4-1 足跡の消える道と、呼ばれた声
夕暮れを完全に飲み込んだ校門の先には、
わたししか知らない“暗がり”が広がっていた。
帰路は生徒たちの笑い声と自転車のライトで賑やかだ。
しかしわたしが進む方向はその逆。
裏山へ続く細い道は、人の流れから外れ、
音のない世界へと染まり始めていた。
(……熱い)
胸の中央がじんと痛む。
紗灯の残した紙の温度が、まだ抜けない。
『……いかないで……』
わたしは紙を握りしめ、ゆっくり息を吐いた。
「行くよ。
あなたが消えた場所まで」
言葉にすると、
背後の温度がほんの少しだけ揺れた。
まるで、紗灯が肩越しに触れたような錯覚。
校門から少し歩くと、
舗装路が突然途切れる。
そこから先は石の段差と根の張った山道。
街灯の光も届かず、
木々の影が足元の形を吸い取っていく。
靴底が枯葉を踏むたび、
パリ……と乾いた音が響く。
(教室の空気とは別物……
昼の影は柔らかいのに、ここは尖ってる)
山道に入る直前、
砂利の上に数歩分の足跡があった。
小さく、軽い足跡。
(紗灯……
これ、あなたの……)
だが、三歩分ほど残ったあと、
突然、足跡は途切れていた。
地面のくぼみも、足の跡も、押された痕跡もない。
まるで、途中で忽然と消えたようだった。
(……引きずられた?
それとも……“影に乗った”?)
わたしはしゃがみ、足跡の途切れ際に触れた。
土は冷たく、
じっとり湿り、
その上に“黒い粒”がひとつ落ちていた。
指で拾い上げる。
(影の……欠片?)
光に当てると、黒い粒が影の形だけを保ち、
手のひらでゆっくり震えた。
次の瞬間。
影の粒が“声”を発した。
『……さと……ここ……おちた……』
『……ねえちゃん……こないで……』
心臓を握られたような痛みを覚えた。
(紗灯……!
あなた、ここで……)
胸が苦しい。
呼吸が浅くなる。
【影落ち:61% → 65%】
《紗灯残響の直接接触による急上昇》
《危険域に接近》
拳を握り、影の粒をそっと地面に戻した。
(大丈夫。
わたしは行くよ……紗灯)
わたしは立ち上がり、裏山へ踏み出した。
山の入口に差し掛かると、
空気が唐突に“重く”なった。
湿気ではない。
冷気とも違う。
肺の中に黒い煙を詰め込まれるような、
密度のある空気。
一歩踏み込むと、
草が“ざわり”と揺れた。
風ではない。
わたしの歩みに反応している。
(風じゃない……生き物でもない……
裏山そのものが“呼吸”してる……?)
影が足元で、静かに逆立った。
ざ……ざ……
草木が動くたび、そこに黒い線が走る。
(この線……影じゃない。
“裂け目”……?)
見るたびに消え、また現れる。
まるでわたしが見るたび、
影が“顔を隠そうとしている”みたいに。
背後から、誰かの足音がした。
振り返った。
誰もいない。
ただ──
地面にひとつ、“人の影”だけが落ちていた。
(……また。
あの“見ている影”だ)
昼間、教室の廊下で歪んだ影。
神社の鳥居下でわたしを見ていた影。
影の主は姿を見せない。
ただ、わたしの向かう先──裏山へゆっくりと向きを変えた。
呼吸のない影。
暗闇で笑う影。
(あんた……紗灯を追い詰めた三人のうちの一人……)
手が冷たく震えた。
しかし影は何も言わず、わたしの前へ進んでいく。
道案内のように。
(……ついて来い、ってこと?)
影を睨む。
(尾行でも、監視でもいい。
紗灯の最後の場所にたどり着けるなら……
利用してやる)
その瞬間、背後の空気が震えた。
ひやりとした気配。
振り返ると──
そこに、紗灯の影が立っていた。
足首だけ、
膝だけ、
肩だけ。
細切れの影。
完全な形を取れない残響。
(紗灯……
来てるんだね)
影が微かに、わたしの影へ触れた。
触れた瞬間、胸に温かい痛みが走る。
わたしはそっと呟いた。
「……大丈夫。
ひとりにしない」
紗灯の影が揺れ、ゆっくりと裏山の奥へ溶けていった。
そして──
闇の奥から、低い“呼吸音”が響いた。
ず……
ずぅ……
ず………
背筋に冷たい針が走る。
(この音……紗灯のときにも聞こえてたやつ……
影写しじゃない……もっと深い……)
影がわたしの足もとで細長く伸び、
闇へ溶けていく。
(行けって……言ってる?
これは……紗灯の導き……?)
深く息を吸い、裏山へ足を踏み入れた。
その一歩で世界が薄闇へと落ちる。
【フィールド切替:現実層 → 影界干渉層(裏山・第一段階)】
【危険度:中 → 高】
【加害者影:観察継続】
わたしの影が細く尖り、裏山の黒い呼吸の中へ沈んでいく。
(紗灯……
待ってて。
全部、暴きに行く)
夜の裏山は、まるで“口”を開いたように
灯子を飲み込んだ。




