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●6-11A1 名簿の穴、筆跡の糸

 日常の中で名を探すという行為は思った以上に危うかった。


 名は本来当たり前にそこにある。

 呼べて、書けて、記録できて、返事が返ってくる。

 それが”普通”だ。


 なのに今の白鷺女学院では名が“穴”になっている。


 わたしは職員室前の廊下で足を止めた。

 引き戸の向こうの声が遠くに感じる。

 先生たちの会話はあるのに、どこか音が薄い。


『……おねえちゃん……

 ここ……おとなしい……

 ひるでも……』


「分かってる」


 小さく頷く。

 静かな場所では怪異の声が響く。

 だからわたしは、わざと足音を立てた。


 コツ、コツ。


 日常の音を自分で作る。

 それだけで喉が少し楽になる。


 今日は“名簿”によく触れる日だ。

 資料室で学年の名簿を確認する。

 資料室は静かで、紙の匂いが濃い。

 地下の匂いを思い出させる場所でもある。


(入るなら短く。見て、取って、出る)


 資料室の引き戸を開けた。


 紙の匂い。

 古いインク。

 木の棚の黴。

 息を吸うほど喉の奥が乾いていく。


 室内には誰もいない。

 だからこそ危険が濃くなる。


 わたしは棚から1年生の名簿ファイルを引き抜いた。

 ファイルの背表紙には黒い文字で「一年」と書かれている。

 その文字が妙にくっきりしている。


 ファイルを開くと、整った表が並んでいた。


 クラス。出席番号。氏名。ふりがな。

 そして――氏名欄のところどころが、白い。


 空白。

 紙の白ではなく、何も書かれていないのにそこだけ暗い白。


 視線を滑らせる。


 一年二組。


 12 ____

 13 山下 まどか

 14 ____

 15 鈴木 ___


 指先が止まった。


(鈴木。ここにいる。

 でも、下の名前が欠けてる)


 その欠けは印刷が飛んだように見える。

 でも、飛んだのはインクではなく“日常”だ。


 紙には触れない。

 触れたら、穴がこちらを触る。


 スマホを取り出し、メモの画面を開く。

 写真を撮るふりは危険だ。

 “記録”に干渉される可能性がある。

 だから、目で見て、短く書く。


(一年二組、鈴木、下の名前欠落、出席番号15)


 その瞬間、視界の端にUIが滲む。


【証拠カード取得】

『一年二組名簿:鈴木(下の名欠落)』(SR)

説明:対象の“本名の穴”を公的に確認。復元条件の中核。


 わたしはファイルを閉じようとして――

 ふと、名簿の端に挟まった紙片に気づいた。


 落書きのようなメモ。

 細い字で何か書いてある。

 読むのは危険だ。

 でも、筆跡は材料になる。


(読むんじゃない。見る。形だけを拾う)


 目を細め、文字の“線”だけを追った。


 ___室の…

 ……放送……

 ……古い……


 途中が欠けている。

 欠けているのに、線だけは残っている。


(放送室。古い。

 放送回路の古い層に触れてる)


 わたしは紙片をそっと抜いた。

 触るとき、指先に冷たさが絡む。

 紙が“紙じゃない”感触。


『……おねえちゃん……

 それ……

 あぶない……』


「持っておく。封じて」


 鞄の内ポケットに入れ、指で折り目を付ける。

 折り目は“封”の形の一部。

 神社で見たあの折り方とは違う。

 でも、折るという行為は穴を塞ぐ意志になる。


 視界にカードが落ちた。


【素材カード取得】

『欠けたメモの筆跡(鈴木)』(R)

説明:本人の筆跡は“名の糸”。復元に使用可能。


 わたしはすぐ資料室を出た。

 息を吐く。

 廊下のざわめきが戻ってきて、喉が少しだけ楽になる。


(次は本人に接触。

 でも、本人は自分の名を言えない)


 言えない相手に名を返す。

 それは“救い”に見えるけれど、同時に“穴に触る”行為でもある。


 わたしは保健棟へ向かった。

 神社で縫合した影――仮名「鈴」の影の“本体”が、もしかすると保健棟にいる可能性がある。

 あるいは、本人は普通に授業に出ているかもしれない。


(どっちでもいい。

 会えば日常の糸が増える)


   *


 一年棟の廊下は二年棟より少しだけ甘い匂いがした。

 洗剤。柔軟剤。新品のノート。

 日常の匂いが濃い。


 わたしはそこで羽形のヘアピンを見つけた。


 廊下の掲示板の横、落とし物箱ではなく、机の角に置かれている。

 誰かが拾って、とりあえず置いたのだろう。


(昨日の“羽形”と同じ)


 触れずに、目で拾う。

 そして、背後から声がした。


「……それ、私の……」


 振り向くと、背の低い一年生が立っていた。

 制服が少し大きくて、袖が余っている。

 髪は黒で、後ろでひとつに結っている。

 そして、目の下に薄い影。


 彼女の影は床に落ちている。

 落ちているのに、端が“ぼやけている”。


(この子が……鈴木)


