3.10 いつかは……
monogatary.com 2026年3月10日のお題『溶けない氷』について投稿したものです。
若杉がスマホを睨んでいるときは、大抵ろくなことがない。
仕事終わりのコンビニ前。
三月の夜風はまだ少し冷たい。
缶コーヒーを片手に、俺はその様子を横目で見ていた。
「タクヤ先輩」
「なんや」
「氷って、溶けますよね?」
「急になんの話や」
若杉は深刻な顔でスマホを突き付けてくる。
トーク画面の最後のメッセージは若杉。
送信は三時間前だ。
「……バッチリ既読ついとるな」
「ついてます。青いチェックが目に刺さるようです」
「で?」
「返信がないんす」
「三時間くらい普通やろ。仕事中かもしれんし、家事で忙しいんかもしれん」
俺が言うと、若杉は首を振った。
「これが『普通』なんすかね……。俺の心、もう冷凍庫の中っすよ」
若杉は自動販売機に寄りかかって肩を落とした。
「タクヤ先輩、わかります? あの人、なんか……壁あるんすよ。心のシャッターどころじゃないっす」
「壁?」
「氷の壁みたいな。透明で、触れるくらい近くにはいるんすけど、キンキンに冷えてて何も寄せ付けない雰囲気のおっきなやつです」
若杉は夜空に巨大な四角を描くように手を広げる。
「全然溶けない。俺の情熱の火力が足りないんすかね」
俺は缶コーヒーを一口飲んだ。
「それ、単に嫌われてるか、引かれてるんとちゃうか」
「やめてくださいよ! デートは来てくれるんす。こないだのカフェでも、三回くらいは笑ってくれたんす」
「カウントしてるんか……。マメやな」
「でもLINEになると、急に氷壁なんすよ」
「氷壁か」
「氷壁っす」
若杉は深くうなずいた。
若杉はスマホの画面をスクロールして見せてきた。
先月のバレンタインデー。
若杉が長文の感謝を送りつけたあとの、相手からの返信は一行だった。
『どうぞ』
俺は思わず吹き出した。
「シンプルやな。余計な不純物が一切入ってへん、純氷や。これはなかなか溶けへんで」
「でしょ? 俺、どうしたらいいんすかね」
少しだけ考えてから、俺は言った。
「氷ってな、溶けへんわけやないで」
「……」
「溶けるまで、時間かかるだけや」
若杉は黙った。
それからスマホを取り出し、決意を固めたように真剣な顔で文字を打った。
「送ってみます。変化球なしのストレートです」
送信。
『ホワイトデーに行きたいトコある?』
夜のコンビニの駐車場、二人で画面を見つめる。
既読がつかない。
一分。
二分。
遠くでバイクの音が通り過ぎる。
三分。
「ほらぁぁ! やっぱり氷壁っすよ」
若杉が膝から崩れ落ちた。
「まだ三分や。お前はカップラーメンか」
そのとき。
ピロン。
若杉のポケットが鳴った。
「来た!」
弾かれたように画面を見る。
返信は、やはり一言だった。
『アイススケート』
若杉は石像のように固まった。
「……」
「……」
俺は、憐みの視線を缶コーヒーに落として言った。
「氷やないか。どこまで行っても、氷やな」
若杉はスマホを握りしめ、消え入りそうな声で呟いた。
「これ、溶ける気あると思います? それとも……俺を冷やし固めるつもりですかね」
俺は、何も言わずに、まだ熱いコーヒーを口に運んだ。
冷たい氷の上を滑るには、まず自分が転ばん術を覚えるしかない。
――頑張れよ、若杉。




