1-3 白鷺の朝と、噂話のカード
朝、目を開けると、天井の染みはちゃんと“ただの染み”に戻っていた。
蛍光灯もまぶしいくらいに正常で、
非常灯の緑色の気配はどこにもない。
(……夢、ってことにしておけば楽なんだけどね)
枕元には昨夜のカセットテープ。
何度見てもラベルの文字は判別しづらい。
「おはようございます、紗灯さん」
そう冗談めかして声を掛けてみても、テープは何も返してこない。
当たり前だ。
霊感なんて、わたしにはないはずだった。
【影落ち:18% → 16%】
朝の光により、一時的に軽減。
《状態》:やや不安定、日常モードへ。
制服に袖を通し寮の食堂へ降りていくと、
窓の外にはうすい霧が残っていた。
山の麓の朝特有の湿った冷気。
遠くの木立からは小さな鳥の声が断続的に聞こえてくる。
白鷺は昼間はほとんど姿を見せない。
代わりに、裏山の方からまだ眠たい獣の気配だけが微かに漂っていた。
食堂の中は賑やかだった。
「ねぇパン取って」
「今日小テストあるってマジ?」
「眠い……」
食器の音、スープの匂い、パンの甘さ。
ごく平凡な朝の光景。
——こんな世界にも、紗灯は確かにいたのだ。
「灯子ちゃん、おはよ」
トレイを持って席を探していると、手を振る人影があった。
ゆいだ。
やや細身の体で、小さく振る手の動きが慎ましい。
「おはよう、ゆい」
「ここ空いてるよ」
向かい合って座ると、ゆいはぱちりと瞬きをした。
「顔色、ちょっと悪い?」
「……そう? 寮の枕が合わなかったのかも」
笑いながら答えると、ゆいは少しだけ視線を細めた。
からかっているわけではない。
相手の顔色を真面目に読むときの目だ。
「昨日さ、旧校舎の方……行った?」
わたしは、ほんの一瞬だけスプーンを止めた。
その間を誤魔化すように、わざとらしくパンをちぎる。
「なんでそう思うの」
「……影が、昨日より、濃い」
ゆいは当たり前のように、そんなことを言う。
視線はわたしの足もと、そしてテーブルの下へ。
自分の影を見る。
食堂の天井から落ちる光に照らされて、黒い形が椅子の脚と絡み合っている。
(……濃い、のかな)
本人には分からない。
でもゆいは昨夜の出来事を知らないはずなのに、妙に言い当ててくる。
「旧校舎、あんまり行かない方がいいよ。
去年の、その……事故のあとから、特に」
「やっぱり“事故”って、有名なんだ」
水を口に含みながら言うと、
ゆいは少しだけ声を潜めた。
「ここだけの話ね」
スプーンの先でテーブルを小さく、とんとん叩く。
「“儀式ごっこ”って知ってる?」
その言葉に、喉の奥の水がぴたりと止まる。
「夜の裏山とか、旧校舎とかで、
『○○したら影がついてくる』とか『やっちゃいけない遊び』とか……。
そういうの、好きな子たちがいるの」
「こわい遊び、ってこと?」
「うん。こわいはずなのに、きゃーきゃー笑いながらやるやつ」
(——紗灯の事件前にも、似たような話を聞いた)
「で、去年、その“遊び”の延長みたいなことしてた子たちがいて……」
ゆいの言葉はそこで途切れた。
「……やっぱり、やめとく」
「気になるところで止めるタイプ?」
「灯子ちゃん、転入初日から変な噂に巻き込まれるの、可哀想でしょ」
優しさとも、ただの臆病さともつかない笑い。
でも、その笑いの奥でゆい自身も何かを怖がっていることは、すぐに分かった。
【カード候補:噂話】
条件:同様の話を複数人から聞くと正式なカード化。
現在:ゆいの証言(1/2)
「じゃあ、あと一人くらいから話を聞いたら、正式に“噂カード”ってことで」
「カード?」
