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 6-7A 地下層の階段――三度目の呼名と“返事の罠”

 旧資料室の扉が背後で鳴った。


 がたん、と。


 閉まりきらない扉が誰かの指先で押し戻されたように――ほんの少しだけ揺れ、そして止まる。

 その止まり方が妙に“意思的”だった。


 わたしは息を吸い直す。

 鼻腔に入ってくるのは、湿った紙の匂い、墨の腐り、古い木材の黴。

 それらが混ざって、ひどく“古い夜”の匂いになる。


『……おねえちゃん……

 ここ……おと……すくない……』


 紗灯の影がわたしの足元にぴたりと貼りついたまま震えていた。

 声が小さいのは怯えているからだけではない。


(音が少ない=日常のノイズがない=怪異がむき出しになる)


 暗さが“ただの暗さ”ではない。

 視界にある闇がこちらを観察している。

 そんな感覚が皮膚の外側にまとわりつく。


 わたしは階段を見た。


 旧資料室の奥――書架の裏に隠された下り階段。

 真っ暗な口が開いている。

 段差の角だけがぼんやり白い。


 篠宮透子はその階段の手前に立っていた。


 振り返らない。

 こちらを見ない。

 それでも確信できる。


(気づいてる。誘ってる)


 透子の足元に落ちた小さな札――媒介札。

 朱が滲み、紙が湿っているのに破れない。

 そしてその札の影が、妙に“深い”。


『……あれ……

 よぶ ための もの……』


「うん。たぶん”名前を呼ぶ回路”の端っこ」


 わたしは言葉を出した直後に後悔した。


 この場所は声の響きが違う。

 普通なら散る音が、ここではひとつに集まる。

 まるで音の粒が札や影に吸い寄せられていくみたいに。


 透子がふっと笑った気配だけを寄越した。


「……言ったでしょ。来れるなら来て、って」


 声が階段の闇に落ちる。

 落ちた声は底で跳ね返ってくる。

 跳ね返った音は――少しだけ別の声になっている。


 わたしは距離を詰めすぎないように一歩踏み出した。


 その瞬間。


 ……とうこ


 二度目の呼名。


 背後でも前でもない。

 壁の隙間からでもない。

 “自分の内側”から響く呼びかけ。


(返事禁止。3回目で強制欠落)


 さっきの推理結果が冷たい釘のように思考へ刺さる。

 返事はしない。

 返事をしたら、灯子は灯子ではなくなる。


 わたしは透子の背中を見据えた。


「……あなた、加害者側でしょ」


 透子は肩だけを揺らして笑う。


「加害者って便利な言葉だね。

 貼った瞬間、世界が単純になる」


 首元の刻印がじくりと疼いた。

 皮膚の痛みではない。

 “名”の縫い目が引っ張られる痛み。


『……おねえちゃん……

 いかないで……って……

 いいたくなる……』


 紗灯の影がわたしの足首にまとわりつく。

 その“言いたくなる”が危険だ。

 ここは、喉を開かせる場所。

 言葉を吐かせ、返事をさせ、名前を引き抜く場所。


 透子は階段へ足をかけた。

 闇に沈む背中が、まるで水の中へ入っていくように消えていく。


「来ないの?」


 振り返らないまま透子が言う。


「来なかったら、外の子たち……ね。

 また欠けるよ」


 脅しではない。

 事実だ。

 代替儀式は学院側で回っている。

 透子はそれを知っている。


(でも、追わないと“媒介の証拠”が取れない。黒幕の糸が切れない)


 わたしは暗い階段を見下ろした。


 段差の一段目に微かな文字が見えた。

 泥のような黒で書かれた、かすれた線。


 ”名”


 その一文字だけが残っている。


(階段そのものが“名の通路”になってる……)


 わたしは息を吸い、舌の裏で名前を確かめた。


(汐見、灯子。汐見、灯子)


 そして、降りた。


   *


 階段を下るほど空気が冷える。

 冷え方が気温ではない。

 存在の温度が下がる。


 足音が遅れてついてくる。

 それだけならまだいい。

 怖いのは、遅れてついてくる足音が――自分のものではない気がすること。


 わたしは段差を数えない。

 数えたら途中で数字が欠けて戻れなくなる気がした。


『……おねえちゃん……

 かいだん……

 よんじゃ だめ……』


「読まない。見ない」


 視線を上げないまま進む。

 見上げても、天井は闇。

 見下ろしても、闇。

 ここは“方向”が薄い。


 階段が終わり、狭い通路に出た。


 壁は土と石。

 その上から古い板が貼られている。

 板の隙間に紙片が挟まっている。

 祈り札。名札。走り書き。

 どれも途中までで、文字が欠けている。


(名を奪われた痕跡が、壁になってる)


