6-1 参道の歪みと、白い鳥居の前で消える名前
裏門を抜けた先の空気は
学院の敷地とはまるで別世界だった。
風は吹いているのに
木々は一本も揺れていない。
ただ、葉だけが
“遅れてざわめく”ように震えている。
(……時間がずれてる)
石畳の参道は普段なら落ち葉が積もっているはずなのに、
今日は不自然なほど何も落ちていない。
足元の砂利だけが
細かく、ざり、と鳴った。
『……おねえちゃん……
あるいちゃ……だめな ところ……
まがってる……』
「分かってる。でも進むしかない」
参道の途中、
わたしは異変に気づいた。
太陽は木々の隙間から落ちているのに、
地面に──
影が一切ない区域が浮かんでいる。
丸く、浅い水たまりのように。
(影が……消えてる……?)
足を一歩踏み出した瞬間、
紗灯影が激しく揺れた。
『だめっ……!
そこ、いっちゃだめ……!』
影が消えている区域の縁に、
かすれた白い文字が刻まれていた。
【無影域】
(……儀式の防御じゃなく“吸収”だ……
影ごと、持っていかれる)
そのとき──
「灯子ちゃん?」
振り返ると、
夏原こはる が立っていた。
(どうしてここに……!)
「探したんだよ、灯子ちゃん……
なんか急にいなくなったから……」
「こはるちゃん、戻ろう。ここは危ない──」
「ねぇ……灯子ちゃん」
こはるの表情は普段と同じなのに、
声だけがどこか欠けていた。
「わたし……
なまえ、なんだっけ?」
(来た……!
“名前の一時消失”の発症……!
第二段階の初期症状……!)
こはるの影が足元で薄く揺れる。
次の瞬間──
彼女の影が、
無影域のほうへ引っ張られていく。
「っ、だめ!!」
わたしはこはるの手を掴んだ。
しかし、その瞬間──
指先から“灯”の字が抜け落ちた。
(っ……!
わたしの、名前が……!)
視界が白く滲む。
手の中から自分の存在が薄れる感覚。
『だめぇぇ!!』
紗灯影が飛び込んできて、
無影域とわたしの影の間に割り込んだ。
影がぶつかり、空気が波打つ。
その瞬間、こはるの影が戻った。
「……あ……れ?
なんか、まぶしい……」
こはるは何も気づかないまま、
いつもの笑顔に戻っていた。
「灯子ちゃん、どうしたの?
顔、真っ青だよ?」
「大丈夫。こはるちゃんは……もう戻って」
「うん……?
なんか怖いから、帰るね」
こはるは手を振り、
来た道へ戻っていった。
わたしは胸に手を当てた。
(名前を……
持っていかれかけた……)
参道をさらに進むと
霧が薄れていき──
突然、視界が開けた。
そこに建っていたのは、
真っ白な鳥居だった。
白い、というより
“光を反射していない白”。
触れれば消えてしまいそうな白。
(……ここが境界)
鳥居の前に立った瞬間、
足元の紗灯影が裂けるように離れた。
『……いけない……!
これ以上いったら……
わたし、いっしょに いけない……!』
「紗灯? どういうこと──」
『わたし、
ここから さきは……
たしかじゃなくなる……』
(紗灯がわたしから離れる……?
ここは生と死の境界じゃなく、
“名前と影の境界”……?)
鳥居の柱に
古い文字が薄く刻まれていた。
【此処ヨリ先──名、持チ入ルベカラズ】
(名前を持ったまま進むと……
“交換される”……?)
そのとき。
とうこ
先ほどより近い声が
わたしの背後で囁いた。
心臓が跳ねる。
(返事しない……絶対に)
もう すぐだよ
きみの なまえ
ひらくから
鳥居の向こうで影がうごめいた。
息を吸い、
足を一歩前へ出そうとした。
そのとき──
一瞬だけ、頭から“汐見”の二文字が消えた。
(っ……!?
名が……落ちた……!?)
紗灯影が震えながら叫ぶ。
『いかないで!!
いったら……
おねえちゃん、もどれない!!』
足が止まる。
鳥居の先の空気が
呼吸できないほど冷たく沈んでいた。
(この先は、
本当に戻れない場所なんだ)
わたしは鳥居の前で立ち止まり、
静かに息を整えた。
(紗灯を置いて進むなんて、できない。
黒幕の思い通りにもさせない)
「紗灯、いったん戻ろう。
準備してから来る」
紗灯影はほっとしたようにわたしに寄り添った。
『……うん……』
鳥居の向こうで、
見えない何かが笑った気配だけが残った。




