3.3 野山をかける少女
monogatary.com 2026年3月3日のお題『ひな人形たちの会話劇』について投稿したものです。
――和歌山の山間部にある一軒家の座敷にて。
「今年もあいつは、ひな祭りにも帰って来やんのけ?」
「そりゃあ、社会人ですからねえ」
「その雛飾りは、いつまで飾るんや」
「まだ、あの子も独身ですやろ。今年が最後になるかも知れんですな」
「違う! 今年はいつまで出しとくかを聞いたんや」
「はいはい。明日には片づけますよ」
「……今月、帰って来る言うとったやろ。それまで飾っとけ」
「あらあら。そんなこと言うてたから、行き遅れたんやないですか」
「行き遅れじゃない。あいつは、まだ子どもじゃ」
「ふふふ……。わかりましたよ。最後かも知れんですけん、じっくり見ましょうかねえ」
――初老の夫婦が電気を消して、座敷から居なくなったあと。
「ご主人の言うとおり。ミサキちゃんは、行き遅れちゃうわ!」
二段目の右にいる官女が、長柄の銚子を振り回しながらほえた。
「あなた。綺麗な召し物を着せてもらっていて、その言葉遣いはいけませんよ」
中央の官女が、三宝に乗せた盃を落とさないように、長柄の銚子を戒める。
「でも、ミサキちゃんが“行き遅れ”なら、ウチらはどうなるんですか! 婚期逃して何十年経っとる思てんの!」
左側にいた官女が、加えの提子をふりかぶった。
「あなたたちは、ここが嫁ぎ先ですよ。いわば永住権獲得済みです」
三宝は、静かに告げた。
「そりゃ三宝さんは、既婚者だからいいですけど、ウチらずっとここですやん」
その時、上段から鈴を転がすような声が響く。
「ご不満ですか?」
「「「とんでもございません」」」
お姫様からの質問に、三人官女は声を揃えて答えた。
「けどなぁ。ミサキちゃんが結婚するなんて、ホンマ信じられへんわ」
三段目の右端にいる謡担当が、ハスキーボイスで呟く。
「そやなあ、ちっちゃい頃は、お転婆ながきんちょやったなあ」
隣の男が、笛を片手に懐古している。
「お転婆どころやなかったで、野山を駆け回る野生児やった」
そのまた隣の男が、小鼓をなでながら言う。
「せやせや。この部屋でもワシらの周りを走り回っとった」
大鼓の男も懐かしそうだ。
「せやで。ワシの太鼓が転げ落ちそうでヒヤヒヤしとったわ」
左端の男の目は、なぜか嬉しそうだ。
「で、行き遅れっていうのんは、いくつからや?」
ハスキーボイスが問いかける。
「それは、三十八からや!」
間髪入れずに、長柄の銚子がほえた。
「なんで三十八? なにか根拠はあるんか?」
小鼓が問いかける。
「あのな、昔から言い伝えがあるやん」
と答えた長柄の銚子が歌い出した。
♪桃~栗、三年。柿八年。
♪柚子は九年で成り下がり。
♪梨の馬鹿芽は十八年。
「この歌に出てくる年数を全部足すと、三十八やねん」
長柄の銚子がドヤ顔で答える。
「ホンマか?」
太鼓のオヤジが尋ねる。
「知らん。ウチが勝手に考えた」
「「「……」」」
皆が白い目で、長柄の銚子を見る。
「そもそも、その歌をひな祭りに歌うんは、尾道あたりだけちゃうの?」
「そうかも知れんけど、楽しい歌やからええやん」
加えの提子の疑問に、悪びれもせず答える長柄の銚子。
「まあ、“桃”から始まる歌やし、桃の節句らしいっちゃらしいな」
「せやろ!」
笛の男のフォローに、気を良くする長柄の銚子。
「さっきここのご主人が言うてた、次にミサキちゃんが帰って来るまで、ワシらここに居てるっちゅうことは、ミサキちゃんの彼氏の顔も、ワシら見れるっちゅうことやな」
大鼓の男が嬉しそうに言うと、全員の顔が引き締まった。
「どんな男でしょうねえ。あの野生児の手綱を引けるような御仁ですから、よほど徳の高いお方か、あるいは……」
三宝が何気に呟いたと同時に、両側の官女が声を揃えてほえた。
「「そりゃあんだけ、かえらしい(=可愛らしい)ミサキちゃんの彼氏なんやから、超絶イケメンに決まってます!」」
「けどなぁ……」
ふいに、最上段のお姫様が小さく呟いた。
「ほんまは、幸せならそれでええんです」
一瞬、座敷の空気が静まる。
「走り回ってたあの子が、今度は誰かと並んで走るんやろなあ」
誰も答えなかった。
外では、山から吹きおろす風が、障子をかすかに揺らしている。
――その風の音にまぎれて小さな声。
「ぉぃぉぃ……。あんましハードルを上げてやるなよ」
それまで黙っていたお殿様の呟きは、夜の座敷にそっと溶けていった。




