●6-10A1 昼の学院――欠けた日常の収集と“名前の材料”
神社の空気から校舎の空気へ戻ると、世界の色が一段だけ明るく見えた。
夕方の手前、まだ日差しが窓の縁を金色に縫っている時間。
笑い声が廊下を流れ、部活の掛け声が遠くで跳ねる。
けれどわたしは、明るさを信じられなかった。
明るいのは見えている表面だけだ。
その下で影が動いている。
影はいつも通りに床へ落ちているのに、輪郭が”弱い”。
『……おねえちゃん……
ひる……
でも……ある……』
紗灯の影が足元で小さく囁いた。
昼でもある。
昼だからこそ、見えないふりをして広がれる。
(欠落の材料は“日常”に紐づく。
だから昼が必要――なのに、昼が危ない)
わたしは首元の刻印を指で隠しながら、校舎へ戻った。
神職の女性から預かった“封”の折り紙は鞄の内ポケットに入れてある。
あの紙は冷たい。
冷たいままのほうが、たぶんいい。
神職の女性の言葉が頭の中で反復する。
──本名は本人の“日常”に紐づいている。
──家族、友人、呼び方、持ち物、癖、記録。
(材料を集める。
推理カードを集めるみたいに)
わたしは廊下の掲示板の前で立ち止まった。
視線を走らせる。
部活の名簿。清掃当番。委員会。
その中で一つだけ、目が滑る箇所がある。
放送委員:___(欠)
訂正欄も空白。
空白が“穴”として残っているのが分かる。
(この穴があの子の穴と同質なら――材料になる)
足元に小さな無影域は見えない。
けれど、影が薄い点がある。
紙の上の空白と同じく、そこだけ現実が弱い。
わたしは平静な顔を作ってスマホを取り出した。
メモを取るふり。
誰かが見ても、ただの転入生の几帳面さに見えるように。
そして、心の中でカードが生成される感覚。
【証拠カード取得】
『放送委員名簿:欠落の空白』(R)
説明:校内設備(放送回路)に紐づく“名の穴”。復元素材になりうる。
『……それ……
そのこ……つながる……?』
「うん。たぶんね」
わたしは短く答え、歩き出す。
日常に混ざる。
混ざりながら拾う。
*
「灯子ー!」
背後から明るい声。
りいなが小走りで追いついてきた。
「どこ行ってたの? 神社の方から来たよね? デート?」
「してない」
「即答!」
りいなが大げさに胸を押さえる。
「いや、即答は即答で心が痛いんだけど!? ねえ今の、私がフラれたみたいじゃない!?」
(ツッコミが早い。助かる。日常の速度は怪異の速度を乱す)
わたしは肩をすくめ、わざと軽く返した。
「りいなは“フラれる前提”で話しかけてくるのが悪い」
「ひどっ!」
そのやりとりを見て、みゆとほのかも合流してくる。
しずくは保健棟で休んでいるらしい。
それだけで胸が少しだけ軽くなった。
(しずくの欠落は止めたい。
でも、今日の目的は別――“鈴”の本名の材料)
「灯子。今日さ、委員会のプリント配られてたよ。見た?」
みゆが紙束を指さす。
紙束の角が少し欠けている。
そこだけ影が薄い。
わたしは受け取り、視線だけを滑らせた。
「ありがとう。後で見る」
「ねえねえ、灯子ってさ、変なところで真面目だよね」
ほのかが笑う。
その笑い方がほんの少しだけ“揺れて”見えた。
(ほのかも疲れてる。
欠落の前触れは疲れに似る)
わたしは敢えて明るく言った。
「真面目じゃないと、生き残れないゲームなんだよ」
「え、なにそれ? こわ!」
「こわがるのが遅い……! もう、始まってるよ?」
「やめて!? その言い方、夜に思い出すやつ!」
りいなの絶叫が廊下に響いた。
笑い声が起きる。
笑いは強い。
笑いは日常の結界になる。
