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♯1

※体について、同じ症例の方もいらっしゃると思います。主人公・雄二はかなりはっちゃけた性格で早熟ですが、それは雄二のキャラクターであり、この症例とは全く関係ありません。

 汚い話で悪いけど、ぼくはおしっこが下手くそだ。

 家のトイレでは問題ない。座ってすれば床を汚すこともないんだ。

 幼稚園では、男の子用は立ってするようになっている。それがうまくできない。他の子は上手に飛ばせるのに、ぼくだけ……。

 いつも先生に掃除してもらうのは申し訳ないから、個室を使うことにした。ここなら家の便器と同じ形。

 でもそうすると、同じ組の子たちに笑われちゃうんだよね。

「雄二のやつ、またうんこしてるんだぜ」

「あいつ、一日何回出してるんだよ」

 ものすごく恥ずかしい。けど仕方なかった。床にこぼすよりまし。

 そんな悩みを、ずっと誰にも相談できずにいた。


「今夜はホワイトクリスマスね」

 手をつないだお母さんが言った。ぼくはお母さんに付いて、街までケーキを取りに来たんだ。六歳の十二月二十四日。

「ホワイト……は白?」

 お母さんは微笑む。

「夕方から雪が降るんですって」

 あざみの繁華街は、あざみの駅を中心とする広大なショッピングタウン。

 まず駅ビルがあり、その周りにブティックや飲食店、カルチャーセンター、企業の本社などが集う。この近辺のいくつかの町の中で、一番にぎわっている。

 特色は二階の高さの立体歩道。すべての建物の正面入口がこの階に設置されていて、歩行者は信号のない道をどこまでも歩いていける。一階を走る車とぶつかることなく。

 目的のケーキ屋さんは駅ビルの地下にあるんだけど、お母さんは先に衣料品のバーゲンセールに行くと言っていた。

 ぼくはそのとき、ふと足を止める。

 いい匂いがするコーヒー屋さんの隣、女の子用のブティック。そこのショーウィンドウに、赤いコートを着たお人形が立っていたんだ。

 白いハイネックのセーター。チェックの入っめ茶色いスカート。下は、黒いタイツに焦げ茶の靴。

 三つ編みのマネキンさんがあんまりかわいい女の子だったから――なんて理由で見とれたわけじゃなかった。

 ぼくが気になったのは、その赤いフード付きコートだ。

「ユウちゃん、このお洋服がほしいの?」

 ぼくは斜め後ろを振り返った。

 お母さんは、いつもみたいにやさしく微笑んでいる。

「……」

 ぼくは答えなかった。自分の気持ちがよく分からなかった。

(ほしいのかな。女の子の服なのに? でも着てみたいと思ってる)

「いいわ、買ってあげる」

「えっ」

 お母さんはぼくの返事を待たずに、ぼくの手を引いて店に入ってしまった。

「すみません。そこに飾ってあるお洋服一式、そろえていただけます?」


 試着室から出てくると、レジのところにいた店員さんが、目を輝かせて拍手してくれた。ぼくのこと見世物か何かと思っているんだろうか。

「ユウちゃんはめがねがない方がすてきよ」

 そう言ってお母さんは、ぼくの顔にあるものを取ってしまった。近眼なのに。

 壁に貼ってある大きな鏡には、赤いコートの女の子もどきが映っている。めっちゃ恥ずかしい、女装なんて。

 お母さんはどうして、ぼくにこんな格好をさせるんだろう。今までで最悪なクリスマスだと思った。

 それからお母さんは、ぼくをこの服のまま連れ回した。駅ビルに入っている衣料品の店で、お父さんとお兄ちゃん、ぼくの下着を買う。お花の先生にって、刺繍入りのハンカチも。

 ぼくはその間、フードを目深にかぶっていた。誰か知ってる人に見られたらどうしよう、と心配しながら。

 疲れたから喫茶店でお茶にしましょう、とおいしいケーキのお店に入る。

 通路を歩くとき、「まあ、かわいらしいお嬢さん」と年配のご婦人に言われたけど。分かっててわざと言ってるんじゃ……? って、気が気じゃなかった。

 一番奥のボックス席に着いて、ぼくとお母さんはケーキセットを頼む。

 お母さんはモンブラン、ぼくはチーズケーキが好き。

「ふふ、もうフードを脱いでも大丈夫よ」

 お母さんは笑うけど、やっぱり人がいるところでは落ち着かない。ぼくは赤ずきんのまま、もそもそと大好物を食べた。

(味がしない……)


 駅前広場を抜けて、エレベーターで一階まで下り、近くのバス停にぼくたちは立つ。

 お母さんの腕は紙袋でいっぱいなので、ホールのケーキが入った箱はぼくが持っていた。

 目の前を流れていく車。白だと夕日の色に染まる。

 空を見上げると、灰色の分厚い雲が全体を覆っていた。

「ユウちゃんも、もうすぐ小学生だものね。そろそろ本当のことを話していいかしら」

「本当のこと?」

 今ここには、ぼくたち以外誰も並んでいない。

「ユウちゃんはね、本当は女の子なのよ」

 ぼくは、お母さんは寝ぼけていて、夢の話をしているんだと思った。

「生まれたときにお医者さんがそう言ったの。ユウちゃんの体の中は女の子で、赤ちゃんを作る機能もちゃんと備わっているのよ。でもね、外側が少し……男の子のものに似ているでしょう。だからお父さんが、幼稚園でいじめられないようにって、男の子として育てることに決めたの」

 私は女の子として育てたかったのだけど。お母さんはつけ加える。

(今、何て? 外側が少し男の子に似てるん 幼稚園でいじめられないように?)

 じわじわと理解の波が押し寄せてくる。分からない方が楽だったかも。

「ぼく、女の子なの?」

 お母さんは黙って頷いた。

 心当たりがあるから……。どうしてぼくはおしっこが下手なのか――納得できてしまう。

 なんで今まで黙ってたの、そんな大事なこと! と責め立てたい気持ちを抑えた。お母さんはぼくを本当の性別で育てたかったんだし、お母さんに罪はない。

「大きくなったら、自分で決めていいのよ。男の子として生きるか、それとも女の子か。住民登録の性別欄は、空欄にしてもらってるの」

 そのとき家の方向へ行くバスが来たので、ぼくとお母さんは順番に乗り込んだ。

 今降りる人が空けた二席のうち、一つはぼくに「座りなさい」と。もう一つはお年を召した方に譲る。お母さんはぼくのそばに立った。

「……」

 ケーキの箱をひざへ置き、ぼくはさっきお母さんに言われたことを考える。

 ――大きくなったら、自分で決めていいのよ。男の子として生きるか、それとも女の子か。

(そんなの、分かんないよ)

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