1.29 暴かないという誠実
monogatary.com 2026年1月29日のお題『ミステリアスマダム』について投稿したものです。
ミサキと待ち合わせしたのは、いつもの商店街の喫茶店だ。
少しレトロな内装で、今どき珍しくサイフォンでコーヒーを淹れてくれる。
無口だが常に穏やかな笑みを浮かべているマスターの姿に、ここへ来るといつも心が洗われる。
「ほら、タクヤ。こっちこっち」
窓際の席で、ミサキがいつもの軽い調子で手を振った。
向かうと、そこには見知らぬ女性が座っていた。
背筋が伸びていて、服は地味だが仕立ての良さが伝わってくる。
アクセサリーは控えめで、化粧も限りなく素肌に近い。
四十歳前後だろうか。
――誰だ?
女性は立ち上がり、丁寧に会釈をした。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
声まで落ち着いている。
完全に“ノット大阪のおばちゃん”な雰囲気に、俺は気圧された。
「いえ……」
反射的に頭を下げる。
こういう相手は、正直どう扱っていいか分からない。
「この人な、ちょっと相談あるねんて」
ミサキがズズッとコーヒーをすすりながら言った。
「私やと、ただ話聞くだけになりそうやからさ。タクヤの出番や思って」
「いや、丸投げやろそれ。というか、せめて事前に言えよ」
「信頼やって」
ミサキは悪びれない。
女性は小さく微笑んだ。
「ミサキさんなら、きっと、適任の方をご存じだと思っていました」
その言い方が少しだけ引っかかった。
“誰か”ではなく、“適任”。
嫌な予感が、静かに足元から這い上がってくる。
「私、ある人との関係を……どう整理すべきか、迷っていまして」
女性の相談は、そう始まった。
相手が誰なのかは明かさない。
家族か、知人か、あるいは許されない関係なのか。
「金銭的な話ではありません」
「法に触れることも……たぶん、ないと思います」
“たぶん”が付くあたり、隠された情報の重さを感じる。
俺は相槌を打ちながら頭をフル回転させるが、整理しようにも材料が決定的に足りない。
「その方と、距離を置くべきか。あるいは、何事もなかったように振る舞うべきか……」
「それは、その人とどうなりたいかによりますね」
無難な返しだ。
だが、女性はわずかに首を振った。
「どうなりたいか、ではなく……どう“見えるか”が気になってしまうんです」
ああ、と思った。
これは事実の問題じゃない。
自分の誇りや、自己評価の折り合いがつかないのだ。
ミサキは完全に傍観者を決め込み、何も言わずにシュガーポットから砂糖を足している。
俺は少しだけ、踏み込んでみた。
「その方に、何かをしてあげた、あるいは、してもらったんですか?」
女性は、瞬きほどの沈黙を置いた。
「……ええ。どちらも」
それ以上は語らない。
この人は、話せないんじゃない。
話さないという選択を、自分の意思で下している。
俺は、解決策を提示するのをやめた。
「正直に言うと」
俺はゆっくりと、言葉の重みを確かめるように言った。
「今の情報だけやと、正解は出せません」
女性の表情は動かない。
「でも……話さないまま、決めることはできます」
ミサキがちらりとこっちを見た。
「ただし、その決断は、あとで必ず“自分”に返ってきます」
女性は、初めて視線を落とした。
「悩んだ末に出した結論は、どちらを選んでも必ずどこかで後悔します。だから、どっちを選んで後悔しても、納得できる方を選んでください」
俺はそこまで言った。
しばらくの沈黙のあと、女性がぽつりと呟いた。
「……私は、ずっと“きちんとした人”でいたかったんです」
それだけだった。
それ以上の説明は、最後までなかった。
会計を済ませ、女性は深く頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
名前も、連絡先も告げぬまま、彼女は凛とした足取りで店を出ていった。
扉が閉まった瞬間、俺は大きく息を吐き出した。
「……結局、何者やったんや」
「知らん」
ミサキはあっさり答える。
「でも、ああいう人ほど、人生長いで?」
「感想が雑すぎないか?」
「雑でええねん。タクヤはちゃんと仕事したやろ」
仕事、か。
答えは出していない。
でも、間違ったことも言っていない気がした。
「なあミサキ」
「ん?」
「なんで俺やったん?」
ミサキは少しだけ考えてから、悪戯っぽく笑った。
「ちゃんと聞いて、勝手に暴かへんからやろ」
それは褒め言葉なのか、それとも、ただ使い勝手がいいだけなのか。
分からないまま、俺は冷めたコーヒーを飲み干した。
謎は解けなかった。
でも、解かないままでも、意味のある時間は確かにある。
――それを知ってしまっただけで、今日は十分だった。




