◇13A1-C 神社裏通路――封の残り香、渡り廊下の“冷えた笑い”
神社から校舎へ戻る途中、わたしは一度だけ立ち止まった。
夕暮れの境界で学院の影が伸びる。
影は伸びて、伸びた先で薄くなる。
薄くなるところがいちばん危ない。
(影が薄いということは輪郭が曖昧。つまり“名”が抜ける)
掌の中の札――名の防壁が冷たいまま静かだった。
静かなものほど信用できない。
あるいは、まだ牙を見せていないだけかもしれない。
『……おねえちゃん……
こっち……
じんじゃ……うら……』
紗灯の声が足元の影から伸びた。
声は“導き”の形をしている。
導きは救いにも罠にもなる。
(神社裏通路。結界頼り。
不安定だけど、封の残り香がある。
喉に近づくなら、こっちが一番“守りの理屈”が通る)
わたし小さく頷き、神社の裏手へ回った。
拝殿の横を抜け、竹林の際に沿って歩く。
風がないのに竹が鳴る。
カラ……カラ……と乾いた音。
その音がどこか“笑い声”に似てくる。
(やめろ。音が勝手に意味を持ち始めた)
裏手の小さな門。
古い木戸に薄い注連縄が掛かっている。
縄は切れていないのに、紙垂が半分だけ欠けている。
(欠け。ここにも穴)
わたしは手を伸ばす前に、神職の女性の言葉を思い出した。
――声は最小限。返事は禁止。
――“名”が鳴るとき、飲み込む。
名の防壁を握り、門に触れた。
木の感触は冷たい。
冷たく、湿っている。
湿りは雨じゃない。”喉”が持つ湿りだ。
きい。
門が開く音がやけに長く尾を引いた。
その尾が耳の後ろにまとわりつく。
裏通路は校舎と神社を繋ぐ古い渡り廊下へ続いていた。
廊下は低く、板が軋む。
板の隙間から冷気が這い上がってくる。
一歩、踏み出した。
――ぎし。
軋む音と一緒に板の上の影が増えた。
二つ。三つ。
増えた影は、わたしの影に寄り添う形ではなく、少しだけ遅れて動く。
(遅延影。返事を待つ影)
廊下の途中に古い扉があった。
扉の札には一文字だけ。
”封”
札の字が歪んでいる。
紙の端が舐められたみたいに波打っている。
(……ここ、封が効いてる“入口”だ)
視界に淡いUIが立ち上がる。
夜の派手さはない。
紙の色に溶ける、薄い文字。
【侵入補正:神社裏通路】
・結界残存:中
・呼名強度:増(冷気で“喉”が開く)
・封の残り香:強(封じ手順が通りやすい)
・注意:地下の水脈=音が増幅する
『……おねえちゃん……
した……みず……
よばれる……』
(呼ばれても、返事をしない)
扉の前で名の防壁を取り出した。
札の冷たさがいつもより強い。
冷たさが強いのは、ここが怪異に“近い”からだ。
札を軽く折り、折り目を深くした。
折り目は封。
折り目は穴を潰す。
そして、扉の取っ手に手をかけた。
取っ手は冷たい金属だった。
金属のはずなのに――一瞬だけ、掌に“指紋”みたいな凹凸が触れた気がした。
(手続き鍵じゃない。手が触れた記憶……?)
わたしは心の中でツッコミを入れる。
(いや、ここで“誰かが先に触ってた”はホラーのテンプレでしょ……!)
