1-4 放課後の境界と、影の選択
授業がすべて終わる頃、空気の色はすでに夕暮れの手前に変わっていた。
西日の赤さが廊下に溜まり、床のワックスが光を吸い込んで鈍く反射している。
白鷺女学院の放課後は、昼の喧騒とはまるで別の学校のようだった。
笑い声はそのまま廊下を流れていくのに、
どこか静けさが全体を包み込んでいる。
(……この静けさ、嫌いじゃない)
湿った木の匂い。
古い校舎の壁に残る埃っぽさ。
外から風が吹き込むたび、そのすべてがわずかに揺れる。
わたしは鞄を肩にかけ、誰もいない廊下を歩く。
放課後の学校は光と影が本音を吐く時間だ。
昼間は埋もれてしまう小さな異変ほど、夕暮れにはよく響く。
少し歩いたところで、ポケットの中でカセットが小さくぶつかった。
その音が、胸の奥でやけに硬く響く。
(……紗灯。今日も聞こえる?)
影が、少しだけざわついた。
【影落ち:17% → 19%】
《時間帯補正:夕暮れ+2%》
「灯子ちゃん、帰る?」
声をかけてきたのは、ゆいだった。
いつもより少し急ぎ足で、けれど控えめにこちらを伺うような表情。
「今日は……どこか寄るの?」
わたしは一瞬だけ考えた。
目的地は二つ——旧校舎か、学院神社。
それぞれ異なる情報が手に入り、どちらも危険があって、どちらも紗灯に近い。
「ちょっと歩きたい気分なんだよね」
「そっか……」
ゆいは少しだけ迷うように唇を噛んだあと、
小さく声を潜めた。
「……神社の方には行かない方がいいよ。
先生に見つかったら、怒られるし」
わたしは、軽く笑う。
「ゆいってさ、もしかして“安全ルート”の案内役?」
「そうかも。でも、本気で心配してるの」
その言い方が妙にやわらかかった。
胸の奥がわずかに痛むのを感じた。
(……優しい子。巻き込みたくない)
「ゆいは寮に戻るの?」
「うん。早く戻らないと洗濯物が冷たくなっちゃうから」
「そっか。じゃあ、またあとで」
「……うん。またね。
でも、本当に——気をつけてね」
ゆいは去っていく。
その背中が見えなくなるまで見送ってから、小さく息を吸った。
中庭に出ると、夕陽が木々の間を斜めに差し込んでいた。
落ち葉の匂いと、風の動きが足もとで混ざる。
足を踏み出すたび、自分の影が長く伸びて揺れる。
……その影の隣に、ひとつ。
細くて揺らいだ線だけの影が、
ふわりと浮かぶように並んで歩いていた。
(また……)
灯子が足を止めると、
第三の影は風に吹かれて薄れ、消えた。
【異常検知:第三の影(中度)】
【怪異レベル:低 → 中】
《状態:視認は短時間のみ》
(紗灯……?)
名前を心で呼ぶだけで、胸が冷たく締めつけられる感覚。
風はやんだ。
どこかで、鳥の鳴き声が一声だけ響く。
白鷺のものではない、もっとかすれた声。
(……どっちに行くべきか)
旧校舎はこの時間帯でもまだ明るい。
でも裏側は少し薄暗く、風も通らず、人気がない。
学院神社は丘の上。
鳥居へ向かう石段は夕暮れの光を受けて赤く染まり、
空気の匂いだけが“別の世界”を知らせていた。
心のどこかで、両方に紗灯の匂いを感じる。
夕陽が沈みかけ、影が濃くなる。
わたしは深呼吸しながら、ポケットのカセットを握りしめた。
すると——
『……こ……こ……』
耳元ではなく、胸の内側で誰かが囁いた。
呼んでいる。
“こっち”へ。
紗灯か、別の“何か”かは分からない。
影が一度、ふわりと浮き上がった。
■ 道 A:旧校舎へ向かう
・紗灯の声に最も近い場所
・去年の儀式の残滓が残っている
・カセットの“次の音”が拾える可能性
■ 道 B:学院神社へ向かう
・白鷺女学院の“核心”に触れる
・儀式の本流ルート
・早期に影界との縁が強まる
わたしは、校庭の真ん中で足を止めた。
風の匂いと、影のざわめきが同時に揺れる。
どちらに進んでも、
もう“普通の日常”には戻れない。
(紗灯。あなたが呼ぶなら——)
夕陽の最後の光が横顔を照らす。
その影だけが、わたしより半拍遅れて揺れた。
【フラグ:《F_ROUTE_SELECT_READY》:初期分岐の準備が整った】




