5-2 1限目・クラスと教師の”ちいさなズレ”
教室に入ると、いつもより少し早い時間だった。
窓を開け放った風がふわりとカーテンを揺らし、
机に差し込む光がやわらかく反射する。
椅子を軽く引く音、プリントをめくる音、
ほのかに香るチョコの匂い──誰かが朝から食べているのだろう。
“普通”の気配が満ちていた。
(……ああ、これだ。わたし、こういう朝を望んでたんだよね)
わたしは席に着き、カバンから筆記用具を出す。
前の席の子が振り返り、にこっと笑う。
「汐見さん、おはよう。昨日の数学、補習のプリント持ってきた?」
「あ、ごめん。持ってきてない──」
そこまで言って、ふと違和感がひっかかった。
(プリント……?)
昨日の放課後は裏山で“儀式の核”と戦っていた。
しかし数学のプリントの記憶なんて、まるでない。
(でも……この子、わたしが“放課後も普通にいた”と思ってる……?)
胸の奥がざわりと揺れる。
わたしは笑って話をそらす。
「今日の休み時間に取りに戻るよ」
「ありがと〜たすかる!」
その子の影は、自然。
異常はない。
(……こういう“普通の会話”に、紛れてるんだよね)
わたしはひそかに、目の端で影を観察しつつ、クラス全体を見渡した。
担任が教室に入ってくる。
「おはよう。席についてー」
ざー……っと椅子の音が揃い、
教室が一瞬だけ静かになる。
担任の女性教師は、黒髪を束ねた落ち着いた雰囲気の人だ。
学年では厳しめだと噂されていたが、
わたしには普通に優しい。
教師は出席簿を開き──眉をひそめた。
「……あれ?」
(来た)
胸が小さく跳ねた。
教師は指で名簿をたどりながら、何かを探す仕草をしている。
「ええと……柿山さん……は……」
教師の声が濁る。
すぐ隣の席の柿山さんが手をあげる。
「はい、いますけど?」
「……ああ、いたわね。
今日、名簿の字体がおかしくて……。
ごめんなさい、見落としたわ」
(見落としたんじゃない。
“名前が薄くなってる”んだ)
わたしはすぐ直感した。
名簿の枠には印字された名前が並ぶ。
しかし黒幕の術の影響で特定の生徒の名前の“線”が薄れたり、欠けたりする。
それを教師は「気のせい」「見落とし」と処理する。
妙に現実に馴染んでしまう「名前の消え方」。
(今朝の柿山さんの名前、
わたしも一瞬“忘れかけた”。
これ、偶然の一致じゃない)
わたしの脳裏に“すっと”カードが浮かんだ。
【証拠カード取得】
『出席簿の名前欠落:柿山』
レアリティ:R
説明:黒幕による“名前消失”の進行。
備考:教職員にも影響が及び始めている。
(……やばい速度で広がってるな)
昨日の夜、裏山で儀式を壊した。
それで一部の怪異は消えた。
なのに、
学院内の“名前の異常”はむしろ加速している。
(つまり──
裏山は儀式の“一部”。
完全な中心は学院内だ)
考えれば考えるほど、背筋が冷えていった。
授業が始まってしばらくしてからだった。
国語教師が突然、わたしを指名した。
「じゃあ……ええと……ええと……
し、しお……ウシオさん?」
(ん……?)
教師はゆっくり視線をさまよわせ、わたしで止まる。
「汐見さん、だったわね。失礼」
「はい」
言いながら、わたしは気づいてしまった。
(いま、“汐”って言いかけた)
一字だけ漢字が薄れている。
教師はわたしの名前を“濁った形”で覚えかけていた。
(黒幕……。
わたしの名前まで、揺らそうとしてる?
この学校全体を“儀式装置”にして……
名前の輪郭を曖昧にして……
影を操る気?)
わたしの中で仮説が急速にまとまっていく。
(多分、今日中に“もっと大きな名前消失”が出る)
そんな予感がした。
◆ 休み時間
「とーこー!」
同級生が駆け寄ってきた。
「これ見た? 今日の日替わり、またカニクリームコロッケだって!」
「また? 多くない?」
「ねー! 良いことのあとの不吉って感じだよね!」
「それ、不吉ではなくて油が多いだけでは?」
「油も呪いも似たようなもんでしょ!」
「どんな理論よ……」
しょうもない会話なのに、
クラスの数人が笑い出す。
(こういうの……本当に好き。
普通の、ただの女子高生のやり取り)
ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
だけど──不穏の影は抜けない。
休み時間、廊下に出ると、
数人の影が “微妙に沈んでいる” ように見える。
色が薄い。
輪郭がゆらいでいる。
生徒の動きとわずかにズレている。
(やっぱり……。
わたし以外にも、やられてる子がいる)
視界にカードが浮かぶ。
【証拠カード取得】
『影の同期ズレ:複数名』
レアリティ:SR
説明:生徒の影が本人の動きと同期しない。
効果:儀式の進行度を示す。
備考:黒幕が“日中も儀式を稼働させている”証拠。
(昼でも動いてるってことは──
黒幕は“夜だけの怪異”じゃない)
廊下の奥へ視線を送った。
(学院のどこかに、
“儀式の中心点”がある)
それは多分、図書館だ。
地下に隠された古い資料室があるという噂もある。
そして──
最も不安なのは、結の存在。
(結の“名前”が戻ったから、
黒幕にとっては邪魔なはず)
昼休みになったら、
真っ先に結の様子を見に行く必要があった。
深呼吸し気持ちを落ち着かせた。
「よし……
わたしは“日常”もしっかりやるし、
“推理”も進める」
紗灯の影が足元で小さくうなずいた。




