②−12 お呼ばれ(2)
付き添いのお兄ちゃんは、別室待機。会長さんはわたしと、二人だけで話がしたいみたい。
「旦那様はこの執務室にいらっしゃいます」
重厚な二枚扉の手前。よろしいですか? と五条さんは確認する。
わたしは深呼吸をした。
「ええ」
執事はノッカーを二回打ち、中からの返事を待って、右側を開いた。わたしは一歩、前へ進む。
(まぶしい)
天井までの大きな窓。逆光を背に、綾瀬家当主・貴司氏は机の向こうで立ち上がった。
「お初にお目にかかります。皆ヶ崎ユウミと申します」
わたしはスカートの両端をつまみ、右足を後ろへやって、お辞儀をする。最高の敬意を領主様に。
「こちらへ来て、顔をよく見せてくれないか」
言われるまま、わたしは会長さんの机を目指して歩き始める。
広いお部屋なんだ、我が家のリビング・ダイニング・キッチン・書斎を合わせた空間よりも。そして上の階が遠い。
窓際まで行って、わたしは足を止めた。
肘掛け椅子に座った会長さんは、わたしの全体を眺めると、満足そうに微笑む。
「なるほど。息子が恋に落ちた理由が分かる」
それについては詳しく聞きたかったけれど、野暮なのでやめておいた。
「チョコレートケーキは好きかね?」
「はい、いただきます!」
お一人でお仕事をされる部屋なんだけど、ちょっとした話し合いぐらいできそうな、長めのテーブルも置かれている。椅子の数は七脚。わたしはちょうど真ん中の席に着いた。
お給仕は基本、さっきの執事さん含め、雇われている人がするものと思っていた。
でも会長さんは自らお茶の用意をし、インテリアとして溶け込んでいる木目の冷蔵庫からケーキを取り出したんだ。
「チョコレートに目がなくてね。医者からは止められているんだが」
健康には十分注意してほしいけど。
「……聞かなかったことにします」
クリームたっぷりの四角いカットケーキ。その隣に紅茶が置かれる。かすかにお花の香りがした。
「ディンブラ――最近のお気に入りだ。さわやかな渋み……、ダージリンもいいが」
会長さんは短辺でなく、長辺にいるわたしの真向かいに座った。早速カップに口をつける。
「急に呼び出して悪かったね。きみにプレゼントしようと思っていた花が、今日咲いたんだ」
「お花を」
「きみの名前が花言葉だ」
そう言われてピンと来ない。わたしはこういったことに疎くて。
赤いバラならI love you.だってことは知ってるけど。
「後で渡そう。黄色いダリアだよ」
「ありがとうございます」
何にせよ、贈り物はうれしいものだ。
(このケーキもおいしい)
見た目ほどこってりしてなくて。かと言って味が分からないほど控えめでもない。
お屋敷の料理人さんが、考えて作っているのかな。
「あれのことをどう思っているね?」
“あれ”は通常、物を指す。でもわたしとお義父様の間だもの。
「隆夫さんのことですか」
「そうだ」
正解。
「やさしい人だと。面倒見がよくて、自由科では人気者でした」
「そうか。だったらいい」
会長さんは好物のお菓子を、フォークで切って口に入れる。
わたしは初めて飲むお茶を味わった。
「あれは、教師になるなどと言っているが、果たして務まるだろうか」
「やってみないと分からないことかと。ですが、本人は努力されると思いますよ。就きたいお仕事らしいですし」
「身近で見ているきみの意見が聞けてよかった」
「参考になりましたら幸いです」
本来であれば、隆夫さんはお父様の後を継いで、東京綾瀬グループ会長にならなければならなかった。
自ら辞退したと聞いている。そこらへんの事情はよく分からないけれど、詮索はしないでおこう。
わたしにとっては、今の隆夫さんがすべてだ。
「ときに、きみは将来どうするつもりかね? 和義くんの会社を継ぐのか」
「それはないです」
わたしは即答した。
「父は一代限りのつもりで起業したと言っていました。もし二代目まで続いたとしても、後を継ぐのは兄の方です」
「男でなければならない、という時代は過ぎ去ったと思っているがね」
貿易会社の社長さんは女性。綾瀬さんのところでは、トップに立つ者の性別はさほど重要じゃないのだろう。
「表に出る仕事には、就かない方がいい。社のイメージに関わるので」
「体のことかね」
わたしは黙って頷いた。
「ひょっとしたら、父や兄を手伝うぐらいのことはするかもしれませんが」
一番の希望は、隆夫さんのお嫁さん(専業主婦)になること。その夢が潰えたとき、わたしはどうやって生きていくのか――考えておくことは必要。
「社会に出るとしても、身内の保護下にいたいんです。わたしがどちらであるかは、周囲に混乱を呼ぶので。どこででも働けるわけじゃない」
誰も何も言わない、傘の下が安全。
「ふむ……」
綾瀬会長は、テーブルの上で指を組んだ。
「そのことなんだが」
そしてわたしの目を捉える。
「ワシの保護下に入らんかね。正確には、現時点で後継最有力候補とされている、アキの保護下だ」
アキさんが最も会長に近い。現会長の妹の子ども、血筋的にもそういうものなのだろう。
「アキは、性別に違和を抱いていてね。ある意味、きみに近しいかもしれない。きみのことを理解できる」
「……」
確かに、彼女はわたしを気持ち悪がったりしなかった。わたしも彼女――彼なのだろうが――を受け入れることは難しくない。
「隆夫が後継とならない以上、誰かが重荷を背負わなければならない。それが現状、アキなのだ。無論心配はしていない、覚悟も能力も十分な子どもだからな。しかし、支えはあった方がいい」
「わたしが」
「ギブアンドテイクだ」と綾瀬会長は言った。
「アキがきみを絶対に守る。きみはアキのよきパートナーとなる。どうだろうかね、決して悪い条件ではないだろう」
わたしが隆夫さんとの婚約を簡単に許されたのは、こういう裏の事情があったから……?
「買いかぶりすぎですよ。わたしは人より頭の成長が早い。それは生まれつき優秀ということじゃないんです。子どもの頃、高身長だった人が、大人になって平均以下ということはあるでしょう。過度の期待をすると、痛い目を見ますよ」
このセリフは雄二で言いたかった。ああ、かっこつけたい。でもドレスじゃ無理。
「結論は急がなくていい。当のアキもまだ十二だ。何年か先、きみにその気があるなら受けてくれればいい話だよ」
会長さんはティーポットから、カップにお替わりを注ぐ。わたしのにも入れてくれた。
「思慮深いね、きみは。簡単に落ちない」
綾瀬会長は口元にしわをよせて笑った。