「こっちの話。ちょっと、ゲームっぽく整理したくなっただけ」
わたしが肩をすくめると、ゆいは小首を傾げた。
「灯子ちゃん、なんか……そういうの慣れてる?」
「復讐ルートのヒロインやってるからね」
「え?」
「なんでもない。ゆいは普通のルートで幸せになって」
言葉遊びのつもりだった。
ゆいは一瞬ぽかんとしたあと、くすりと笑う。
「じゃあ、普通のルートの案内ぐらいはするよ。
まずは、学院神社に行った方がいいと思う」
「神社?」
「うん。この学校の“中心”みたいな場所だから。
……いろんな意味で」
ゆいの目が一瞬だけ、霧の向こう側を見るように遠くを向いた。
【フラグ:《F_SHRINE_RECOMMEND》:学院神社の存在を聞いた】
ホームルームの時間。
教室には朝の光が斜めに差し込み、机の上に長い影が伸びていた。
担任の話は聞き流しながら、わたしは教室の空気を観察する。
黒板の落書き、窓際の植木鉢、
前の席の子のポニーテールが揺れるリズム。
すべてが、“ごく普通の高校生活”の部品のように見える。
その普通の一部として、
去年の“事故”は、今やもう忘れられかけているのだろうか。
(でも、事故の“前”と“後”で、何も変わらなかったわけがない)
「ねぇねぇ、新しい子」
休み時間になった途端、
数人の女子がわたしの机の周りに集まってきた。
明るい茶髪の子。
短髪でスポーツ系っぽい子。
真面目そうな眼鏡の子。
「転入ってさ、どういう事情なの?」
唐突な質問だったが、悪意のにおいはしない。
「別に大したことないよ。
前の学校、ちょっと合わなかっただけ」
「ふーん。でもさ、ここも“合う”とこかはビミョーだよ?」
茶髪の子がいたずらっぽく笑う。
「出た、またそれ言う。
変なこと言わないでよ、汐見さん怖がるでしょ」
眼鏡の子がたしなめると、茶髪は肩をすくめた。
「だってさー、
去年のあれとか知らないで来ちゃってたら、逆に可哀想じゃん?」
「去年の……あれ?」
わたしはその言葉に食いつく。
茶髪の子は、まるで待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「裏山の事故。
夜にさ、みんなで“影踏み儀式”やってたんだって」
その言い方があまりにも軽くて、
一瞬喉の奥に熱いものが込み上げた。
「影踏み儀式?」
「うん。なんか、七回影を踏んで、
最後に誰かの影と自分の影を重ねると“願いが叶う”とかいう、しょうもない遊び。
——で、その時に一人、帰ってこなかった」
「やめなってば」
眼鏡の子が眉をひそめる。
「そんな言い方したら、本気で怖がるでしょ」
「事実は事実でしょ?
先生たちは『ただの転落事故です』って言い張ってたけどさー。
裏話だと、その子、
最後まで“違う誰かの影を踏んでた”って話だよ?」
茶髪の子の声が、いつの間にか囁きに変わる。
「それ、“人の影じゃなかった”とか」
廊下のざわめきが、一瞬だけ遠のいた気がした。
教室の窓に映る自分の影。
その輪郭が、背筋を冷やすほど鮮明に見える。
(……やっぱり、“儀式ごっこ”の延長なんだ)
紗灯の死と、同じ匂いがする。
【カード入手候補:『影踏み儀式の噂』】
証言者:茶髪のクラスメイト(1/1)
ゆいの証言と統合され——
【カード確定:CARD_02『影踏み儀式の噂』(N)】
タグ:噂/儀式/裏山
「まあ、噂だけどね。
本当にやってたかどうかなんて、分かんないし」
茶髪の子は最後にそう付け足す。
その軽さが、かえって悪趣味に感じられる。
わたしは作り笑いを貼り付けた。
「ありがと。
そういう“都市伝説”、嫌いじゃないから」
「え、マジ?
