。パチッパチチッと音を立てて、光の花が咲き始めた。飛鳥は夢中で光の花を眺めていた。ふと、水滴が地面に落ちた。雨かなと思い線香花火から目を離すと、おじいちゃんは声をあげずに泣いていた。涙を拭かず、流れるままに涙を流していた。

「おじいちゃん、どうしたの?」

飛鳥が心配そうに声をかけると「渚は線香花火が好きだったんだ」と答えた。

「そうだったんだね」

 飛鳥は新しい線香花火を手に持ち、母の事を思いながら火を灯した。小さな光の蕾から、花を咲かせていった。

母の事を思い出す時、笑っていた時の顔が、いつも浮かんでいた。だから、母の事を思い出しても泣くことは無かった。だけどたまに、病院の中で繰り返し言っていた「ごめんね」という言葉を思い出すと、どうしようもなく切なくなってしまう。そんな時、いつも思う。お母さんは謝る事なんてないんだよ。いっぱいありがとうって言いたいくらい、素敵なお母さんだったよって。何度思っても「ごめんね」という母には伝えることが出来なかった。それが唯一の心残りだった。

 飛鳥は新しい線香花火に火を灯し、母に語りかけるように「ごめんね」とささやいた。ささやくと同時に光の花がにじんで見えた。もう、涙を止める事は出来なかった。飛鳥が泣いているのに気づいたのか、おじいちゃんが優しく頭を撫でてくれた。線香花火の音は「泣かないで」と言っているような、そんな音を立てていた。

 線香花火の音が止み、静けさの中で飛鳥は暖かい風を感じた。そして母の笑顔と、子どもの時によく言ってくれた「泣かないの」という言葉が聞こえてきた気がした。きっと今、母は近くにいるんだと思い「ありがとう」と告げた。そして「だけどね」と心の中で続けた。

(この涙が枯れるまでは思いっきり泣くわ。悲しい記憶を優しく包んで、大切な過去になって、生きるための力に変わるまで……)

 目を閉じると、母は笑っていた。飛鳥の記憶の中で、大切な過去として、母は笑顔で生き続けている。

花火を片付け、飛鳥はいつものジャージに着替え外に出た。軽く柔軟体操をして、ストップウォッチのボタンを押し走り出した。

 陸上を始めたきっかけを、今でもはっきりと覚えている。というか、陸上を止めない限り忘れる事はないだろう。走るのが苦手だった飛鳥のために、母は朝早くから練習に付き合ってくれた。そのおかげで、小学五年生の運動会で、一等賞を取ることが出来た。いつも後ろから数えた方が早かったから、あの時は本当に嬉しかったのを覚えている。一等賞を取った飛鳥を母はギュッと抱きしめ、大切な言葉を残してくれた。

「走る事は誰でも出来るけど、走り続ける事は簡単じゃないわ。だからね、苦しくても辛くても迷っても、走り続けるの。そしたらね、今日みたいに素敵な事が起こるわ」

 母の言葉があったから、ここまで走り続けてこれた。そしてこれからも、母の言葉は心の真ん中で、小さな鼓動を鳴らし、走り続ける力をくれるだろう。

 飛鳥は握った拳を胸の上に当て息を整え、月明かりが照らす田舎道を、強く、強く走り抜けて行った。


お盆って大切な日ですよね。

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