3.20 春のアラシ
monogatary.com 2026年3月20日のお題『春泥棒』について投稿したものです。
高架橋を抜けたら、雲の隙間に青が覗いた。
早めに訪れた春の嵐に、桜の花びらが吹雪みたいに舞い狂う。
風はまだ冷たくて、けれど確かに季節は前へ押し流されていた。
「……なんやこれ、春っていうより災害やん」
ミサキが乱れる髪を押さえながら顔をしかめる。
「風、強すぎ。さっきから三回くらい前髪終わってるで、ウチ」
「その報告、いる?」
タクヤはミサキの隣で肩をすくめて笑った。
歩道には、雨を含んで踏み潰された花びらが薄く張り付いている。
咲いたばかりのはずなのに、もう宴の後みたいな景色だった。
「今年、ちゃんと花見してへんな」
ミサキがぽつりと言う。
「タイミング逃したな」
「タクヤが予定合わへんからやろ」
「いやいや、そっちも忙しい言うてたやんか」
「それはそうやけど」
軽口の応酬は、いつも通りのリズム。
なのに、どこか少しだけ噛み合わない。
突風が吹き抜け、また一斉に街路樹から花びらが剝ぎ取られた。
「……もったいないな」
「なにが」
「咲いたと思ったら、すぐこれや。もうちょいゆっくりでもええのに」
ミサキは足元に広がるピンクの残骸を見たまま言う。
「花の都合もあるんやろ。ずっと咲いてるわけにもいかんし」
「雑やなあ」
タクヤは苦笑いを浮かべた。
「でもまあ、こういう年もあるやろ」
「毎年言うてへん? それ」
「言うてるかも」
少しだけ笑いが戻る。
けど、そのあとが続かない。
風にかき消されたみたいに。
風の音だけが、やけに大きくなる。
「……なあ」
ミサキが、少しだけ声を落とした。
「ん?」
「春って、こんなに短かったっけ」
問いかけというより、自分に言い聞かせるような確認の響き。
タクヤは少し考えてから、前を見据えて答えた。
「年々、短く感じるだけちゃう?」
「それ、歳ってこと?」
「せやな」
「最悪やん」
ミサキが笑う。
けれど、その笑いはすぐに風に散った。
「……なんかさ」
ミサキは前を向いたまま続ける。
「ちゃんと待ってたつもりやってん」
「なにを」
「春が来るのを。でも、気づいたらもう、終わりかけてる感じするやん。置いていかれるみたいで嫌やねん」
タクヤは何も言わない。
ただ、空中に舞い上がる花びらを目で追った。
「……まあ、春泥棒やな」
「は?」
「気づかんうちに大事なもん持ってかれるやつ」
「なにそれ、詩人ぶってんの? 似合わへん」
「いや、さっき思いついただけや。……ダサいか」
「ダサすぎ」
ようやく、いつもの毒気が戻る。
ミサキはくるりと振り返って、タクヤを見る。
「でもさ」
「ん?」
「持ってかれるんやったら、せめて一回くらいちゃんと見ときたかったなって思わん?」
「……」
タクヤは一瞬だけ視線を逸らし、散り急ぐ木々を見上げた。
「まあ、来年があるやろ」
「それ、ほんまにあるん?」
「あるやろ」
「ほんまに? 約束できる?」
風がまた強く吹いた。
タクヤは少しだけ間を置いてから言った。
「……あるやろ」
確信を込めるには、少しだけ頼りない声だった。
ミサキはそれを聞いて、何も言わなかった。
ただ、ふっと笑う。
「まあええわ。期待せんと待っとく」
「ええんかい」
「ええねん。どうせまた、来年になったら適当なこと言うんやろ」
「否定はせえへん」
「せえへんのかい」
ミサキが軽く肩をぶつけてくる。
その距離は、いつもと変わらない。
けれど、何かが少しだけ違っている気がした。
高架橋の影を抜けると、風は少しだけ弱まった。
空の青が、さっきよりも鮮やかに広がっている。
それでも、枝にはもう、ほとんど花は残っていなかった。
「……なあ」
ミサキが小さく言う。
「これも、花見って言える?」
「どうやろな」
「言い張ればいける?」
「無理あるやろ。ただの強風の中の散歩や」
「やんな」
二人で少しだけ笑い合う。
その笑い声は、今度は風に消されず、二人の間にちゃんと残った。
足元の花びらを踏みしめながら、二人は歩き出す。
風はもう、さっきほど荒れてはいなかった。
それでも、どこかでまだ吹いている気がする。
季節の境目を、無理やり押し流すみたいに。
――そろそろ、春仕舞いだ。




