彼女の名と突然の奇襲
「そういえば、あなた名前なんて言うんですか?」
ナイフを持って、脱出口を見つけるため森探索を再開した私は、隣にいるついさっきパーティーメン……仲間になったその人に訊く。まあ仲間と言っても、いつ裏切られるかわからない不安定な仲間だが。
すると、その人は「あら、言ってなかった?」と口元を押さえ、その上品そうな声で自分の名前を告げる。
「私の名前は、ライナよ」
「ライナ……」
ライナは、後ろの黒いストレートヘアを揺らしながら上を向く。
「なんでその名前がつけられたかはわからないけど、この世界で気づいたときにはこの名前が与えられていたの。いい名前だとは、思うけどね」
「…………」
その話を聞きながら、私は、このひと記憶喪失なのではないか、と思った。口ぶりてきにもそうだったし、なんでこの世界にいるのか分からないといった感じだったからだ。
だが、ただの仮説を言う勇気は私にはなく、そのまま歩き続ける。
「……あなたの名前は?」
「え?」
突然そう訊かれたので、私はその言葉の意味が理解できず、思わずその顔を見る。
するとライナは、同じように「え?」と返してくる。
「あ、いや、あなたの名前も知っておきたいなって。呼ぶときに毎回『あなた』って呼ぶのは変じゃない?」
「…………あ」
その時、止まっていた思考が動き出す。
そうか、名前を聞かれたのか。なるほど、そういうことか。
そりゃそうだ。自分が訊いておいて訊いた本人が名乗らないのはおかしい。
私は、自分の名前を思い浮かべる。
「……フィーネ。私の名前はフィーネです」
なぜか、その名前を言った瞬間に新鮮な気持ちになれた。ああ、私の名前はこれなんだな、と改めて実感できたような気持ちだ。
「フィーネ……さん?」
そんな感覚になっていると、ライナは私の名前をさん付けで復唱してくる。いや、さん付けは正直いらないんだけど。なんかもどかしいし。
「……その、さん付けはいらないよ。私も、カンナって呼ぶから」
「え? いや、でも……」
「歳も近そうだし。それに、さん付けってあんまり慣れてないから」
「……分かったわ」
では呼ばせて頂きます、とライナは言う。承諾してくれたと捉えていいだろう。
それに、私の名前を尋ねてきた時に「私も教えたんだからあなたも名前を教えなさい」とかぶっきらぼうなことを言わないあたり、この子は優しいんだなと思う。
正直、なんでこの子が、と思ってしまう。
友達もたくさんいそうだし、家庭環境が悪そうにも思えない。最も、記憶喪失の場合は性格が変わってしまったこともあり得るが、それにしても不思議でならない。
——私も、そんな子だったのだろうか。
「なんか、全然トラップとかないわね。デスゲームだから、てっきりたくさんあるものかと思ったんだけど……」
考えても仕方のないことを考えていると、となりでライナがそう言う。
「確かに、さっきのトラップ以外一つも見当たらないような……」
思えば、さっきのチェスト以降トラップも魔物……人も、何も見つからない。ここは《異世界》の森林だ(違う)。普通、そういうのは頻繁にあるものではないのか?
周りを見て、殺気がないか確認する。
「思い出したように突然現れたりしませんよね、道端にぴょんって」
「……たっくさんあるわよ、そんなの」
このゲームの経験者と語るライナは苦い顔をし、周囲を警戒する仕草をする。
そう、なにより怖いのは、予測不可能なトラップだ。土を踏んだら落とし穴だった、みたいな定番だけれど避けようのない、そんなトラップ。勘がいい人なら分かるかもしれないが、どうやら私は《異世界》の知識しかないらしい。
……い、いや、異世界だけどね? ここ。
自分の認識を再確認した、その時。
「……フィーネ、後ろに複数の人の気配がするわ」
「えっ、どれ」
「振り返っちゃだめ!」
私が見ようと振り返ろうとした瞬間、ちょうど私の後ろにいたライナは私の肩をつかんで前に戻す。
「え、ちょ、なん、なんですか?」
「見たら、確実に奇襲される」
「え? なんで?」
「私たちが彼女らの存在に気づいたことを知らせることになるからよ。大半の敵は、油断をついて後ろから襲撃するつもりだから」
一瞬、「彼女ら」というライナの発言に違和感を覚えた。「彼ら」の可能性はないのか、と。性別が限定されているゲームなのか、それとも。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない空気だったので、口にはしなかった。
「……一瞬後ろが見えたんですけど、誰もいなかったような気がしましたけど」
「周りの木に隠れてる。五人くらいで、武器はダガーナイフ三本、私たちを監視してるわ」
あまりの観察眼に、というか気配察知能力に、私は言葉を失くす。人数だけでなく、所持している武器までもがわかるなんて。
と、ライナは苦笑をし、私の肩を押しながら進む。
「気配察知だけはすごく得意なのよ。周囲百メートルの気配は察知できるわ」
「すご、なにそれ……」
感激と言うか、絶句と言うか、本当になんというか。私は知識、それも《異世界》の知識しかないというのに。
だが今はそれを気にする余裕はないと我に返り、私はあくまでも前を向きながらライナに訊く。
「悠長に話している時間はないように見えるんですけど……。一体、どうするんですか?」
経験者なら、きっとこういう場面は何回も遭遇したことがあると思うし対処法も分かるだろう。そう思って訊いた。
だが、ライナは「あー……」と何か隠している気に目を逸らす。
「わた、し……、危険察知力あるから、こういうトラブルはあんまり遭ったことないの。すぐ、逃げてたから……」
「えっ」
私は思わず、驚きの声をもらす。
だがそれは、今まで逃げていたことに驚いたのではなく。
「今回は、なんで気づかなかったんですか?」
ライナの言い方だと、敵は半径二十メートル以内にいる、という感じだった。百メートル範囲を察知できるライナが、なんで今回は察知できなかったのか。それを私は訊いた。
すると、ライナは顔を少し赤くする。
「……あなたとのおしゃべりが楽しかったから、うっかり忘れちゃった」
「っ……そ、そうですか」
私も目を逸らしながら、小さくそう言う。
楽しかったって……。私としゃべっていて、楽しかったなんて。そんなこと思われているなんて考えもしなかった。
なんだ、この人。まじでいい人じゃないか。まるで天使みたいに優しい。
そんな具合に私が夢心地になっていると、ライナさんが急に止まる。
「……どうしたんですか?」
不思議に思い、私は数歩手前にいるライナさんを見る。
「——来る」
「え?」
唐突に言われた言葉に、私は困惑する。
来ますって、なにが? 奇襲が? どういうこと?
