②−16 雄二に望むこと(2)
屋敷の外に出て、二枚扉の前で立ち尽くした。
(オレの認識違いなのか)
雄二のことを、そういうふうに思ったことはなかった。東京綾瀬グループに、十分貢献できる器だとは。
(オレとは違う)
確かに成績はとてもいいどころか、どんどん上の勉強を進めていて、そのうち追い抜かされるかもしれない。
――あのね、綾瀬さん。ぼくさ、いつかお嫁さんになりたいの。
その言葉を信じていたけど。
(オレより父さんや母さんの方が、雄二のことを分かっている)
彼女は、何を望んでいるんだろう。
「隆夫くん」
澄んだ声で名前を呼ばれた。
「礼央」
執事服に身を包んだ幼なじみ。オレより一つ下で、まだ子どもっぽさが残るものの、仕事をしている人間の貫禄はうかがえる。
駐車場の掃除をしていたらしい。道具を置いて、こちらに走ってきた。胸の前で金色の何かが光る。
「婚約おめでとう! って、隆夫くんに言いたかったんだ」
笑顔の十六歳。オレのことは何とも思ってないような。
「ありがとう」
「いいお嬢様だね。隆夫くんにぴったり」
「ああ」
オレは礼央から顔を背ける。
「そばにいてくれるんだ。オレが学校を替わると知ったとき、会えなくなることを想像して、泣いてくれた」
「愛されてるんだろうね、心の底から。安心した」
聞きたかったのはそういう言葉じゃないし、見たかったのもその顔じゃない。
オレを誰かに取られてつらいと思っている表情。それがほしかった。
(この期に及んで、まだ未練があるのか。礼央に)
ぼくもね、と礼央が話し出したので、そちらを向く。
彼は胸に吊るしたペンダントのヘッド部分を握りしめていた。
「好きな人いるよ、ここに」
写真を入れられるロケットなのか。金の鎖の先に、誰の姿があるんだろう。
(嫉妬なんて、見苦しい)
「オレの写真が入ってるんだろ」
礼央は表情を崩さなかった。ポーカーフェイスだ、この家に勤める人間らしく。
「違うよ」
オレを映しているその瞳が、憎らしかった。
「そうか」
玄関ポーチの短い階段を下り、並木の車道に向かう。五条が車を出してくれると言ったが、断った。
「幸せにね」
かつての恋人、いや、恋人だとオレが勝手に思い込んでいたやつの声を、背中で聞いた。
「礼央」
オレは一瞬、意地悪な気分になったんだ。
振り返り、あいつの目を真っ直ぐ見る。
「ツユクサのしおり、まだ持ってるよ。一人のとき、あれに支えられた」
――がんばって、隆夫くん
押し花を留めた細い紙に、鉛筆で手書きされた文字。
五条がアパートを去ったタイミングだったから、心に染みた。愛情を感じたんだ、たとえ勘違いであっても。
風が吹いた。
執事見習いは、服の袖で目元を拭う。
「……ごみが入っちゃった」
家に帰ると、エプロン姿のユウミさんが迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
ユウミさんのアップルパイが食べたいと言ったからか。
(雄二のままでは作れないのか)
オレは苦笑する。
「その袋は何?」
女の子らしいピンクの花柄。取っ手付きの紙袋を、オレは提げていた。
「母さんからきみに。珍しいお茶だよ、国内では手に入らない」
「楽しみ♡」
受け取ったユウミさんは、うれしそうに廊下を歩いていく。
「お昼はもう食べたの?」
聞かれて、まだとオレは答えた。向こうで誘われはしたが、少しでも早く帰りたかった。
「だったらサンドイッチがあるわ」
二人でソファに座り、ユウミさんはオレが作ったおにぎりを、オレは彼女手製のBLTサンドを味わう。
「うまい」
「隆夫さん、こういうの好きでしょ」
「よく分かったな」
ふふ、とユウミさんは笑う。
見た目も味も、大学前のサンドイッチ店のと似ている。長いパンに、カリカリベーコンとシャキッとレタス、種付きトマトを詰めたもの。
「結構手間かかっただろ。水分取ったりさ」
ただ挟めばできあがりじゃない。塩こしようで味をつけたり、見えない工夫がある。
「何てことないわ。ちょっとでもおいしいもの、食べてもらいたいもの」
久枝さんの子どもだ、と思った。皆ヶ崎家での夕食会のとき、どの料理にも想いを感じた。
「このおにぎり、昆布とごまだけじゃないわね。あと何が入ってるの?」
「鶏ガラ」
粉末は常備している。
「だからコクが……。隠し味には持ってこいだわ」
「他の具材に塩分あるから、ほんの少しな」
人は塩気を美味いと感じるが、摂りすぎは体に悪い。
「お料理の話なら緊張しない? わたしといても」
「……たぶん」
雄二とは別人という感覚は抜けないけど。
「そう、だったらよかった。共通の話題があれば、仲良くできそうだものね、わたしたち」
「ときどきは雄二に変わってくれよ」
「適宜ね」と、ユウミさんはいたずらっぽく笑う。
「そばにいてくれるだけでいいんだ。それだけでいい」
他には何も望まない。
「隆夫さん、“まだ好きな人”いる?」
「……」
雄二が聞いているのか、ユウミさんか。どっちにしても、気付かれていた。
「今はきみしか愛さない」
オレが彼女を押し倒したから、温かかったりんごのパイは、冷めてしまった。




