★14A1-B 配線図と朱判――“手続き”で喉に触れ、現実で喉を塞ぐ
図書館の紙の匂いを背にした瞬間、喉の奥が少しだけ乾いた。
安心は長く続かない。
安心が続く世界なら、そもそも白鷺女学院は“喉”にならない。
わたしは歩きながら頭の中で配線図を展開した。
線の集合が血管のように脈打って見える。
だが、Bルートの利点はそこだ。
(”見えている喉”に行ける。
誘導されるんじゃない。こちらから辿れる)
そして掌の中にはもう一つの“鍵”がある。
物理鍵ではない――朱判:立入許可(形状記憶)。
判の形を指先でなぞる。
それだけで背中がひやりとする。
(学院の“許可”って、結局は儀式の一部なんだよね)
『……おねえちゃん……
てつづき……
きらい……』
「うん。私も」
声を最小限にして答え、すぐに口を閉じた。
返事はしない。
“答える”のではなく、機械的に発するだけ。
特別棟に入る角を曲がると、空気が変わった。
明るさは同じなのに音が薄い。
壁が音を吸うというより、音が最初からここへ届いていない感じ。
放送室の表扉は相変わらず“日常”の顔をしている。
掲示。注意書き。委員会の紙。
それらが揃っているほど逆に不自然だ。
わたしの視線は裏側――設備廊下へ。
「関係者以外立入禁止」の札。
その文字の一部が薄い。
”関係者以外 立入__止”
薄い箇所が口みたいに見えた。
(ここが”喉”)
朱判を取り出し、札の前で一瞬だけ止まった。
誰かに見られてはいけない。
でも、“手続き”は見せるためのものでもある。
判を空中で押す動作をした。
実際に紙はない。
けれど“形状”が残っている。
――ぽん。
音は鳴らない。
代わりに、札の薄い箇所がほんの一瞬だけ濃くなる。
まるで、見えないインクが通ったみたいに。
扉の取っ手に触れると、冷たさが普通だった。
Aルートで感じた“人肌”ではない。
(効いてる。朱判が“通行”を通した)
ぎい、と扉が小さく鳴る。
設備廊下の空気が流れ込んでくる。
配線の匂い。金属の冷え。点検口の口腔みたいな湿り。
照明が、ぱち……ぱち……と呼吸するように明滅している。
だが今日は明滅の“癖”が見える。
(配線図どおり。明滅は周期。周期は回路の鼓動)
配線盤の位置を思い出し、床の点検口を避ける歩幅を選んだ。
点検口の縁に影が落ちない箇所がある。
そこは“無影域”――踏めば足首から名を引かれる。
配線図が地図になる。
地図が現実の救命具になる。
視界に控えめなUIが浮かんだ。
【侵入補正:図書館ルート】
・朱判(立入許可)適用:影導線の反応低下
・配線図(旧式)適用:無影域回避の成功率上昇
・注意:放送混入は残存(別口の導線の可能性)
(別口……透子の影導線)
廊下の奥――「放送機材倉庫」の札が見える。
札の欠けはあるが、朱判のせいか、欠けが“口”になりきらない。
扉の前で、わたしは名の防壁を一度握り直した。
痛みはない。
それが逆に怖い。痛みがないのは引かれていないからじゃない。
引かれる準備をされているだけかもしれない。
扉を開ける。
埃。スピーカー。古い機材。
そして――床の中央、点検口。朱い輪。
黒い濡れが光っている。
(原初札。ここだ)
一歩手前で止まった。
先に“準備”を終える。
配線図が指示していたのは、点検口だけじゃない。
配線盤。ラベルの剥がれたブレーカー。
そして、点検口の朱い輪の貼り方の癖。
(封じを貼るなら、この向き。
折り目はこの方向。
剥がされにくいのは――角じゃなくて“縁”)
ここまで来て、わたしは自分の呼吸が浅くなっているのを自覚した。
怖いのではない。
返事をしないために、息を削っている。
背後の暗がりが少しだけ濃くなる。
……とうこ……
呼名が落ちた。
でも朱判のせいか、“喉の直撃”ではない。
遠い。壁越し。薄い。
(透子の影導線。まだいる。でも、距離がある)