だが、次の瞬間にそれは分かる。
「っ!」
森から、銀色の光が一瞬ちらついた。
そして、次には——。
——ダガーナイフが、私を目掛けて飛んできていた。
私は咄嗟に、身をそれに当たらないように適当な方向へ投げ出す。
「ライナ!!! 大丈夫ですか!?」
地面の尖った石が露出している腕に刺さる痛みを抑えながら、私はどこかにいるであろうライナの名を叫ぶ。
一秒の差があって、ライナの声が聞こえる。
「っなんとか……」
「それなら、よかっ……?」
……あれ、なんか声が近くでするような。
というか、私の下から聞こえる?
「フィ、フィーネ、苦しい……」
「っ!?」
見れば、私の下に、腹のあたりにライナは抱きかかえられていた。無論、私にだ。
私が、抱きかかえた? 誰かを守ろうと?
「なん、で……」
「今は考えないで! また飛んでくるわよ」
また躱そうと体勢を素早く整えると、目の端に再び銀色の光が見えた。今度はもう片側の森だ。
そして敵もそんなに気長ではないらしく、向けられたと思ったらすぐにそれを投擲してきた。
「っ、グッ……」
私はまた適当な方向に身を投げ出し、その勢いのまま敵から死角の、人が二人分隠れられそうな木の裏に隠れる。
「ありがとう、おかげで助かったわ」
見ると、ライナもここに来ていた。というか、知らぬ間に私が連れてきていた。
「私、ライナさんを助けたんですか?」
「ええ、そうだけど……」
私は心底驚く。記憶喪失ながらも、前にそういう事をした感覚はない気がしたから。
だが、無意識に助けた、ということは何回も助け慣れている、ということだ。咄嗟の判断で 適当に身を投げたのも、反応というよりかは反射だ。こんなことを、私は前にしたことがあるのだろうか。
「いつぶりかしら、仲間に助けられたなんて」
遠くを見ながら、ライナはそう言う。
時間がないながらも、私は一つ質問することにした。
「ライナは、いつからこのゲームをやっているんですか?」
単純な疑問だった。経験者と語っていたし、このゲームについてもよく知っているみたいだし。別に何者かを暴こうという気はないが、たど気になっただけだ。
「いつ、だったかな……。何ヶ月前からとか、そういうのさ分からないんだけど、確か五、六回前のゲームが初めてだったはず」
「六回、ですか……。だいぶ、ベテランですね」
「いや、そうでもないよ。中には三十回とか五十回の人とかもいるし」
「数えるほうが大変になってきますね……」
他にも、このゲームは複数回参加可能で、先輩後輩の関係が存在するらしい。そんなことをライナは教えてくれた。
そして、なにより衝撃だったのが。
「記憶喪失なんですか? 今も?」
「ええ。一回目から、ずっと」
どえやら、ライナは一回目のゲームからずっと記憶喪失らしい。ゲームに参加する前の記憶が全くなく、その状態でここまで来たらしい。
「ゲームが終わると、また意識が途切れるの。そして次意識が戻ったら、またデスゲームの中。つまり私は、デスゲームでしか意識がない」
「…………」
まるで当たり前のように言っているライナを見て、私は何も言えない。
Rさんは、時間が経てば症状は治ると言っていた。だけれど、こうして治っていない人がいる。しかも、デスゲームの時だけ意識があるとは。Rさんが言っていたことは、嘘だったのだろうか。
……ライナも話してくれたんだから、私も話そう。
そう思い、私は意を決して口を開く。
「…………実は、あの、私も」
だが、その時。
バアアアアアアアアアアン
後ろから、耳を劈くほどの爆発音がした。
「っ、なんですか!? これ!!!」
大声で隣にいるライナに叫ぶ。隣にいるはずなのに叫ばなければいけないほどの轟音だった。
「爆弾よ!!! 奴ら、焦れったくてついに最終手段に出たわ!!!」
爆弾なんて、ライナさんは察知したときには言っていなかった。あのあとで調達してきたのだろうか。
再び、爆弾音が鳴る。今度は隠れている木の上の部分が吹き飛んだ。
「逃げるんですか!?」
さすがに立ち向かうとは言うまい。あたりは一面砂ぼこり、敵がどこにいるか見当もつかない。こんな状況で私の持っているナイフを振り回したって、なんにもならない。
「ええ、さすがにこれは分が悪すぎる!」
するとライナは、予想通り逃げる選択肢をとる。
私はなるべく遠ざかろうと、先に森の中へ入っていったライナの後をついていく。
爆発地とは、真反対の方向へ。
もう少しで、夜が来ようとしていた。
Episode.4 彼女の名と奇襲