1.27 そこにいたこと
monogatary.com 2026年1月27日のお題『留年回避の秘技、教えます』について投稿したものです。
母校のゼミ室。
OB訪問という名目で訪れた佐藤と若杉を囲み、就活や進級に怯える後輩たちが身を乗り出していた。
「留年回避の秘技、教えますよ」
若杉がそう言った瞬間、空気が変わった。
その反応を見て、彼はいたずらっぽく笑う。
「そんな裏ワザあるんすか?」
「マジでお願いします」
「まあまあ。期待するほど大した話じゃないっすけどね」
若杉はパイプ椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
「まず前提として、俺、頭いい方じゃないんで。サボると普通に詰みます」
ドッと笑いが起きる。
その横で、佐藤だけが「……時間の無駄だ」と言いたげに腕を組んでいる。
「で、秘技その一。教務課に顔覚えてもらう」
「え、それ秘技なんすか?」
「秘技っす。超重要。履修相談とか、用がなくても行く。ちゃんと名前を名乗る。『また君か』って言われたら勝ちっす」
後輩たちは半信半疑だ。
「秘技その二。教授の研究室に行く」
「質問とか?」
「いや、分かってること聞く。『確認なんですけど』って。分かってることを、あえて聞きに行く。人として存在を認識してもらう」
「それ意味あるんすか?」
「ある! テストの点が同じなら、最後に救われるのは“顔見たことある方”なんだよ」
若杉はあっさり言ってのけた。
「秘技その三。グループ課題は、一番地味な役をやる」
「リーダーじゃなくて?」
「リーダーは評価が割れるけど、俺は会計とか、資料まとめとか、誰もやりたがらないやつやった」
少し間を置いて、若杉は続けた。
「そういう役って、失敗すると目立つけど、うまくやると“安心感”という名の信頼が静かに積みあがる」
その言葉に、笑いは起きなかった。
若杉の目が、少しだけ真剣になったからだ。
「成績優秀で、テスト満点のやつもいたよなぁ。でも、そいつらは授業に来ないし、誰とも絡まない」
若杉は肩をすくめる。
「で、ある年、そいつ留年して、俺はギリ回避。……教授に呼ばれたとき、向こうから俺の名前が出てきたんだよね」
後輩の一人が、ぽつりと言った。
「それって……ズルくないですか?」
若杉は少し考えてから、笑った。
「ズルかも。でもさ、単位って“能力の証明”じゃなくて、“在籍してたって記録”みたいなもんでしょ」
軽い口調だったが、言葉は妙に現実的だった。
「別に、誰か蹴落としたわけでもない。俺はただ、そこにいただけっすけどね」
そのとき、少し離れた席で聞いていた佐藤が、静かに口を挟んだ。
「君の話は、再現性に乏しいな。制度として整理されていない。極めて属人的すぎる」
「出た、佐藤の正論。でもお前も留年しなかったでしょ?」
「……当然だ。私は全てのシラバスを解読し、最短経路で単位を取得した。――はずだ」
「じゃあ、どっちも正解ってことでいいじゃないっすか」
若杉は軽く手を叩いた。
「俺は制度が読めないから、人を見る。佐藤は人を見ない代わりに、制度を読む。それだけのことっす」
若杉は立ち上がり、カバンを肩にかけた。
「まあ結論を言うと。出席カードは、最後まで持っといた方がいい。使うかどうか決めるのは、そのあとでいいからさ」
部屋を出た二人の背中に、冬の西日が差し込んでいた。
一人は、完璧に管理された「制度」の中を。
一人は、割り切れない「人間」の間を。
歩き方は違えど、二人が同じ会社にたどり着き、今もそこにいるという事実は、どんな合理的な計算式よりも、不思議な説得力を持っていた。




