2.7 故郷は遠くにありて
monogatary.com 2026年2月7日のお題『トンネルを抜けると雪国であった。』について投稿したものです。
タクヤ、三十三歳。
大阪住みが十年を超えるのに、いまだに大阪弁が喋れない。
ひとり暮らしだが、この静けさも、近いうちに解消されるかもしれない。
今日は久しぶりに、若杉と佐藤を誘っていつもの居酒屋に集まった。
「この三人で飲むのは久しぶりだけど……佐藤、なんか印象変わった?」
乾杯を終えたあと、俺は佐藤に正直な実感をぶつけてみた。
「そうですか? 別に何も変化はないですよ」
「やっぱあれじゃね? 恋愛詐欺に片足突っ込んだのが、よっぽど堪えたんじゃないっすかねぇ」
若杉が余計な茶々を入れると、佐藤はムッとした顔で若杉を睨んだ。
「俺も聞いたぞ。先日、一歩間違えれば会社が傾くような案件を、佐藤が先手を打って抑えたんだってな」
部署間をまたいで、一部ではてんやわんやだったらしい。
「……自分を守っただけですよ」
佐藤は何事もなかったかのようにビールを呷る。
「いやいや。あん時の佐藤は、凄かったっすよ。迫力が今までとダンチだったっす」
若杉は、あの部署間会議に参加していたらしい。
身振り手振りで、そのときの様子を聞かせてくれた。
「佐藤のキレ味が、一皮剝けたというか、『シン佐藤』に進化したみたいだったっす」
「それ、褒めてるのか貶しているのかどっちだ」
「もちろん、最大級の褒め言葉っすよぉ」
同期の二人の軽快なやり取りは、見ているだけで飽きない。
「タクヤ先輩。次は何飲みます?」
ジョッキが残り少なくなったところで若杉が聞いてくる。
「そうだな。今夜は日本酒の気分だな。外も冷えるし」
「いいですね。私も日本酒が飲みたくなっていました」
俺が日本酒をリクエストすると、佐藤も同調してきた。
「そしたら、今日は日本酒の回にしましょう! 熱燗っすよね」
「……銘柄は、私が決めていいですか?」
遠慮がちに発言した佐藤に俺が同意する。
「いいぞ。佐藤は日本酒に詳しいのか?」
「はい。まぁ……青森出身なもので」
「そうか。是非お勧めを教えてくれ」
そういえば、佐藤の身の上話を聞くのは初めてだ。
「あまり有名どころじゃないですけど、私のお勧めは『じょっぱり』ですね。津軽弁で『意地っ張り』という意味でして……」
「あぁ、辛口で旨いっすけど、ここにあるかなぁ。すみませーん」
若杉が店員さんを呼んで、日本酒のメニューを取り寄せた。
「あるっすね。てか、ここ青森の酒が妙に充実してないっすか?」
「そりゃそうだろ。ここの大将、青森出身だからな」
「ええっ? 佐藤はそれを知ってて、いつもここをリクエストしてたんすか」
佐藤は、返事の代わりにビールを飲み干した。
運ばれてきた熱燗を、三人で分け合う。
「たしかに、キリッとした辛口で旨いな。体に染みる」
「こりゃ、『あかんやつ』っすね。何杯でもいける」
「……つまみも、私が頼んでいいですか?」
「「もちろん!」」
俺と若杉の声が重なった。
届いたのは、『ホタテの刺身』と、贅沢な『いちご煮』だった。
「こりゃまた、日本酒がさらに進むな」
「この、ウニとアワビの吸い物……酒が無限に飲めるっす」
俺も若杉も大満足で舌鼓を打つ中、佐藤は熱燗の湯気の向こうで、少しだけ目を細めた。
「一皮剝けて、故郷が懐かしくなったのか?」
俺の問いに、佐藤は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……別に。ただ、この味が、今の自分には一番しっくりくるだけです」
そう言って照れ臭そうに笑う佐藤の顔は、どこか吹っ切れたような、清々しいものだった。
彼にどんな心境の変化があったのかはわからない。
けれど、厳しい冬を越えて春を待つ雪国の人々のように、彼もまた、自分の中の何かを少しずつ融かし始めている。
そんな気がした。




