静寂な夜で
「っはぁ、はぁ、はぁ……はぁあ」
結構の距離を走った頃、私は走り疲れて木の陰に座り込む。後ろを見ても、さすがに追っ手が来てそうな感じはなかった。
「ちょっと、休みましょうか……」
ライナも同じらしく、私の隣に座り込む。
夜になったらしくあたりは闇に包まれ、上を見ると今の心境に似つかわしい曇天とした空が広がっていた。
呼吸が収まってきて、私は深く木にもたれかかる。死の森でリラックスとはなかなかいいものだ。
「……困ったことになりましたね」
「……そうだわね」
特にそれに対する策などを提案するわけでもなく、ただそう呟いた。
さっきの爆発のあとに、また数発後ろで爆発音が聴こえた。おそらくあの一帯は無残な姿になってしまっただろう。ルールに反していないかだけ気になるが。
だがそれはいいとして、一つ気になるのは。
「あの人たち、何が目的なんです?」
空を見ながら、ライナにそう言う。
協力と敵対なら、人間は基本協力を求むはずだ。不要な敵対など、意味がない。敵を自ら増やすだけだ。
それなのに、なぜあの人たちは私たちを狙ってきたのだろうか。私たちは武器もダガーナイフ一本しか持っていないし、意図が全く分からない。
ライナは座り直しながら、「それは」と白いワンピースの汚れをはたく。
「——クリア人数に、制限があるのよ」
その「クリア人数」という言葉の意味を咀嚼できず、一瞬思考が停止する。
クリア、人数……? なんだ、クリア人数って?
……あ、そうか。ここデスゲームだった。
すっかりここを《異世界》だと思い込んでいた私はまずそこから思い出し、だがよく考えて、その言葉に困惑する。
「……どういうことですか?」
だって、そんなこと説明では一言も言われていない。ただ脱出すればいいだけと、そう言われたはずだ。
険しい表情でライナを見ると、その目には空が映っていた。
「基本的にここにはプレイヤーが五十人前後いるんだけど」
「……はい」
「そのうちの十五人しか脱出はできない」
「じゅっ…………!?」
十五人しか、脱出はできない。
私はその初耳の話に、呆然とする。
プレイヤーの約三分の一しか脱出できない。明らかに、そんなことを説明で聞いた覚えはない。隠している意図も全く分からない。
——早く脱出できなかったら、死ぬ。
今更な大きな事実が、ここを《異世界》だと思っていた私に押し寄せる。
私は俯き、きゅっと唇を結ぶ。自分の白いワンピースが見える。
……そんなの。
「あなたも、その説明がなかったんでしょう? 私も最初聞いたときは本当に意味がわからなかったわ。そんな事する必要がどこにあるのかって。……でも、」
「めっちゃ楽しいじゃないですか!!!」
「へ?」
急に大声を出して立ち上がった変人に、ライナは驚いて変な返事を返す。
「た、楽しい……?」
「だってそうじゃないですか! 人数制限があるとか、一気に緊張感が増して心が躍るっていうか……」
「は、はぁ……」
私の勢いに気圧されたのか、ライナは困ったように私を見る。
だが、一回始まったら止まらないのが私だ。
「制限っていうか縛りっていうか、そういうのも《異世界》感がありますし」
「い、いせか、異世界?」
「いやー、テンション上がりますよねぇ……」
うんうん、と自分の発言に自分で納得する。これだけ言っても、まだ興奮は冷めやらない自分が怖くなる。
だが私が何か変なことを言ったのか、隣にいる彼女は困り果てた顔をしていた。
どうしたんだろうと思い見つめていると。
「あの、異世界って、どういうこと……?」
「? 《異世界》は《異世界》ですよ? 現実ではない、別の」
「いやそうじゃなくて、さっき《異世界》感があるとかないとかって言ってたから」
「え?」
思わずそう訊き返してしまう。
あれ、私そんなこと言ってたっけ。いや、確かに言ったような記憶もかすかにある気はするが……。自分のことすらも記憶が飛んでいるのはさすがに危険ではないのだろうか。
私はライナの「知りたい」と言っているような顔を見る。キラキラはしていないものの、真剣な面持ちだ。
……これはもう、言う流れなのか。
私は「えっと……」とごまかすように言う。
「実は、起きた時にここが《異世界》だと思ってしまって」
ライナが正面から私の顔を見据えていて無意識に顔が熱くなり、なんとなく目を逸らす。
「あとで、デスゲームっていうことは分かったんですけど、なんか《異世界》のイメージが頭から離れない、んです……」