 近づくと、紙片が微かに震えた。


 ……かえ……して……


 声にならない声。

 文字にならない文字。

 名を失った存在が、喉の代わりに紙に残した“呻き”。


 わたしは視線を逸らした。

 読むほど削れる。

 読めば読むほどこちらの名前も薄くなる。


 通路の先に透子がいた。


 立ち止まって、待っている。


 その姿が妙に綺麗だった。

 この場所の汚れに触れない。

 湿気にも埃にも染まらない。


(影だけがここに馴染んでる)


 透子はようやく振り返った。


 笑顔は相変わらず丁寧で、優しい。

 だがその瞳の奥には、ガラスみたいな冷えがある。


「ねえ、汐見さん。

 あなた、真面目だよね。律儀。

 だから、返事しない」


 背中が冷えた。


(彼女は知ってる。返事の回数制限を)


「……何が目的」


「目的? 目的なんて一つだよ」


 透子はゆっくり、言葉を選ぶように発音した。


「“名前を空にする”こと」


 首元の刻印が疼く。


「空にする……?」


「器はね、詰まってると入らないんだよ」


 言い方が軽い。

 軽すぎて、吐き気がする。


 透子は足元の札を指で弾いた。

 札がひとりでに回転する。

 回転する札の影が、瞬間だけ三つに割れる。


(影三重化……ここで作れるんだ)


 透子は囁く。


「ねえ。ここ、いいでしょ。

 “日常”がない。

 あなたの顔も、仮面が剥がれやすい」


 わたしは息を整えた。

 怒りが湧く。

 湧くのに、声にしない。

 声にした瞬間、負ける。


(返事禁止。感情は燃料。黒幕は燃料を欲しがってる)


 わたしは一歩踏み出し、札を拾おうとした。


 その瞬間――


 ……とうこ


 三度目の呼名。


 耳ではない。

 喉の奥を直接撫でられるような声。

 “返事しろ”と筋肉そのものに命令する声。


 口が勝手に開きかける。


(だめ!!!!)


『おねえちゃん!!』


 紗灯の影がわたしの影へ強く重なった。

 重なるというより、縫い止める。

 裂け目を針で塞ぐみたいに。


 歯を食いしばり、息だけを吐いた。

 返事にならない吐息。

 言葉にしない吐息。


 声が苛立ったように沈む。


 ……ちっ


 透子が小さく笑った。


「かわいいね。

 妹、まだ頑張ってる」


 わたしは一瞬、殺意に近いものを覚えた。


 でもその瞬間、壁の紙片が一斉に震えた。

 名を失った存在たちが、透子の言葉に反応したように。


 ……かえして……

 ……なまえ……

 ……わたし……だれ……


 名のない呻きが通路を満たす。

 音が増えるほど喉が緩む。

 返事をしたくなる。


(罠だ。声で返事を誘ってる)


 わたしは指先をぎゅっと握りしめた。


「……透子。あなたの“本当の役割”は何」


 透子の笑みが一瞬だけ固まった。


(当たった)


 畳みかける。


「あなたは器じゃない。媒介者。

 黒幕の“手”として名前を運ぶ係。

 でもそれ、あなた自身の意思じゃないよね」


 透子はふっと息を吐いた。


「……推理が得意なんだ」


「得意じゃない。必要だからやってる」


 わたしは透子の目を見た。

 そして、その目の奥に――“もう一つの影”が映っているのを見た。


 透子本人の影ではない。

 透子の肩の後ろに、誰かが立っているような濃さ。

 だが、振り返っても誰もいない。


(黒幕との重なり……)


 透子は低い声で言った。


「あなた、勘違いしてる。

 私は命令されてるんじゃない」


 透子は微笑む。

 その微笑みが、初めて“人間の温度”を持った気がした。


「私は――選んだの」


 胸が沈む。


(この子は学院に逃げ込んだ加害者側。

 そして、罪から逃げるために”黒幕側に身を預けた”最低のタイプ……)