 わたしは笑顔を作った。

 優しい笑顔。

 日常の笑顔。


「落ちてたよ。君の?」


「……はい。たぶん……」


 声が小さい。

 小さいけれど、ちゃんと人の声だ。

 地下の呻きとは違う。


「名前、言える?」


 訊いた瞬間、少女の瞳が揺れた。


「……す、ず……」


 言いかけて、そこで止まる。

 喉が詰まるみたいに。


「……ごめんなさい。

 最近、変で……

 自分の名前、最後まで言えないんです」


 胸が沈んだ。


(穴が喉にある)


 わたしはすぐに話題を変えた。


「大丈夫。無理に言わなくていい。

 えっと……クラスは?」


「一年二組、です」


(一致)


 羽形のヘアピンを指さした。


「付ける?」


 少女は頷き、手を伸ばす。

 指先が少し震えている。


 わたしはその震えを見て、あえて冗談っぽく言った。


「ヘアピンってさ、普段は何でもないのに、いざ落とすと一瞬で萎えるよね。

 “あ、終わった”ってなる。お気に入りは特にね」


 少女がほんの少しだけ笑った。


「……分かります」


 笑いが生まれた瞬間、少女の影のぼやけが少しだけ引き締まった。


(笑いが縫い目になる)


 わたしは確信する。

 この子の“日常”はまだ残っている。

 だから復元できる。


 優しい声で訊いた。


「ねえ。

 君の友だちって、君のこと何て呼ぶ?」


 少女は少し考えて、言った。


「……“すず”って」


(すず。輪郭。仮名と一致)


 視界にカードが落ちた。


【素材カード取得】

『呼称:すず(友人呼び)』(R)

説明:対象一致。仮名「鈴」と接続。復元効率が上がる。


 わたしはさらに訊く。


「好きなものは?」


 少女は少し困った顔をして、でも答えた。


「……放送室、好きでした。

 機械の音が、落ち着くから」


 その言い方がどこか過去形だった。


(“好きでした”?)


 背中が冷えた。


「今は?」


 少女は一瞬だけ目を伏せた。


「……最近、放送室の裏に行くと、

 自分の名前が遠くから聞こえる気がして……

 怖くて、行けません」


 喉の奥を撫でられる感覚がわたしにも伝染した。


 ……とうこ……


 今のは呼名じゃない。

 でも“呼ばれる感覚”が、通路の影から漏れてくる。


『……おねえちゃん……

 そのこ……

 つながってる……』


(放送回路。原初札。透子の導線)


 わたしは少女を怖がらせないように軽く言った。


「行かなくていい。

 放送室は今ちょっとメンテ中ってことで」


「……はい」


 少女は頷いたが目の奥の不安は消えない。


 わたしは決めた。

 この子の本名を神社で縫合し直す。

 そのための“材料”は揃ってきている。


 でも――ここで最後の糸が要る。


(筆跡。本人の“自分で書いた名”)


 わたしは訊いた。


「ねえ、“すず”って書ける?

 メモでいいから」


 少女は少し戸惑ったが、頷いてカバンから小さなメモ帳を出した。

 ペンを握る。

 そして書こうとして――止まった。


「……書けない。

 自分の名字は書けるのに、

 下の名前のところだけ、白くなる」


 ペン先が紙の上で空回りする。

 インクが出ないわけじゃない。

 出ているのに、そこだけ残らない。


(文字が“欠ける”……!)


 息を殺した。


(この現象そのものが材料になる)


 メモ帳を返し、優しく言った。


「大丈夫。

 書けないなら、今は書かなくていい」


 少女は申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません……」


「謝らないで。悪いのは君じゃない」


 わたしは笑ってみせた。

 笑顔は仮面。

 でもその仮面の下で、怒りが氷の刃になる。


(黒幕。透子。原初札。

 日常設備に巣食う儀式)


 わたしは少女のヘアピンを指で整えてやり、言った。


「今日の放課後、神社の方に来れる?

 ……ちょっと、“お守り”を作りたいんだけど」


 少女の目が少し丸くなる。


「お守り……?」


「うん。すずのための」


 少女は一瞬だけ笑った。


「……はい。行きます」


 その返事がわたしの胸に刺さった。


(返事。

 普通に返事ができる日常を、守らなきゃいけない)


   *


 少女と別れた直後、廊下のガラスに映る自分の影を見た。

 影が、ほんの一瞬だけ遅れて動いた。


(……いる)


 振り返りたい。

 でも振り返ると“呼ぶもの”がそこに固定される。


 代わりにスマホのメモを開き、材料を確認した。


 一年二組名簿:鈴木(下の名欠落)


 筆跡メモ (鈴木)


 呼称:すず


 羽形ヘアピン


 貸出傾向:校史/旧式放送機材


 放送委員名簿の欠落


(揃ってる。

 あとは神社で“縫合の最終段階”をやる)


 そのとき、校内放送が鳴った。


「放送委員よりお知らせです。

 本日の清掃当番は――」


 音が一拍だけ擦れた。


「――……す……ず……」


 心臓が止まりかけた。


(“すず”が混ざった。

 原初札がこの子を狙ってる)


『……おねえちゃん……

 はやく……

 よる くる……』


「分かってる」


 わたしは歩き出す。

 日常の顔のまま。

 でも足は速い。


(放課後までに放送回路の裏を抑える。

 神社で縫合を完成させる。

 透子の導線を切る)


 そして、心の中で誓う。


(鈴木――“すず”。

 この子の名を返す。

 名を返すことで、黒幕の回路を一つ折る)


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