今でも、意識していないとここがデスゲームだと忘れてしまうほど。
言い終わると、ライナは少し驚いた表情をする。
「……だから、さっきも《異世界》って?」
「……そう、ですね」
まあ厳密に言えば違うが、私が《異世界》の認識を持っていたがための発言なのでそこは訂正しない。
……正直、言いたくなかった。そんなのバカバカしいし、そもそもデスゲームを《異世界》と認識する輩がどこにいるんだっていう話だ。
どうせバカにされる。まだ誰からもバカにされたことがないないのに、なぜかそういう結末が勝手に頭の中で構築された。
白いワンピースの裾を掴む。動悸が上がる。
……もう、だめなのだろうか。
そう、諦めかけたとき。
「まあ、いいんじゃないかしら?」
「っ!」
呆れたような、納得したような。笑いを含んだ、だけれどそんな私にとっては優しい声が、隣から聴こえてきた。
「面白いんじゃないかしら、そういう考え。私はしてみたことがなかったけど、でも聞いてたら面白く聞こえてきたわ」
「…………」
私は、何も言えずにただひたすら空を見上げているライナの横顔を見つめる。
「こんな、『デスゲーム』なんて名前の世界で別のイメージを見つけられるってすごいと思うし。それに、」
「本当、ですか?」
ふいに頭に降りてきた自分でもひどいと思う疑問を、私は滑るようにライナに言う。ひどいと思っても、なんとなく訊かなきゃだめだと思った。
すると上を向いていたライナは私の顔をまじまじと見つめ、だがすぐにふっと笑い、再び曇天のはずの空を見上げる。
「私、人にお世辞は言わないタイプだから。」
ライナがそう言った瞬間、急に空が明るくなり始める。
なんだと思い、見てみると。
「……きれい」
曇天だったはずの空に、白く光るきれいな満月が出てきていた。
「ここ、月がよく見えるのよね」
「え、来たことあるんですか?」
「前に一回ここがデスゲーム会場になった時にね。その時は研究者の恰好だったけど」
「そうなんですか……」
ということは、結構の頻度で同じ会場を巡回しているということなのだろうか。分からないが、そうな気がする。
私はただ、その月を眺める。さっき走った疲れは、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。
と、隣で草音がする。
「そろそろ行かないと。十五人の中に入らないとね」
私の前に立ったライナは、まるで月からの巫女みたいで。彼女のイメージと雰囲気に、ぴったりと合っていて。
「……はい」
あまりにもきれいなその姿に少し見惚れてしまったあとに、私もワンピースの汚れをはたきながら立ち上がる。
そうして月も東に傾くころ、私たちは、出口を探しに森の中へと進んだ。
——管制室にて。
ダークスーツの黒服の男十人が、その部屋の中にはいた。黒服たちは自分の決められた席に座り、皆一同黒いサングラスをしていた。
「本当に厄介な少女だな……」
一人の偉そうな黒服が、モニターで状況確認をしながら資料を片手に眉をひそめる。
そのモニターに映っているのは、一人のワンピースを着た少女が歩いている様子である。そして、その周りの地面には約二百個の地雷が隠してある。
「これを全て避けるのは、さすがに想定外だったですね……」
偉そうな黒服の隣にいる黒服が、まさかという感じで言う。
向かい側にいる新人の黒服が、右手に持っている資料をじっくりと見て、だが首をかしげる。
「クリア回数百二十って、こんな芸当ができるものなんですかね?」
「…………」
一同は、何も言えないと言わんばかりに押し黙る。
実際、今までにもいたことはいた。クリア回数百三十回の人がマグマの上の透明な足場を何の迷いもなく進んだり、クリア回数九十回の人が三十階建てのビルから落ちてもぴんぴんしていたことが。
だがこれはそれとは桁違いだ。周りには地雷二百個がびっしりと詰められており、歩けるのはほんの二、三メートルの幅だけ。踏んだら半径三メートルが粉々に爆破される地雷。
の、はずなのに。
「……あ、終わりました」
モニターを見ると、その少女がニ百個の地雷の海を無意識に通り抜け、先へと進んでいた。
はぁ、と偉そうな黒服は大きいため息をつく。
「……もう勘弁してくれ」
そう呟き、偉そうな黒服は椅子に深くもたれかかった。
Episode.5 静寂な夜で