第二章
ウィリアムはとぼとぼと夕暮れの道を一人歩いていました。大切な父親の形見を有無を言わさず奪われたのですから、心の中は深い悲しみと怒りでいっぱいでした。唯一の希望はシンシアの病気を治せるかもしれない万病に効くという植物の種でした。でも、使い方を聞く前に男が逃げて行ってしまったので、どう使ったらいいのかわかりません。種はナッツのようでした。懐から取り出してしげしげと眺めてみます。
(この種をシンシアに食べさせたら元気になるのかなあ。それとも、蒔いて育てて収穫したものを食べさせればいいのかな。もしや、これはただの植物の種で、僕はだまされたのかなあ。どちらにしても、あんなふうに無理やり地図を奪っていくなんて許せないや。)
そんなことを考えていると、道の向こうから人影が見えました。
「ウィル、どこへ行っていたのかい?」
お母さんでした。
「港町へ行ってたんだよ。仕事を見つけてきたよ。商船に乗るんだ。明後日から航海に出る船だよ。」
「なんですって?一体どうしたっていうの。なぜ船乗りになるなんて言い出すのかい?農園の仕事はどうするつもり?」
「大丈夫だよ。半年の航海さ。春には帰ってこられるよ。農園の仕事は春までそんなに忙しくないだろう。」
「でも、ブドウの枝を削ったり、肥料を作ったり、することはいろいろあるんだよ。それに、ずいぶんと急な話じゃないの。」
「わかってる。だけど、一度、船に乗ってみたかったんだよ。春にはお給金をたっぷりもらって帰ってくるから、行かせてよ。」
「ウィル・・・・・・」
お母さんは黙ってしまいました。その日の夕食は静かでした。
次の日、ウィリアムはブドウ畑の向こうにある楠の木の下でシンシアに会いました。シンシアのことが大好きな白カラスのラスクも一緒です。ラスクは、昔大鷹に襲われて地面に落ちたのをウィリアムとシンシアが助けて、介抱してやったカラスです。ケガが治った後も、ウィリアムとシンシアに懐いてよく後をついて飛んだり歩いたりしています。
「おはよう、ウィリアム。ねえ、航海に出るって本当なの?」
最初に口を開いたのはシンシアでした。
「おはよう、シンシア。そうだよ。明日から春まで帰ってこられないけど、シンシア、元気でね。」
「いったい何があったの?急にそんなこと言いだして、うちの父さんと母さんも心配してるわ。」
「何もないよ。前から思ってたんだ。航海に出てみたいってね。」
ウィリアムはシンシアに嘘をついて、ちょっと心が痛みましたが、本当のことは誰にも言わないでおこうと思っていました。それが、ウィリアムなりの思い遣りでした。
「それより、シンシア、手のひらを出して。」
ウィリアムが頼むと、シンシアは素直に手のひらを出しました。ラスクがシンシアの肩にとまりました。興味深げに様子を見ています。ウィリアムは、シンシアの掌に種を一粒置きました。昨日、男からもらった種です。使い方はわからないけれど、とりあえずシンシアに渡してみることにしたのです。
「シンシアにあげる。」
「?」
シンシアは種を指でつまむと、しげしげと眺め、パクっと食べてしまいました。
「あ!」
「カア!」
思わずウィリアムとラスクは声を出しました。
「え?」
種をカリっと噛んで、ゴックンと飲み下したシンシアは驚きました。いつのようにウィリアムがおやつを
分けてくれたと思って口に入れたのですが、どうやら違ったのかもしれません。苦い味がしたし、おやつではなかったのかもしれません。自分の食い意地が恥ずかしくなって、顔が熱くなりました。
「もしかして、おやつじゃなかったの?」
シンシアは慌てています。
「ああ、まあ・・・・・・それより、大丈夫?シンシア、顔も赤いし、具合が悪くなったんじゃないか
い?」
ウィリアムも慌てました。なんの説明もせずにシンシアの手のひらに種を置いたことを後悔しました。でも、もうどうにもなりません。
「わたしは大丈夫よ。それよりねえ、おやつだったって言ってよ。まさかおやつじゃないなんてことないわよね。」
シンシアは頬を手のひらで押さえて不安そうに聞いてきます。ウィリアムはシンシアが心配しないように誤魔化すことにしました。
「いや、まあ、あれは、それだよ。そう、おやつだよ。美味しかった?」
ウィリアムがそう聞くと、シンシアは落ち着きを取り戻しました。
「ええ、まあ、ちょっと苦かったわ。」
「航海から帰るときには、もっとおいしいお土産をたくさん持ってくるから楽しみにしててよ。」
「もう、いやだわ。ウィルったら、私そんなに食い意地張ってないわよ。」
「ハハハ。」
「フフフ。」
二人は同時に吹き出しました。ラスクはどこかへ飛んでいきました。
「ええ、でも、そうね。ウィル、お土産を楽しみにしてるわ。必ず元気で帰ってきてね。」
「ああ。そうするよ。」
次の日、ウィリアムは夜明け前に家を出て、船旅に出ました。
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