わたしはその笑いの中でみゆたちの“呼び方”に耳を澄ませた。
りいなはほのかを「ほの」
みゆはしずくを「しーちゃん」
ほのかはみゆを「みゆみゆ」
(呼び方。癖。日常の糸)
胸の中でまたカードが生成される。
【素材カード取得】
『呼び方メモ:しーちゃん/ほの/みゆみゆ』(N)
説明:日常の“呼称”は名の復元素材。対象一致で効果増。
(対象が一致したとき、素材になる。
“鈴”の周囲にも固有の呼び方があるはず)
*
わたしは自然な流れで言った。
「しずく、保健棟だっけ。顔出していい?」
「うん、行こ行こ。てか灯子、しずくのこと気にしてるの優しいね」
「優しいっていうか……気になる」
りいなが目を細める。
「気になるって言った。今、気になるって言った。恋?」
「違う」
「即答!」
(そのテンポ、ほんと助かる)
保健棟の廊下は静かだ。
静かすぎて微かな音が耳の内に残る。
ここは危ない。
声が少ない場所は怪異が声を作りやすい。
扉の向こうで、しずくがベッドに座っていた。
顔色は戻っている。
でも目の下の影が薄い。
「灯子……ごめんね、心配かけた」
「大丈夫。無理しないで」
わたしはそれ以上言わない。
“影が薄い”なんて口にしたら、しずくの恐怖が形になる。
形になれば、穴になる。
保健の先生が席を外した隙に、わたしは机の上の来室記録に視線を落とした。
名前の欄にやはり空白がある。
(来室記録にも欠落がある。
欠落は点じゃない。面で広がってる)
わたしはスマホでメモを取るふりをして、カード化する。
【証拠カード取得】
『保健棟来室記録:名前欄の空白』(R)
説明:欠落が“公的記録”に浸透。対象の本名復元には逆に手掛かりとなる。
しずくが小声で言った。
「ねえ……灯子。
私、さっきのこと、ちゃんと覚えてるはずなのに……
“何を怖がったか”だけ、思い出せない」
背中が冷えた。
(恐怖の原因だけが抜ける。
これ、怪異が自分の存在を隠すための欠落だ)
わたしは優しい顔で、でもはっきり言った。
「思い出さなくていい。
怖いものを無理に覗くと……それ、付いてくるから」
「……灯子ぉ、そういう言い方やめてってば」
しずくが笑おうとして、笑いが半分で止まる。
その止まり方が日常の隙間だ。
『……おねえちゃん……
ひるの すきま……
あぶない……』
(分かってる)
わたしは話題を変えた。
「しずく、放送委員の子、知ってる?」
しずくが首を傾げる。
「放送委員……? えっと……名前が……」
言いかけて、しずくの表情が曇った。
「……あれ? なんでだろ。
“顔”は浮かぶのに、名前が出ない……」
りいなが冗談っぽく言う。
「しずく、記憶喪失系ヒロイン?」
「やめてよ……」
でも、その冗談が救いだった。
笑いが穴を塞ぐ。
わたしは、しずくの“顔が浮かぶ”という言葉を材料として受け取った。
(顔の記憶は残ってる。
なら、持ち物や癖も残ってるはず)
*
わたしはみゆたちと別れ、図書館へ向かった。
理由は自然に見せる。
転入生が校内を把握するための“調べ物”。
でも本音は違う。
(欠落した名前の材料を集める。
そして透子へ繋がる“原初札”の痕跡も拾う)
図書館は静かで、紙の匂いがする。
紙の匂いは安心と同時に地下の匂いも思い出させる。
カウンターの前で司書当番の生徒が帳簿を整理していた。
普通の子の顔。
けれど、指先が少し震えている。
「貸出記録、見てもいい?」
わたしが言うと、その子は一瞬だけ目を丸くした。
「え、あの……個人情報だから……」
「じゃあ、個人が特定できない範囲で。
放送委員の子、最近よく本借りてない?」