 透子は通路の奥を指差した。


「見せてあげる。

 あなたが拒否した“交換”の途中。

 代替儀式の“心臓”」


 通路の先には薄い扉があった。

 木の扉。

 だが、扉の表面に貼られた札が――全部、文字の中心だけ抜けている。


【 】

【 】

【 】


 封印の形だけが残り、名前だけが消えている。


 透子が扉に手をかけた。


 扉が開いた瞬間、空気が“落ちた”。


 生温い。

 湿っている。

 そして、どこか甘い。


(……腐った甘さ。

 死に近い甘さ)


 わたしの刻印が冷たく疼く。


『……おねえちゃん……

 ここ……“こうかん”……』


 紗灯が言う“交換”。

 それは黒幕が言った“神座”の核心。


 扉の中を見た。


 円形の部屋。

 床に刻まれた紋様。

 禁足地の円陣より小さいが、形は同じ。

 そして部屋の隅に――


 制服のリボンが落ちていた。


 白鷺女学院のもの。

 しかも新しい。

 ついさっき落ちたみたいに、汚れが少ない。


(学院から“誰か”がここに落ちてる)


 喉が渇く。


「……誰を連れてきた」


 透子は笑って答えない。

 答えない代わりに、床の紋様の中心を指差した。


 そこに、影があった。


 影だけ。

 人の形なのに、頭が欠けている。

 旧資料室で見た“名前の欠けた影”より、もっと新しい。

 もっと生々しい。


 影が、口のない口で呻いた。


 ……たすけ……


 胃が縮む。


(誰かが奪われかけてる。

 器候補にされてる。

 代替儀式がここで回ってる)


 透子が囁く。


「ねえ、汐見さん。

 あなたがここに来たのは、ちょうどいい」


「……何が」


「交換ってね。

 “重さ”が要るの」


 透子の影が床でゆっくり三つに増える。

 わたしの影も引きずられるように輪郭が伸びる。


 ……とうこ


 声がまた来た。


 四度目。

 でも回数制限は“返事”の回数。

 呼名自体はいくらでも来る。


(返事するな。返事しなければいい)


 息だけを吐き、声にしない。


 すると、影が少し苛立つ。


 透子が言った。


「返事しないなら、別の方法」


 透子は床の紋様の縁を踏んだ。

 その瞬間、部屋の照明が一度だけ明滅し――影が三つ重なった。


 刻印がひやりと冷える。


【影落ち進行:上昇】

トリガー:影三重化(閉鎖空間)


 透子は優しく、残酷に続ける。


「あなたの名前を、他人の口で呼べばいい」


 影が呻いた。


 ……とう……こ……


 全身が粟立った。


(奪われかけてる生徒に、わたしの名を言わせる……!?

 それは返事じゃない。でも実際に“名が響く”。

 名が響けば、名が引き抜かれる)


 紗灯の影がわたしの足元で必死に広がった。


『……だめ……!

 それ、ひびく……!

 おねえちゃんの なまえ……

 もっていかれる……!』


 わたしは決めた。


(ここで止める。

 透子を捕まえる。

 そして、奪われかけてる子を救い出す)


 だが次の瞬間――透子は一歩下がり、扉の外へ逃げる素振りを見せた。


「助ける? いいよ。

 でも、助けたらどうなるか、知ってる?」


 わたしは透子を睨む。


 透子は笑う。


「外の無影域が増える。

 あなたがここにいる間、校内放送がまた混ざる。

 普通の子から順に欠ける」


(……時間制限)


 透子は扉の外へ滑るように出た。

 扉が勝手に閉まり始める。


『おねえちゃん!!』


 紗灯の影が伸びる。

 扉の隙間へ縫い込むように入り込み、閉鎖を遅らせる。


 わたしは扉に腕を差し込み、止める。


 痛い。

 でも痛みが“生きてる証”になる。


 わたしは最後に、床の中央の影へ視線を落とした。


 そこにあるのは、誰かの“未来の死”だ。


(絶対に見捨てない)


 わたしは扉の隙間へ身をねじ込み、透子の背中を追った。


 その瞬間、影がもう一度だけ囁く。


 ……とうこ


 わたしは返事をしない。

 代わりに、胸の内側でだけ名を唱える。


(汐見、灯子)


 名を守るために。


――――――――――――


 扉の外、通路には透子の足音がない。

 なのに、気配だけが遠くへ滑っていく。


 追うべきか。

 それとも、部屋に残された“奪われかけた影”を先に救うべきか。


 灯子の喉が、ひどく乾いている。


――――――――――――

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