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『お題のmonogatary』―どこに向かうか誰もわからないー ストーリーは『今後のお題』しだい  作者: もとき未明


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2.9 錨を下ろす夜

monogatary.com 2026年2月9日のお題『彷徨い続けて30年』について投稿したものです。



 若杉は、いつも笑っている。

 その笑い方は軽くて、場に馴染みやすくて、どこか便利だった。


 タクヤは、その様子を少し離れたところから見ている。

 若杉より二つ年上なだけだが、自然とそういう立ち位置になっていた。


「タクヤ先輩、このあとどうします? もう一軒、いけます?」


 若杉はグラスを揺らしながら言う。

 声は明るい。断られても構わない、という余裕を含んだ誘い方だ。


「明日、仕事ちゃうんか」


「まあ、なんとかなりますって。どうせ一人ですし。家帰っても静かなだけっすから」


 若杉はよく「どうせ」と言う。

 タクヤはそれを、聞き流すふりがうまくなっていた。



 ――若杉は、ずっと身軽だ。



 若杉が最初に暮らした家は、祖母の家だった。

 本人はほとんど覚えていない。


 生まれてすぐ、両親は海外へ行き、それが仕事なのだと聞かされていた。


 祖母は優しく、生活に不自由はなかった。

 ただ、そこは「自分の家」ではなかった。


「もうすぐ迎えに来るからね」


 その言葉を何度も聞いた。

 若杉は泣かなかった。

 泣いても状況は変わらないし、何より「期待しすぎないこと」が自分を守る唯一の術だと、早い段階で知ってしまったからだ。



 初めて両親と暮らしたのは、見知らぬ外国だった。

 言葉も、匂いも、空気も違う。

 家は整っていたが、会話は少なかった。

 悪くはないが、どうにも落ち着かない。


 しばらくして、日本へ戻った。

 理由は詳しく説明されなかったし、若杉も聞かなかった。

 聞いても、どうせ答えは濁される。


 その後、母に連れられ再び海外へ。

 父は来なかった。

 やがて、両親は別れたが、大きな喧嘩の記憶はない。


 ただ、生活のチャンネルが切り替わっただけだった。



 日本に戻ると、母は忙しかった。

 若杉は学童保育に通い、迎えはいつも遅かった。


「しっかりしてるね」


 そう言われるたび、若杉は笑った。

 それが正解だと分かっていた。


 でも、心のどこかで

 ――しっかりしてるって、甘えなくていいって意味だよな

 と思っていた。



 中学は地元の全寮制。

 高校は県外の全寮制。


 環境が変わることには慣れていた。

 自己紹介も、人との距離感も。


 仲良くなりすぎない。

 深く入りすぎない。


 ――どうせ、また離れる。


 軽くしていれば、置いていかれるときに痛くない。

 そうやって彼は、三十年かけて「どこにも根を張らない術」を身につけた。




 大学から一人暮らし。

 自由だった。


 誰にも縛られない代わりに、誰にも待たれない。

 だから、人に囲まれる生活を選んだ。


 飲み会、軽い恋愛。

 本気になる前に終わらせる。


「重いの、ちょっと苦手なんっすよね」


 それは照れ隠しでもあったし、本音でもあった。



 今でも、両親とはそれぞれに会っている。


 嫌いではないが、頼らない。


 愛がなかったわけじゃない。

 ただ、いつも「途中」だっただけだ。



 居酒屋で、若杉はいつもどおり場を回していた。

 年下の後輩として、空気を壊さない絶妙な位置を選ぶ。


 けれど今夜は、終電の時間が近づいても席を立たない。


「今日は、いつものチャラさが足りんな」


 タクヤが水を向けると、若杉は一瞬だけ言葉を探すように天井を見た。


「……たまには、真面目な顔も見せとかないと、先輩に飽きられちゃいますから」


 軽い口調だったが、目は笑っていなかった。


「三十越えたら、さすがに考えますよ。俺、ずっとこうやって浮き草みたいに生きていくのかなって。そろそろ、どこかに錨を下ろしてもいいかな、なんて」


 若杉は笑った。

 いつもの笑顔だったが、その瞳にはどこか覚悟のような色が混じっている。


「もう一杯だけ、付き合ってくださいよ」

 追加の注文をする若杉の背中を見ながら、タクヤは思った。



 ――あいつが自分という地面を見つめなおすのは、たぶん初めてなのだ。



 タクヤは何も言わず、届いた新しいグラスを自分のそれと軽く合わせた。

 「何も起きない人生」を愛していたタクヤと、「何も持たない人生」を歩んできた若杉。


 二人の夜は、少しだけ深いところへと潜っていった。



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