相手が困った顔をする。
でもわたしの顔が“整いすぎていて”断りにくいのか、少しだけ視線が泳いだ。
(この顔の強さ、こういうときに嫌になる)
その子が小声で言う。
「……よく来てた子ならいる。
髪留めが、ちょっと変わってる子。
羽みたいな形の……」
(羽みたいなヘアピン。見覚えがある)
わたしの脳裏に、地下で拾ったヘアピンがよぎった。
加害者の二人目の気配。
それとも放送回路の中心人物。
(どっちにせよ、材料)
わたしは目を細めて訊く。
「その子、何の本借りてた?」
「……古い、校史。
あと、放送機材のマニュアル……
変だよね。“古い機材”を調べるなんて」
背筋が冷える。
(古い機材=原初札が噛んでる可能性)
視界にカードが生まれる。
【証拠カード取得】
『貸出傾向:校史/旧式放送機材マニュアル』(SR)
説明:放送回路の“古い層”へアクセスしていた痕跡。原初札の導線に一致。
さらにわたしは机の端に置かれた落とし物箱に視線を滑らせる。
そこに、羽形のヘアピンが入っていた。
(……ある)
ただし、箱の札が一部欠けて読めない。
落とし主:___
触れずに、観察だけでカード化する。
【素材カード取得】
『羽形ヘアピン:落とし物(未回収)』(R)
説明:対象の“日常の持ち物”。本名復元素材/加害者導線素材の両方になりうる。
(材料が揃ってきた。
仮名「鈴」の本名へ近づける)
*
わたしは図書館の隅でスマホのメモを開くふりをして思考を組み立てた。
推理スロットは夜の儀式だけじゃない。
昼の推理にも使える。
――演出は薄めだけど。
(カードを三枚。欠字を埋める)
意識の中で並べる。
A:リボン刺繍:_ずき(R)
B:貸出傾向:校史/旧式放送機材マニュアル(SR)
C:羽形ヘアピン:落とし物(R)
回転。
静かな回転。
紙の匂いに溶ける回転。
【推理(昼)結果】
・対象候補名:鈴木 の可能性が高い
・放送回路への関与:高(機材マニュアル)
・“欠落の穴”に近い位置にいた(校史の閲覧=原初の層)
【次の収集目標】
①クラス名簿(1年)該当者確認
②本人の筆跡(プリント/ノート)
③呼び名(友人の口から)
わたしは息を吐いた。
声にしない息。
でも、胸の中の氷が少しだけ形を持つ。
(鈴木。
“鈴”の輪郭がちゃんと現実に繋がった)
『……おねえちゃん……
その なまえ……
ちかい……』
「うん。近い」
席を立つ。
次は1年の名簿。
でも名簿は危険だ。読むと削られる。
読むなら、必ず日常の騒音の中で。
*
図書館を出た廊下で、校内放送が流れた。
「放送委員よりお知らせです。
本日の清掃当番は――」
一瞬だけ、音が擦れた。
「――……とう……」
わたしは立ち止まらない。
返事をしない。
目線も上げない。
(混入がまだ生きてる。
”救出”を選んでも、放送回路は完全には止まっていない)
廊下のガラスに自分の影が映る。
その影が、ほんの一瞬だけ――遅れて動いた。
(……見られてる)
『……おねえちゃん……
うしろ……』
振り返らない。
振り返ると、そこに“呼ぶもの”がいる。
代わりに、日常の声へ自分を投げる。
「りいな!」
遠くのりいなが振り向く。
「なに!? 呼んだ!? 呼んだね!? 私の名前呼んだね!?」
「うるさい」
「うん! それそれ!」
笑い声が起きる。
影の遅れが薄まる。
わたしは笑いの輪の中で次の一手を決めた。
(1年名簿。筆跡。呼び名。
鈴木の“日常の断片”を集めて、縫合を完成させる)
そして同時に、透子の置き土産――原初札の導線も追う。
(昼のうちに材料を揃える。
夜はまた、来る)