じゃあ今度、旧校舎の怪談も教えてあげよっか」
「やめてって言ってるでしょ」
眼鏡の子はため息をつく。
その横顔には、わずかな緊張が混じっていた。
(怖がらせようとしている子と、
話したくなさそうな子。
どっちも“知ってる”側の反応だな)
黒板に映る自分たちの影をちらりと見る。
自分の影だけが、
一瞬だけ、口の形を変えて笑ったような気がした。
午前の授業が終わる頃には、
教室の空気に混じる“普通さ”が少しずつ馴染んできた。
ノートを取り、
先生の冗談にクラスが笑い、
居眠りをして怒られる子もいる。
わたしは、そのすべてを眺めながら、
頭の片隅で情報だけを静かに整理していく。
◆内部推理ログ:更新
【新規情報】
・裏山で「影踏み儀式」をしていたグループがいた
・その時に一人が帰ってこなかった(=去年の事故)
・「人じゃない影を踏んでいた」という噂
・先生たちは「ただの転落事故」として処理
【カード】
CARD_01『旧校舎の呼ぶ声』(R)
CARD_02『影踏み儀式の噂』(N)
【推理スロット(試作)】
A:影踏み儀式の噂(CARD_02)
B:裏山の事故(掲示板の注意/教師の言動)
C:旧校舎の声(CARD_01)
【仮説】
・裏山の儀式と旧校舎の“声”は、同一の怪異に由来する可能性
・紗灯はその怪異に「選ばれた」か、「押し付けられた」
【簡易推理:成功(初級)】
【影落ち:16% → 17%】
※真相に近づくことで、一時的に精神負荷が増加。
昼休み。
チャイムが鳴ると同時に、クラスの椅子が一斉に引かれる音がした。
「灯子ちゃん、昼どうする?」
声をかけてきたのは、またゆいだった。
彼女の手には小ぶりの弁当箱がのっている。
端の方に玉子焼きがきっちり詰め込まれていた。
「食堂でもいいけど……もしよかったら、中庭いかない?」
「いいね。外の空気吸いたかったところ」
窓の外には、
朝より少しだけ透明になった空気が広がっていた。
白鷺女学院の中庭は思っていたよりも広い。
中央に噴水、その周りにベンチ、
そのさらに外側を、古い桜と楠が取り囲んでいる。
石畳の隙間からは小さな草が顔を出し、
風の通り道にだけ、光の粉のようなものが舞っていた。
ベンチに腰かけると、
影が二人ぶん足もとに並ぶ。
どちらも、今のところは素直に体の動きに追随していた。
「さっきの子たち、ちょっと怖がらせがちでごめんね」
ゆいが箸を持ちながら言う。
「全然。助かるよ。
むしろ、もっと聞きたいくらい」
「……やっぱり、慣れてる」
「なにが?」
「“怖い話との距離”の取り方」
ゆいの目は、わずかな尊敬と警戒を混ぜたような色をしていた。
「普通は、ああいう話聞いたら、
『怖っ!』って終わるか、興味本位で騒ぐか、どっちかなのに。
灯子ちゃんは、どっちでもない感じがする」
「じゃあ、どんな?」
「——『もう知ってる』顔」
箸が止まった。
(……やっぱり、この子は鋭すぎる)
冗談でかわすこともできる。
でも、それをすると、ゆいとの距離はきっとそれ以上近づかない。
「……去年、似たようなことがあった学校にいたんだ」
わたしは、少しだけ本当のことを混ぜて話す。
「儀式ごっこ、だっけ。
まったく同じ名前じゃないにしても、似たようなの」
ゆいは目を見開いた。
「……それって」
「だから、ここでの“事故”の話聞いたとき、
ちょっと デジャブっていうか」
笑いながら言うと、
ゆいの指先が箸を持ったまま微かに震えた。
「灯子ちゃん」
「ん?」
「……もし、本当に危ないと思ったら、
逃げることも考えてね」
「逃げるって、どこに?」
「転校って、何回もできるものじゃないよ」
真っ直ぐな目。
優しくて、ずるい目だ。
わたしは、小さく肩をすくめた。
「大丈夫。
わたし、ゲームだと割としぶといタイプだから」
「ゲームの話?」
「うん。ホラーゲームの話。
一回や二回死んだくらいじゃ諦めない」
「……笑えない冗談」
ゆいは呆れたように言いながらも、
何かを堪えるような笑みを浮かべていた。
風が二人のあいだを抜けていく。
ベンチの影が伸びて、足もとで重なり合った。
その重なりのほんの端に、
もう一本、誰のものでもない細い影が絡みついたような気がした。
視線を落とすと、その影はすでに消えている。
【異常検知:第三の影(微弱)】
【フラグ:《F_THIRD_SHADOW_NOTICE》:第三の影に初めて気づきかけた】
遠くで予鈴が鳴った。
午後の授業が始まろうとしている。
白鷺女学院の一日は、
表向きには、何の変哲もない学園生活の形をしていた。
その裏で、影だけが少しずつ濃くなっていく。




