2A-2 第三階層、影の反響室
階段を上るほどに空気は薄くなる。
旧校舎の三階へ続く階段は他の階段よりも急で、
まるで“人が上るために作られたものではない”ような角度だった。
(なんでこんな造りにしたんだろ……)
そう自分に問いかけながら上るたび、
背中に冷たい何かの気配がまとわりついてくる。
息は切れていない。
でも、心臓の鼓動が“影と混ざっていく感覚”がある。
【影落ち:36% → 39%】
《環境値:中階層は怪異の記憶が濃い》
三階に着いた瞬間、
温度が一気に下がった。
(——寒っ)
本当に吐息がかすかに白むほどだ。
その寒さは外気のものではない。
校舎の木材から滲み出る“記憶の冷たさ”だった。
廊下の突き当たりまで灯りは一切ない。
窓から入る夕暮れの光はもう届かず、
薄暗い灰色で満たされている。
床の上に、ひとつだけ薄い跡が残っていた。
(……足跡?)
小さな靴跡。
だがそれは“影”ではなかった。
影の色よりも濃い墨色で、ぺたりと貼りついている。
(紗灯の靴のサイズ……これ、近い)
触れようと手を伸ばした瞬間——
靴跡が“奥へ移動”した。
音もなく、すっと滑るように。
(……誘ってる?
それとも、逃げてる?)
【小怪異:影滑り】
【危険度:低〜中】
《精神に残るだけで肉体的危害はほぼなし》
(でも——行くしか、ないよね)
ゆっくりと廊下の奥へ進む。
そのたびに、靴跡は少し先へずれる。
廊下を歩くわたしの後ろで、影だけが笑ってついてくる。
靴跡は三階の端の教室で止まった。
扉は半開き。
誰かが入ったまま、閉め忘れたような開き方。
(紗灯……ここ、来た?)
そっと扉を押す。
「……失礼します」
教室の中はひどく静かだった。
1Fや2Fと違い、ここは“使われなくなって久しい”空間だった。
机はすべて積み上げられ、
布を被せたような埃の匂いがする。
その中央だけが、なぜかぽっかりと空いていた。
(……なに、この円形のスペース)
机の積み上げ方が不自然に“円”になっている。
中心には何も置かれていない。
いや——何かが“置かれていた痕跡”だけがある。
床板が四角く色を変えているのだ。
【推理対象更新:旧校舎3Fの反響痕跡】
(ここ、なにかの“台”があった?
……儀式?
それとも、ただの備品?)
近づいて、指でなぞろうとしたそのとき。
足もとで影が伸びた。
わたしの影じゃない——誰か“別の影”が、わたしの影に重なって伸びた。
(……誰?)
動けなかった。
寒気が、背骨の中心を這うように走った。
机の影が音もたてず揺れた。
その揺れが次の瞬間、形を変えた。
積み上げられた机の影が、あたかも“人影”になるように縮んでいく。
影だけの人間。
顔はない。
輪郭だけ。
そして、その影がこちらへ向かってくる。
(やば——)
思わず後ずさると、
カセットテープが勝手に鳴り出した。
『……おねえ……っ、ちゃ……
……あ、あ……』
影が一歩近づくごとに、
テープの声がわたしの鼓膜に食い込んでくる。
『……く、る、な……
こ、こ……こないで……』
(これ……紗灯の声じゃない)
気づいた。
この声は——
「“押した側”の声だ」
叫びにも似た混乱。
謝罪と恐怖が混ざった声。
息が荒く、語尾が震えている。
(紗灯を、押した……?)
影が目の前に迫る。
机の影の集合体がわたしの顔面へ触れようとする。
瞬間、わたしは反射的に“踏んだ”。
影を。
自分の影と、怪異の影が重なった部分を力任せに踏みつけた。
バンッ、と床が鳴る。
影写しは歪み、バラバラに散った。
机の影へ吸い込まれるように、跡形もなく。
【軽度の撃退:成功】
【影落ち:39% → 42%(戦闘後負荷)】
【カード解放条件:満たす】
部屋の空気が一気に軽くなる。
(……はあ……っ)
肩が震えた。
恐怖より、怒りの震えだ。
わたしは教室中央の“痕跡の跡”へもう一度手を伸ばす。
そこに落ちていたのは、
折れた木片だった。
裏にはマジックで文字が書かれている。
『——影写し 記録台』
『動かすな』
『危険』
(“影写し”?
つまり、ここで影の……反響? 複製?)
木片の裏のさらに隅に薄いインクで書かれた文字。
(紗灯……
やっぱり、ここに……?』
わたしは震える指で木片を拾った。
【カード入手:CARD_05『影写し記録台の破片』(SR)】
タグ:影写し/複製/紗灯接触
効果:影写し怪異の真相解明ルートが解放
【フラグ:《F_SHADOW_COPY》:影写し事件の核心へアクセス可能】
暗い教室に、ふっと光が走った。
天井近く、吊り下げられた照明の破片が
外からの薄光を反射している。
その光の位置に小さな“紙片”が引っかかっていた。
椅子をひとつ引いてその上に乗り、紙片を取る。
紙は半分濡れていた。
墨の匂い。
読む。
『——押したのは、わたしじゃない。
影が、勝手に。
あの日から、ずっとついてくる。
謝っても、許してくれない』
(押した子の日記の切れ端……?
犯人は——本当に“人”なの?)
紙がふっと手から消えた。
本当に消えた。
煙のように、跡形もなく。
(これは……どういうこと?)
教室が、きしりと鳴った。
わたしは紙片が消えた場所を見つめ、
小さく呟いた。
「紗灯。あなた——押した子に、ついて何か……?」
返事はない。
ただ、影が床で薄くふるえた。
廊下の奥、屋上へ続く階段が
“わたしを見ている”ように感じられた。