わたしは手順だけを選ぶ。
a:先にブレーカー遮断
b:先に封じ札貼付
――――――――――――――――
<a:先にブレーカー遮断(遮断→封じ)>
わたし配線盤へ向かった。
ラベルが剥がれたブレーカー。
配線図の角にあった“点検口と同期”の記号――それが一致する。
(これを落とせば、明滅して呼吸が止まる)
左手で名の防壁を握り、右手でブレーカーに触れた。
金属は冷たい。
冷たいのに、指先が熱い。
明滅が一拍だけ強くなる。
点検口の黒い濡れが膨らむ。
喉が最後の息を吸う。
『……おねえちゃん……
いま……』
(分かってる)
心の中で名を握る。
(汐見、灯子)
そして、ブレーカーを下げた。
――ガチン。
明滅が止まる。
倉庫が暗くなる……はずが、非常灯が一拍遅れて点いた。
薄い赤。病院みたいな赤。
その“遅れ”に、混入が滑り込む。
「放送委員より――」
「――……す……ず……」
「――……へんじ……」
「――……とうこ……」
四つの断片。
だがAルートのときより“まとまり”が弱い。
朱判で距離を作った分、喉の直撃が減っている。
(耐えられる)
奥歯を噛み、声を閉じる。
返事はしない。
喉の奥でだけ名を握る。
(汐見、灯子)
点検口へ移動。
朱い輪の縁だけを見る。中心は見ない。
封じ札を取り出し配線図で覚えた向きで貼る。
角からではなく、縁に沿わせる。
折り目が穴を潰す方向。
――ぺたり。
札が吸い付くが、Aルートほど“舐め”が強くない。
呼吸が止まっているからだ。
掌で押さえ、圧をかける。
圧は意志。意志は縫い目。
そして、最後にメモ紙を重ね、一文字だけ書く。
”封”
歪んだ字でもいい。
歪みが灯子の“現実”だ。
札が一度震え――静かになった。
背後の暗がりの濃さが、少し薄れる。
……また……
……つくる……
透子の影導線の予告。
しかし今は喉が閉じた。
視界にUIが浮かぶ。
【対処:成功(暫定)/図書館補正】
・放送回路(喉):遮断成功
・原初札:封じ貼付成功(仮)
・混入:大幅低下
・影落ち進行:中(遮断反動)
・朱判:消耗(形状の薄れ)
(朱判は一度きりに近い。次は別の鍵が要る)
わたしは扉へ向かい、日常の薄い音へ戻った。
――――――――――――――――
<b:先に封じ札貼付(封じ→遮断)>
わたしは先に点検口へ膝をついた。
朱い輪の貼り方の癖――配線図で読んだ“弱点”を思い出す。
(角じゃない。縁。縁を先に塞ぐ)
封じ札を取り出し、縁に沿わせて貼る。
穴の中心を見ない。
見れば、見られる。
――ぺたり。
喉が嫌がる。
照明の明滅が一拍速くなり、黒い濡れが札の下へ舌を伸ばす。
札の端が浮く。
背後で影が笑う気配。
……いいこ……
(褒めるな、気持ち悪い)
名の防壁を噛むように握り、札を掌で押さえ込む。
圧で縫い止める。
そして“封”の一文字を重ねる――が、まだ足りない。
喉は呼吸している。
呼吸している喉は封を剥がす。
すぐ配線盤へ手を伸ばし、ブレーカーを落とした。
――ガチン。
呼吸が止まる。
止まる瞬間の最後の息が短く噴き出る。
「――……とうこ……」
「――……へんじ……」
短い。鋭い。
だが、朱判で距離があるぶん、Aルートほど致命的ではない。
声を出さず名だけを握る。
(汐見、灯子)
呼吸が止まったことで、札の端が沈む。
沈む瞬間、黒い濡れが最後に一度だけ舐める。
わたしはすぐに折り目を深くし、縁を潰す。
最後に“封”の字を重ね、意志を固定する。
札が静まった。
視界にUIが浮かぶ。
【対処:成功(暫定)/封じ先行】
・原初札:封じ貼付成功(仮/端に微量舐め痕)
・放送回路(喉):遮断成功
・混入:低下
・影落ち進行:中〜高(封じ負荷+遮断反動)
・注意:舐め痕は“別口導線”の足場になり得る
(封じ先行は早いが汚れる。汚れは次を呼ぶ)
わたしは扉へ向かった。




