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  ○6-9A2 放送室の裏――日常設備に巣食う“原初札”と、救えなかった声

 階段を駆け上がった瞬間、空気が変わった。


 地下の湿り気が背中から剥がれる。

 代わりに、埃っぽい乾いた匂い――校舎の匂いが鼻を刺す。

 ただし、いつもの校舎じゃない。


 音が薄い。


 廊下のざわめきが遠い。

 誰かの笑い声が壁一枚向こうの“別世界”にあるみたいにぼやける。


(……裏側に出た)


 わたしが足を踏み入れたのは、放送室の“裏通路”だった。

 普段は生徒が入らない設備用の細い廊下。

 配線が天井を走り、床の点検口が等間隔に並んでいる。


 照明が微かに明滅していた。

 ぱち、ぱち、と呼吸するように。


 その明滅の“”で、わたしの影が一瞬だけ増える。


 二つ。

 三つ。

 そして戻る。


 首元の刻印が氷を押し当てられたように冷たく疼いた。


【影落ち進行:上昇(継続)】

原因:地下導線接続/影三重化(設備廊下)

追加:一般生徒欠落(未救出)→遠隔共鳴


 最後の一行が心臓の裏側を殴った。


(未救出……)


 地下の部屋に残した“奪われかけた影”。

 その子が、まだわたしの名を呼んでいる――そんな気配が喉の奥に残っている。


『……おねえちゃん……

 さっきの こ……

 まだ……よんでる……』


 紗灯の声は小さい。

 でも小さいほど、痛い。


 ……分かってる。


 わたしは返事をしないように、声を抑えた。

 声にすると、罪が形になる。

 形になれば、黒幕に燃料として拾われる。


 そのとき、前方の暗がりで紙が擦れる音がした。

 札だ。媒介札の音。


 わたしは息を殺し、壁に背を沿わせた。


 影が動く。

 制服の裾が揺れる気配。

 篠宮透子が廊下の先で立ち止まる。


 透子は振り返らない。

 それでも、こちらがいることを知っているように言った。


「……戻らないんだ」


 言い方は静かで、日常の会話みたいなのに、内容だけが”毒”だ。


「救える子を置いてきた。

 あなた、そういう選び方するんだね」


 わたしは返事をしない。

 返事をした瞬間、透子の思惑の“会話”になる。


 透子は続ける。


「ここ、いいでしょ。

 放送室の裏。

 日常の設備って、いちばん便利。いちばん拡散する」


 照明が一度、強く瞬いた。

 その瞬間、透子の影が三つに重なる。


 わたしの刻印が反応した。


【警告】影三重化:媒介者(篠宮)

【危険】名の引き抜き:増幅(放送回路)


(ここが“中心”……)


 放送室床下の中心。

 Bルートで割れたはずの中心が、ここではまだ健在――あるいは再起動している。


 透子が点検口の上にしゃがみ込んだ。

 手袋越しに、錆びた金具を引っ張る。


 ぎぃ、と金属が鳴る。


 その音が校内放送に紛れた。


「……放送委員より……

 ……とうこ……」


 背中が冷えた。

 混入が今も起きている。


(まずい。ここで“灯子”が校内に撒かれ続ける)


 わたしは推理スロットを立ち上げる。

 この場所は感情で突っ込めば落ちる。

 情報で切るしかない。


 持っているカードを意識の指で並べる。


A:媒介札破片:朱の導線(SR・封印)

B:放送室鍵タグ:文字欠落(SR)

C:影三重化の明滅(R)


 スロットが回る。

 回転音が照明の明滅と同期する。

 そして結果が落ちた。


【中級推理:結果】

・透子の目的:放送回路を“名の拡声器”に固定

・床下にあるのは「原初札(学院地下由来)」

・原初札は“読ませる”ことで奪う(聴かせる/呼ばせる)

・破壊は不可。対処は「封印折り」または「回路遮断」

【追加警告】未救出対象の呼名が共鳴し、刻印が引かれる


(あの子が“共鳴”してる……!)


 その瞬間、喉の奥にかすれた声が戻ってきた。


 ……とう……こ……


 地下の声。

 遠いのに、内側で鳴る。


 指先が震えた。

 返事はしない。

 でも、呼ばれ続けるだけで名が削れる――それが“拡声器”の恐ろしさ。


 透子が点検口の奥へ手を伸ばす。


 そして、何かを引き抜いた。


 紙。

 札。

 だが、普通の札と違う。


 札の中心が空白ではない。

 空白のはずの部分が黒く濡れている。

 名を吸った穴が濡れた墨みたいに脈打っている。


(……原初札)


 透子はその札を掲げたまま、ようやく振り返った。


 笑顔は相変わらず整っている。

 でも今日の笑みは、少しだけ“満ちている”。


「ねえ、汐見さん。

 これ、あなたの学校にもあったよ」


 わたしの視界がきゅっと狭くなる。


(……転入前の学校……)