テンプレでも怖いものは怖い。
テンプレは、いつでも効くからこそのテンプレだ。
扉が開いた。
空気が変わる。
冷える。湿る。
そして、音が“遠く”なる。
遠くなるのに、声だけが近い。
……とうこ……
(返事はしない)
扉の先は狭い階段だった。
階段は地下へ続いている。
一段下りるごとに木の匂いが薄れ、土と水の匂いが濃くなる。
地下は石で組まれた通路だった。
水路のように細い溝があり、そこに薄く水が流れている。
水が流れる音がずっと一定――なのに、耳がその音を勝手に言葉へ変えようとする。
……こっち……
……へんじ……
(音に意味を持たせるな。持たせたら負ける)
わたしは目線を落とし、溝の水だけを見た。
水面に自分の顔が映りそうになる。
映ったら目が合う。
映らない角度だけを選んで歩く。
通路の壁に紙片が貼られている。
小さな護符。
護符のいくつかは破れて、破れたところが黒く濡れている。
(喉が舐めた跡)
触れない。
触れずに、破れ方だけを見る。
破れ方には“手順”がある。
視界にカードが落ちる。
【証拠カード取得】
『地下護符:破れの方向(封の剥離痕)』(SR)
説明:剥がされるのは角から。縁は比較的残る。
(よし。封じは縁から)
さらに奥へ進むと、通路が二手に分かれていた。
右は上り。左はさらに下り。
だが、床に薄く残る足跡――泥の跡が左へ続いている。
足跡は人のものより小さい。
つま先だけ。
軽い足跡。
(透子の“影”の足跡)
刻印がひやりと冷えた。
熱ではない。抜ける前触れ。
『……おねえちゃん……
こっち いくと……
のど……』
「喉へ行く」
声を最小限にして言い、すぐに口を閉じた。
左へ進む。
次の角を曲がった瞬間、通路の先に古い木箱が置かれているのが見えた。
木箱の上に白い紙が三枚。
紙は護符の形。
しかし文字がない。
空白の護符。
空白の“名”。
(これ、使える。使えるけど危ない)
紙の文字は探さない。
文字がないから、逆に怖い。
紙の縁に塩が薄く残っている。
神社の塩。
結界の塩。
(これが“封の材料”だ)
紙を一枚だけ取り、もう一枚は残し、最後の一枚には触れなかった。
欲張ると数の分だけ穴が開く。
【素材カード取得】
『空白護符(塩縁)』(R)
説明:即席の封じ補強。名を書かないこと。
背後で水音が一拍だけ止まった。
止まった瞬間に声が落ちる。
……へんじ……
喉が反射で開きかける。
“うん”と言いそうになる。
危ない。危ない。
名の防壁を掌で握り潰し、爪を食い込ませた。
痛みで喉を閉じる。
(汐見、灯子)
心の中で名を縫い付ける。
通路の先に金属の梯子が見えた。
上へ続く。
配線が天井を這っている。
この上が放送機材倉庫――設備廊下と合流する喉元。
梯子の横に古い板が立てかけられている。
板に墨で手書き。
”ここより上
返事するな”
目を細めた。
(……誰が書いた? 神職? それとも、以前ここに落ちた誰か?)
“以前”がある時点で不穏が増す。
わたしは梯子に手をかけた。
金属が冷たい。
冷たさが掌の骨へ染みる。
一段登るたび上の空気が変わる。
土と水の匂いが薄れ、埃と金属の匂いが濃くなる。
“喉”の匂い。
そして、最後の段。
点検口の蓋が上にある。
蓋の縁に朱い紙が輪のように貼られている。
(原初札の導線。こっち側から触れられる)
わたしはここで神社裏通路の強みを確信した。
(封の残り香がある。
封を“貼る前”に、封の向きを学べた。
そして、空白護符で補強できる)
ただし代償もある。
地下の冷気で呼名が強くなる。
耳元でささやきが落ちた。
……とうこ……
(返事はしない)
点検口の縁だけを見て、中心を見ない。
見ないまま掌の札を折り直す。
折り目を深くする。
視界にUIが浮かぶ。
【到達】放送回路:点検口(下側)
所持:名の防壁/空白護符(塩縁)/地下護符(剥離痕)
次:喉の遮断と封じ(Part14-Cへ)
点検口の向こうから薄い電気の明滅が漏れた。
ぱち……ぱち……
呼吸の周期。
喉はまだ生きている。
点検口に手をかけた。
(次で塞ぐ。
今度は返事をしない。
封を剥がされない。
そして――透子の“別口”を断つ)
点検口の向こうで誰かが笑った気配がした。
笑いは声にならない。
だからこそ、返事を誘う。
わたしは口を閉じたまま、ゆっくり蓋を押した。




