2A-1 軋む階段と、巻き戻らない声
旧校舎の扉は、まるで誰かが内側から触れているみたいに、
勝手に「みしり」と軋いて開いた。
(勝手に、ね……)
冷たい空気が顔にまとわりついてくる。
本棟とほとんど距離は変わらないはずなのに、
ここだけ気温が二、三度低い。
夕陽はすでに角度を失い、
窓からの光も細く弱い筋になって床に落ちていた。
その筋の外側にある暗がりは、輪郭のぼやけた灰色で満たされている。
わたしの影はその灰色の上で、
わざとらしいくらい“はっきり”と形を保っていた。
【エリア:旧校舎 1F 廊下】
【影落ち:29% → 31%】
《状態:軽度の不安/好奇心による上昇》
「お邪魔します」
誰に聞かせるでもなく、そう小さく呟く。
声が思ったよりもよく響いた。
廊下には古い掲示物がそのまま残っている。
黄ばんだプリント、半分剥がれかけたポスター。
体育祭の写真には、知らない制服の子たちが笑って写っていた。
「この頃は、まだ紗灯もいなかったかな」
わたしがここに来る、ずっと前の学年。
知らない顔、知らない笑い声。
でも、こういう“知らない記録”の上に、
紗灯の一年も重なっているはずだ。
足もとで床板が鳴る。
それに遅れて、影も「きぃ」と呻いた。
(……影まで音をたてないでほしいんだけど)
ポケットの中のカセットが熱を帯びている。
持ち歩いているだけなのに、体温と違う熱。
触れると、微弱な震えが指先に伝わってきた。
「そんなに話したいことがあるなら、
ちゃんとしたプレーヤーごと出てきてよね」
独り言としてはだいぶ怖いことを言いながら、
廊下の突き当たりにある階段へと歩いていく。
階段の影が床に黒く落ちていた。
その中に、わたしの影が入り込む。
一段目。
二段目。
足を乗せるたび、古い木材が悲鳴のような音を立てる。
普通の学校なら、ただの「ギシギシ」で済むのだろう。
でも白鷺女学院の旧校舎では、その音ですら
“何かの返事”のように聞こえる。
(紗灯も、この階段を——)
想像しそうになる思考を、途中で切る。
まだ早い。
この階段に“紗灯の最後”を貼り付けるには、情報が足りない。
わたしは復讐したいんじゃなくて、
まず、正確に憎みたいのだ。
階段の途中、踊り場で足を止める。
窓。
外の景色。
夕焼けに染まった校庭が見えるはずの窓ガラスは、
薄い膜を張ったように曇っていた。
そこに映るわたしの影が、
半テンポ遅れて顔をあげる。
「……ねえ、紗灯」
ポケットからカセットを取り出して、
窓の桟にそっと置く。
古いプラスチックのケースはひび割れ、
中のテープがわずかに露出していた。
(ここなら、聞こえる?)
躊躇いながらも、
テープを指でなぞる。
その瞬間——
勝手に再生された。
『……お、ねえ……ちゃ……』
昨日と同じ声。
けれど、続きが違う。
『……い……痛……い……い、た……』
言葉の途中で、テープが巻き戻るような音がした。
キュルル、と。
そして、また最初に戻る。
『……お、ねえ……ちゃ……』
(噛み合ってない)
わたしの知っている紗灯の声は、
もっと笑いながら、たどたどしくも早口だった。
こんな途切れ途切れで、痛みに引きつった声ではない。
「……紗灯。
あなた、何回わたしを呼んだの?」
テープに話しかけるなんて滑稽だ。
でも、誰かに聞かれて困るような内容でもなかった。
『……い……や……や……』
また巻き戻る。
テープの中の時間が、上手く進めないでいる。
【カード更新:CARD_01『旧校舎の呼ぶ声』】
新情報:痛みの言葉フラグ
タグ追加:苦痛/やり直し
【影落ち:31% → 34%】
《理由:紗灯の苦痛の認識/感情負荷UP》
「あんまり、聞いてる側の心臓に優しくない仕様だよね」
自分で言って、自分で乾いた笑いが出た。
そのときだった。
窓ガラスの向こうに”何か”が映った。
わたしの肩越し。
廊下の奥。
髪の長い少女の影。
(……ゆい?)