 透子は続ける。


「いじめのあとって、空白が残るでしょ。

 みんな“なかったこと”にするために、名前を薄くする。

 その薄さを、こういう札が拾うの」


 わたしの中で、氷が鳴った。

 怒りと吐き気が同時に立ち上がる。


「……ふざけるな」


 声にした瞬間、しまったと思った。


 声は燃料だ。

 会話は回路だ。


 透子の影が嬉しそうに三重に重なる。


【影落ち進行:上昇(会話反応)】


 透子は首を傾げる。


「怒った。いいね。

 怒りは重い。交換に向いてる」


 わたしは歯を食いしばり、次の言葉を飲み込んだ。

 ここで叫んだら、校内放送へ混ざる。

 名前だけじゃない。わたしの怒りも撒かれる。


 透子は原初札を指で弾いた。


 札が、くるりと回転し――

 回転の間に、廊下の照明が一度だけ強く明滅した。


 影が三つ重なる瞬間。


 その瞬間、校内放送が“確定”したみたいに響く。


「……とうこ……

 こっち……」


 声は黒幕の声ではない。

 透子の声でもない。

 それなのに、わたしの喉を開かせる。


(……“他人の口”だ)


 未救出の子がまだ呼んでいる。

 それが拡声器に乗って校内へ流れている。


 刻印がひやりと冷えた。

 名が引かれる。


『……おねえちゃん……

 なまえ……

 ちぎれる……』


 紗灯が震える。

 紗灯の影が縫い止めようとしているのが分かる。

 でも、糸が足りない。


(ここで止める。透子か札か、どっちかを止める)


 わたしは迷わず札へ踏み込んだ。


 透子の手首を掴む――より先に、札を封じる。

 拡散源を止める。


 わたしは鞄からメモ帳を引きちぎり、ペンで一文字書いた。


 ”封”


 “封”という字だけを、反射的に書く。理由は分からない。けれど刻印が“それだ”と疼く。

 形だけでいい。今は輪郭が要る。


 わたしはその紙を札へ叩きつけた。


 札がぬるりと抵抗した。

 紙を舐めるみたいに吸い付く。


 透子が笑う。


「それ、ただの紙だよ」


「ただの紙でも、輪郭は作れる」


 わたしは紙を押し込む。

 札の穴に輪郭を詰める。

 読ませない。呼ばせない。


 瞬間、校内放送の混入が一拍だけ途切れた。


「……放送委員よりお知らせです。

 本日は……」


 日常の放送が戻る。

 その戻り方が、逆に怖いほど正常だった。


(効いた……!)


 透子が一歩引いた。

 その顔から、初めて余裕が消える。


「へえ……真似できるんだ。

 刻印があるから?」


 透子の影が三重に重なり、わたしの影へ糸みたいに伸びる。

 影の糸が紙を剥がそうとする。


 わたしは踏ん張った。

 声を出さない。

 代わりに、胸の中で自分の名を握る。


(汐見、灯子)


 紙が剥がれそうになる。

 札が鳴くように震える。


 ……とうこ……


 呼名が弱くなる。

 しかし消えない。


 透子が囁いた。


「完全には止まらないよ。

 だってあなた、置いてきたでしょ。

 “呼び続けてくれる子”を」


 胃がきしむ。


(……刺してくる。わざとだ)


 透子はそのまま廊下の奥へ滑るように下がった。

 逃げる。

 でも逃げ方が人間じゃない。影の滑り方だ。


 わたしは追いかけようとして――止まった。


 足元の点検口の縁。

 そこだけ影が落ちない。小型無影域が開きかけている。


(追えば踏む。踏めば落ちる)


 透子はそれを知っている。

 だからここに罠を置いた。


 透子が振り返り、最後に言う。


「あなた、正しいよ。

 正しいから、もっと壊れる」


 そして、透子は闇の向こうへ消えた。


 残ったのは、床に貼りついた“封”の紙と、震える原初札。

 そして喉の奥に残る、未救出の声。


 ……とう……こ……


 わたしはその声に返事をしない。

 しないまま、目を閉じた。


(……ごめん)


 謝罪は声にしない。

 声にすると燃料になる。

 でも謝罪を飲み込むほど、胸が硬くなる。


 紗灯の影が小さくわたしの影に重なった。


『……おねえちゃん……

 いま……

 もどれる……?』


「……戻る」


 わたしは言った。

 言った瞬間、喉が焼けた。


(戻らなきゃいけない。

 追跡を選んだ代償を、ここで回収しないと)


 視界にUIが浮かぶ。


【状況更新】

・原初札:封(仮)成功/拡声器の混入:弱体化

・篠宮透子:逃走(導線は放送回路へ固定)

・一般生徒欠落:未救出(危険:高)

・影落ち進行:中(継続)


 わたしは原初札を紙ごと丁寧に折り畳んだ。

 推理スロットの結果に出た“封印折り”という語だけを頼りに、折り目で“穴”を塞ぐように折る。

 完全じゃない。けれど“読む穴”を塞ぐ形だけは作る。


 折り目にもう一度だけ書く。


 ”封”


 札は静かになった。

 静かになっただけで、消えてはいない。


(黒幕はまだ回してる。

 わたしはまだ器として見られてる)


 わたしは放送室の裏通路を戻りながら、胸の内で固く決める。


(次は救出。

 次こそは必ず“呼ぶ声”を止める)


 そのとき、遠い校内放送が、ほんの一瞬だけ歪んだ。


「……とうこ……

 もう一回……」


 わたしは歩みを止めない。

 返事をしない。

 ただ、自分の名を握る。


(汐見、灯子)


 そして、紗灯の影を踏まないように、慎重に日常へ戻っていった。


 →6-10A2-1へ


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