14A1-C-b 封じ→遮断――呼吸する喉に縫い針を刺す
点検口の朱い輪はすぐ頭上にある。
地下から見上げる朱は天井の模様ではない。
天井に貼り付いた“口”だ。
口の中心の黒い濡れが薄い膜を張って呼吸している。
ぱち……ぱち……
明滅の周期が息の周期。
息が増えるほど声が軽くなる。
声が軽くなるほど返事が漏れやすい。
(ここは返事を“引き出す”場所だ)
掌の名の防壁を握り、折り目を確かめた。
折り目は封。
封は穴を潰す。
しかし、今回は先に封じる。
呼吸している喉に封を当てる。
神社裏通路の強みは、塩縁――空白護符だ。
縁で縫えば、角から剥がされるのを抑えられる。
ただし、呼吸する喉は“縁”を舐めて汚す。
『……おねえちゃん……
いま……
さわると……』
紗灯の影が足首に絡み、縫い止めるように重なった。
止めるための絡み方ではない。
“支える”絡み方だ。
(やる。今しかない)
目を上げない。
中心を見れば、見られる。
朱い輪の縁だけを見て、そこへ空白護符(塩縁)を沿わせた。
……しゃり。
塩が擦れる音。
小さいのに硬い音。
怪異が嫌う“乾き”。
縁をなぞる。
円周を縫う。
針はない。糸もない。
でも、塩が糸の役目をする。
縁を一周なぞり終えた瞬間、明滅が一拍だけ速くなる。
喉が、怒って息を吸う。
黒い濡れが縁へ舌を伸ばす。
塩縁に触れた瞬間――
ぬるり。
塩が一部だけ湿る。
湿ったところが黒く光る。
(汚された)
わたしの喉が反射で開きかける。
身体が「嫌だ」と言いかける。
耳の後ろに囁きが刺さった。
……へんじ……
わたしは名の防壁を握り潰すほど力を込め、掌に痛みを作った。
痛みで喉を閉じる。
(汐見、灯子)
心の中で名を縫い付ける。
声にはしない。
塩縁が汚れた箇所を“二重に縫う”。
一周では足りない。
汚れた部分だけ、もう一度なぞる。
……しゃり、しゃり。
塩の硬さが湿りを押し返す。
押し返した瞬間、黒い濡れがわずかに縮む。
(まだいける)
次に、名の防壁の札を“中心へ重ねる”――のではなく、
中心の一歩手前、縁寄りに当てた。
呼吸する中心に真正面から貼ると、舌が舐めて引っ張る。
だから、縁でまず縫い、縁寄りで口を狭める。
――ぺたり。
札が吸い付く。
吸い付いた瞬間、喉が一度だけ大きく息を吐いた。
……とうこ……
呼名が落ちる。
落ちた瞬間、わたしの喉が勝手に「うん」と言いそうになる。
(言うな)
奥歯を噛み、声を喉の中で砕いた。
砕けた声は息に戻る。
その瞬間、背後の闇が笑った気配を寄越す。
……いいこ……
(褒めるな。気色悪い)
心の中でツッコミを入れる。
ツッコミは日常の輪郭。
輪郭が喉を閉める。
だが――封じはまだ“呼吸の上”にある。
呼吸が止まらない限り封は削られる。
削られれば汚れが残る。
汚れは次の侵入路になる。
(ここで遮断)
わたしはすぐ壁の配線箱へ移動した。
ラベルの剥がれたレバー。
穴のある指示。
迷っている時間は喉が息を吸う時間になる。
レバーを下げた。
――カチン。
上の明滅が止まる。
呼吸が止まる。
止まる瞬間の最後の息が地下へ吐き出される。
……へんじ……
……とうこ……
短い。鋭い。
A(遮断→封じ)のときより鋭い。
なぜなら、すでに封じで“触れている”から。
”喉”は怒っている。
わたしの喉が反射で動く。
「……は……」
“はい”の入口。
返事の入口。
『だめっ!』
紗灯の影がわたしの影に完全に重なる。
縫い止める。
わたしは声を飲み込み、喉の中で砕く。
(危なかった……)
呼吸が止まったことで、札の震えが弱まった。
塩縁が湿った箇所の黒い光が、ゆっくり薄れる。
最後の仕上げとして、メモ紙を取り出し、一文字だけ書く。
”封”
歪む。
でも歪みはわたしの現実だ。
現実は怪異の外側にある。
紙を重ねた瞬間、封が“固定”される感覚があった。
縁縫いと折り目が噛み合う。
喉が閉じる。
背後の闇が距離を取った気配。
……また……
……つくる……
予告。
事実の予告。
視界にUIが浮かぶ。
【対処:成功(暫定)/神社裏通路(封じ先行)】
・原初札:封じ成功(縁縫い+名の防壁)
・放送回路(喉):遮断成功(下側)
・混入:低下
・舐め痕:軽〜中(塩縁の一部に湿り残存)
・影落ち進行:中〜高(封じ負荷+遮断反動)
【警告】
・“返事強制”の針が近い(次の夜、誘導が強まる可能性)
(……これがBの代償)
わたしは息を吐いた。
浅く。音を立てない。
返事にならない吐息。
『……おねえちゃん……
いま……
もどれる……』
紗灯の声が少しだけ柔らかい。
柔らかいのが怖い。
安心は次の油断に繋がるから。
わたしは頷き、口を閉じたまま梯子に手をかけた。
日常へ戻る。
日常の中で、次の刃を研ぐ。
ただ、掌の塩が少し湿っている。
その湿りが、いつまでも残りそうな気がした。




