1.18 ドキドキしない電話
monogatary.com 2026年1月18日のお題『文明の力に助けられた話』について投稿したものです。
ハルト、三十三歳。大分から大阪の大学に進み、そのまま就職した。嫁と二人の子ども。昨年、念願のマイホームを買った。
平穏そのものの人生だが、スマホを見ると思いだすことがある。
あれは、十六年前のことだ。
発売されたばかりの「iPhone4」を買ってもらい、意味もなく画面を撫で回していたとき。
突然、着信が鳴った。
表示されていたのは、『公衆電話』の四文字。
当時はまだ、自分専用の携帯電話を持っている高校生が少なかった時代だ。
「もしもし?」
『……ハルト君?』
少し間を置いて聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。
『私、ミホです』
タクヤの彼女。
小柄で、目がくりっとしていて、愛想がいい。
正直、親友ながら「あんなヘタレがよく捕まえたな」と感心していた相手だ。
「どうした? 今日はタクヤと買い物デートじゃなかった?」
『……』
返事がない。
「何かあったんか?」
『……買い物、行ってないの』
声が、かすかに震えていた。
聞けば、待ち合わせ場所で一時間。
連絡は一切なし。
思い切ってタクヤの家に電話してみれば、あいつは眠そうな声でこう言ったらしい。
『あー、ごめん。寝てた』
それだけ。
『怒ってるわけじゃないの。でも……これって、怒っていいやつなんかなって』
ああ、なるほど。
これは警察が動くような事件じゃない。
ニュースにもならない。
ただ、約束を破られた側の心に、じわじわと消えない痣を作るだけの、小さな不誠実。
でも――。
高校生の恋愛において、これは紛れもない大罪だ。
「タクヤはな、悪気はないと思うで」
『それが、余計に腹立つんよ……』
そりゃそうだ。
「で、なんで俺に電話?」
『スマホ、持ってるって聞いたから……』
その一言で、すべてを察した。
ミホの家は携帯禁止。
連絡手段はリビングの固定電話だけだ。
家電だと、まず相手の家族への挨拶という高いハードルがある。
男性から女性の家に電話して、親父さんが出た日には、無言で切りたくなる。
さらに、失恋や痴話喧嘩の相談ともなれば、聞き耳を立てる親の視線が痛すぎる。
だから、彼女は十円玉を握りしめて公衆電話へ走り、確実に『個人』と繋がるこの小さな板切れを頼ったのだ。
「わかった。今からあいつ、ぶん殴ってくる」
『ダメ! 殴ったらダメだから……』
「はいはい。ちょっと説教してくるよ」
タクヤの家は走って数分の距離にある。
「今すぐ、ミホちゃんちまでチャリ飛ばして謝ってこい! 寝坊は事故やけど、放置は罪やぞ」
二時間後。再び、公衆電話から着信があった。
『タクヤが来たよ。……ちゃんと顔見て謝ってくれた』
心なしか、声が明るくなっていた。
『ありがとう、ハルト君』
「ええって。またあいつがやらかしたら、文明の力を使って俺を呼び出せ」
通話を切ったあと、手の中の「iPhone4」を見つめた。
この小さな文明の欠片がなかったら、
彼女は、たぶん一人で泣いていたんだろう。
事件じゃない。
でも、確かに“救われた”話だ。
俺はふと思い出し、隣で寝息を立てている妻を見る。
……そういえば、今の俺が嫁さんと結婚できたのも、あの時タクヤの恋路を必死にサポートして、恋愛の「予習」ができていたからかもしれない。
……まあ、これはタクヤには「知らなくていいこと」だけどな。




