3.12 MK5
monogatary.com 2026年3月12日のお題『別れを意識した瞬間』について投稿したものです。
タクヤ、三十三歳。
大阪歴十年。いまだ大阪弁は練習中。
独身やけど、独り暮らしはそろそろ終わりかもしれん。
せやけど今日は、独身生活にピリオドを打つべき相手の『宇宙人疑惑』について、重大な検証の日や。
いや、別にミサキが宇宙人であろうが、異世界人であろうが、本質的には問題ないのかもしれん。
――梅田の賑やかな居酒屋にて。
俺と若杉は、完全に置いてきぼりにされていた。
若杉が連れてきた彼女は、ナミさん。
初対面……ではなかった。
そりゃ、同じ会社なんやから見かけたことがあるわな。
しかし、システム開発部門は、フレックスタイム制がほとんどやから、話をするのは初めてだ。
最初こそ、少し人見知り気味だったのに、ミサキのペースに乗せられてしまい、今や女子会を護衛する男二人という構図になっている。
「おい、若杉。ナミさんは口数が少ないんやなかったんか」
「はい……。俺もそう思ってたんっすけど、けっこうなおしゃべりっすね」
二人で顔を突き合わせて、小声で現状を嘆き合う。
「何を男二人がコソコソ秘密の会話してんのや」
ミサキが急に振り返って言う。
「せやせや。もっと大声で腹割って話さんかい!」
ナミさんも、ミサキと同じテンションで乗っかってきた。
「いや別に秘密やないけど……ナミさん、思ってたより元気やなって」
俺が言うと、ナミさんが「失礼やな」と笑う。
「ミサキさんがな、スイッチ押したんですよ」
「ウチのせいかい」
「いやでも実際そうっすよ」
若杉も大きく頷く。
「ミサキさん、なんか他人の感情のバリアを無効化する能力あるっす」
ナミさんがグラスをくるくる回しながら、ふと遠くを見て、言う。
「でもちょっと分かるかも。ミサキさんって、人の心のロック外すタイプですよね」
「おお、ええこと言うやん」
ミサキは満足そうに頷いた。
「せやけど――」
ナミさんが続ける。
「たぶん、この人は急にどっか行きますよ」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の手が止まった。
「……え?」
「なんかそんな感じするんですよね。急に遠くへ行く人」
ナミさんは、冗談みたいに笑っている。
けど俺の頭の中では、まったく笑えない想像が始まっていた。
急に遠くへ行く。
その言葉が、やけにリアルに聞こえた。
もし――
もしミサキが、本当に宇宙人で。
ある日突然、「そろそろ帰るわ」なんて言ったら。
俺は、どうするんやろ。
仕事帰りにコンビニ寄って、
「今日プリンあるで」とか言いながら、
当たり前みたいに家に来て。
そんな日常が、ある日突然終わる。
理由も分からんまま。
遠い星に帰るみたいに。
――そんな別れ方。
想像した瞬間、胸の奥が妙に静かになった。
ああ、これ。
たぶん俺、けっこう本気でミサキのこと好きなんやな。
「タクヤ?」
ミサキが顔を覗き込んできた。
「なんや急に黙って。MK5?」
「なんやそれ。古いな」
「マジで帰る五秒前……ちゃう、マジでキレる五秒前や」
「キレてへんわ」
思わず噴き出してしまった。
ミサキは、じっと探るように俺を見る。
「なに想像してたん?」
「……いや」
少しだけ迷ってから、素直に吐き出した。
「ほんまに、遠い星に帰るんかと思ってな」
一瞬、テーブルに沈黙が落ちた。
「……は?」
ミサキが盛大に眉をひそめる。
「どこに帰るん?」
「宇宙」
「アホか」
即答やった。
ナミさんが吹き出し、若杉は肩を震わせている。
「ウチが宇宙人やったら、もっと賢い星に行くわ。タクヤがおるこの星は、だいぶアホ寄りやろ」
「ひどい言われようやな」
ミサキはケラケラ笑いながら、俺のグラスに自分のをカチンとぶつけた。
「安心し。帰る予定はない」
「……ほんまか?」
「もし帰るとしたらな……」
ミサキは少しだけ声を落とす。
「タクヤも連れてく」
そして、少しだけ照れたように視線を外してから続けた。
「隣の席、予約済みや」
その一言で、さっきまでの変な想像が全部吹き飛んだ。
ああ。
やっぱりこの人は――宇宙人でええかもしれん。
「……タクヤ先輩」
若杉が耳打ちしてくる。
「それ、銀河規模のプロポーズっすよね」
「黙れ。飲め」
ミサキがグラスを掲げる。
「ほな改めて。宇宙でも地球でも、この居酒屋でも。乾杯や!」
カチン、と四つのグラスが当たった。
その笑顔を見て、俺は腹をくくった。
もしこの人が本当にどこか遠くへ行くとしても、俺は絶対に食らいついて行くんやろな。
……まあ、宇宙船が満員やったら困るけど。