振り返る。
誰もいない。
でも、ガラスの中にはまだ、
“こちらを見ている少女のシルエット”だけが残っていた。
輪郭がやけにぼやけている。
目元だけが黒く塗りつぶされているように見えた。
『……み……てる……』
テープの声と、ガラスの影の口の動きが、
一瞬だけぴたりと噛み合った。
わたしの影がそれを隣で見て笑う。
二階の廊下は、一階よりもさらに暗かった。
窓から差し込む夕陽は、もうほとんど力を失っている。
代わりに、廊下の奥から
“青い冷気”が薄く流れてきていた。
(あ、これ——夜の匂いだ)
人のいない学校の夜の匂い。
昔、別の学校で感じたことのある、
「ここからは人間の時間じゃないですよ」という、あの気配とよく似ている。
「失礼します」
また、誰もいない教室に声をかけて入る。
黒板にはかすれたチョークの跡がうっすら残ったままだ。
日付は消されている。
何年、何月、何日だったのかは分からない。
机と椅子が整然と並んでいて、
そこだけ“授業直前”のような時間が凍っている。
教卓の上に、ひとつだけ違うものが置かれていた。
細長いノート。
表紙は水色で、端がすこし折れている。
近寄って、開く。
中はほとんど真っ白だった。
ところどころ、鉛筆で何かが書きかけては勢いよく消されている。
その消し跡のひとつに、
「汐……」という線だけがかろうじて読めた。
(しお……“汐見”?
でも、わたしがここに来るずっと前のノート——)
背筋を冷たいものがさっと走る。
(紗灯。あなた、ここで——)
ノートの最後のページ。
そこには、他とは違う強さで、こう書かれていた。
『影を踏まれた。
影が笑っていた。
「ごめんね」って言われた』
文字の最後が、紙を破りそうなほど強くかすれている。
【カード入手:CARD_03『ノートの最後の一行』(R)】
タグ:被害者/旧校舎/影
関連:紗灯の可能性高
【影落ち:34% → 38%】
《感情負荷:強。灯子の内側に怒りフラグが立ち始める》
「ごめんねって、誰が言ったの」
ノートを閉じながら、
わたしの声は思っていたよりも低くなっていた。
「紗灯なのか、押したヤツなのか。
それとも——影なのか」
教室の空気がすこし重たくなる。
机の列の一番後ろ。
窓際の席。
そこだけ椅子が引かれたままになっていた。
ひとりが途中で立ち上がって、戻ってこなかったような位置。
わたしは、その椅子をそっと元の位置に押し込む。
音が、やけに大きく鳴った。
ガタン——。
それと同時に、教室の隅で
誰かの笑い声がかすかに”響いた。
女の子の笑い声。
でも、それは楽しげな笑いではなく、
苦しさと恐怖をごまかすための、か細い笑い声だった。
「……紗灯?」
呼びかける。
返事はない。
代わりに、窓ガラスがかすかに揺れた。
そこに映るわたしの影が、
頬に手をあてて肩を震わせている。
笑っている。
泣いているようにも見える。
教室を出て、廊下に背中を預ける。
呼吸を整えながら、頭の中に浮かぶカードを机の上に並べるようにイメージする。
【カード一覧(第2章・現時点)】
CARD_01『旧校舎の呼ぶ声』(R)
・テープから聞こえる「おねえちゃ」
・新情報:痛みの言葉/巻き戻る時間
CARD_02『影踏み儀式の噂』(N)
・裏山での遊び/影を七回踏む/帰ってこなかった子
CARD_03『ノートの最後の一行』(R)
・「影を踏まれた」「影が笑っていた」「ごめんねと言われた」
【推理スロット】
A:事故の直前、何があったか
→ CARD_02『影踏み儀式の噂』
B:被害者が何を感じていたか
→ CARD_03『ノートの最後の一行』
C:今も残っている“痕跡”
→ CARD_01『旧校舎の呼ぶ声』
頭の中で、三つのカードを並べる。
カチ、カチ、とスロットに嵌めるようなイメージ。
その瞬間、こめかみの奥で何かが弾けた。
【簡易推理結果:成功(中級)】
・影踏み儀式は、「影を踏ませる側」と「踏まれる側」がいた
・被害者は、影を踏まれ、「ごめんね」と言われている
・その後、旧校舎には“呼び続ける声”だけが残っている
【暫定仮説】
→ 紗灯は「影を踏まれた側」であり、
事故の直前に「ごめんね」と言われている。
その“謝罪”は、押した本人か、それとも——
【影落ち:38% → 36%】
・自分で整理することで一時的に冷静さが戻る。
ただし怒りのフラグは維持。
「……ありがとう、紗灯」
わたしは、誰もいない廊下でそう呟いた。
「ここまで痕跡を残してくれて。
ちゃんと、拾うから」
だから——
「もう少しだけ、呼んでて」
影が、足もとで小さくふるえた。
廊下の突き当たり。
階段をさらに上る先には、
旧校舎の三階と屋上への扉が待っている。
そこに何がいるのか。
何が残っているのか。
【フラグ:《F_OLD_UPPER_ACCESS》:旧校舎上階への進入条件が満たされた】
【次エリア解放:旧校舎 3F/屋上前】
白鷺女学院の旧校舎は、まだ口を半分しか開いていない。
ここから先が本当の“影喰い”の領域なのだと、
わたしは直感していた。




