プロローグ
△1985/7/30 火
視点:三人称
黒亜皇国軍カイハナ基地。正門前。
そこでは傷ついた猛獣の群れが闘争心を捨てない重武装のまま、手負いの獣となって佇んでいた。
実戦で使用したであろう、弾痕のついた車両群。
首都決戦に敗北した主流派の兵士達だった。中には右目を被弾し、血を流している者もいたが、血が滲んだ包帯を巻いたまま、ギラついた目で正門を睨んでいた。
彼らが休息もとらずにそうしているのは、この戦争で勝利した穏健派の英雄である〝ミシマ〟がやってくるという真偽不明な情報があったからだ。
「おい、本当にミシマが来るのか?」
「知らねぇ、本当に来るなら大したモンだ。だがよ……」
中には銃の安全装置を外しながら、物騒な言葉を吐く兵士もいた。
統率者は入れ替わったが、主流派の兵士達はまだ一戦交える覚悟があるほど好戦的だった。
隊舎の壁際には、月光部隊の面々もいた。
中には担架に乗せられ、昏睡状態に陥った子供らの姿もあった。
「セリ曹長」
一人の子供が腕を組むセンター分けの少女に話しかける。
それは、〝異色の令嬢〟の異名を持つアブラヤ・セリだった。
セリは首都決戦当時から
「曹長はつけるな。セリでいい……それより、準備はできたか?」
「……うん。既に何人かエルフライド内で待機している。武装も最低限は完了したよ」
「おう……兵士連中は気が立ってる。もう主流派もおしまいだ。やばそうになったら私の合図でずらかるぞ」
セリが囁くようにそう口にして、月光の子どもたちの顔に浮かぶのは悲壮感に満ちた表情だった。
所属していた派閥の起こした戦争は破れ、秩序は崩壊しつつある。行くアテは無い。英雄となる目的も喪失した。
その事実が、軍服を着るには幼すぎる彼ら、彼女らに重くのしかかっていたのだ。
そんな時だった。
「敵襲ー!」
名もなき兵士が発した言葉。カイハナ基地に緊張が走る。
ライフルを持った兵士がバタバタと走り回り、正門方向へと走っていく。
どうやら、正門前に〝何者かが〟襲来したようだった。
「……穏健派かな?」
「だろうな。未だ武装解除もせずチンタラやってるからだ……まだ銃声は聞こえてない、睨みあってる最中だろうな。こりゃ、この場でもう一戦あるかもだぜ」
「どうする?」
「……空を警戒させておけ。電光が来てたら勝てない。向こうは十一階層と九階層が一名ずつ。逃げるだけならいけるだろうが——」
「ミゾレは?」
セリは芝生にぺちゃんと座り、虚空を見つめてブツブツ呟いているカンバシ・ミゾレへと視線を移していた。
そして、諦めたように息を吐く。
「ミゾレはもうダメだ。逃げるときは私が連れて——」
セリはそこで言葉を切った。理由は、切らざるを得なかったからだ。
正門前で響いていた怒号が唐突に止んだ。
セリたち月光のメンバーが何事かと視線を向ければ、そこには何と——。
穏健派を現す赤いテープを腕に巻いた、幹部と思しき兵士が正門方面から一名。手に拡声器を一つだけ持って、銃を突きつけられながら基地内に入ってきていた。
穏健派の幹部と思しき兵士は、恐れるでもなく落ち着いた様子で。
ゆっくりと主流派の幹部へと近づいて行った。
「今の主流派の最高指揮者は誰だ?」
「拡声器なんか持ちやがって……売国奴どもが仲間を引き連れてきて、優雅に勝利宣言か? あぁ?」
主流派幹部は怒りに駆られたように拳銃を抜き放った。
「舐めるなよ、まだこっちのが人数も上だ」
こめかみに突きつけられた拳銃。指はトリガーガード内に収納されていた。いつでも引き金を引ける態勢だ。
穏健派幹部は顔をしかめる様子もなく、
「……話をしに来ただけだ。それに、俺たちはお前らに勝ったなんて、思っていない」
勝ったと思っていない。その返答に、主流派幹部は眉根を寄せていた。
「……ミシマはどこだ?」
その問いに、穏健派幹部は自身の時計を見つめ——続けて空へと視線を向けた。
「来たようだ」
穏健派幹部のそんな仕草に釣られ、その場にいた主流派の兵士たちの視線は上空へと向けられた。
カオスな状況に相応しい暗雲とした雲が立ち込める上空。そこにあったのは——
グリーン色の落下傘で降下してくる、一機のエルフライドだった。
そのエルフライドの腹には、棺桶のような箱が据え付けられていた。
△
一機の、無装飾のエルフライドが、落下傘によって悠々とカイハナ基地に降り立った。
エルフライドは地に降り立つと、ゆっくりその場で膝をついた。
主流派の兵士たちが遠巻きにそれを眺める中、穏健派の幹部がエルフライドに近づいていき、腹部分に据え付けられた棺桶のような箱のロックを解除する。
すると、キイッと。音を立ててドアが内部から開放された。
——運命の悪戯か、それとも神の気まぐれか。
そのタイミングで、雲の切れ間から——陽光が照りだし、エルフライド周辺をスポットライトのように照らし出した。
誰もが息を呑んだ。軍服の男は、多くの主流派の兵士にとって、初めて姿を現した存在だった。
少年のような体躯、その顔に張り付けた、言葉で表せられない壮絶な表情。
何より、その人物は誰もが感知しえるほどの、不思議なオーラを纏っていた。
「ミシマ大尉」
穏健派幹部が手元にあった拡声器を手渡す。
「気が利くな」
少年のような男——黒亜皇国陸軍大尉、ミシマ・アサヒは受け取った拡声器を持ちあげ。
『出てきていいぞ』
そう言葉を放った。
途端に、エルフライドのコックピットがガシュッと解放される。
影となった暗闇のコックピット内。そこからぴょこっと姿を現したのは——誰もが予想だにしない人物だった。
「ニャハハッ! 完・全・復・活!」
大半の兵士が誰だ? と、顔をしかめる中、
月光部隊の面々——特に子どもたちは、顎を外すような勢いで口を開き、呆けていた。
「セノ・タネコ、見参!」
その少女は、かつて月光部隊で絶対的なリーダーであったセノ・タネコであった。
ニャハハと陽気に笑う彼女に、ミシマが拡声器を差し出す。
セノ・タネコはそれを受け取り、主流派兵士たちに向かって言葉を発した。
『私はミシマ大尉につくことにしたのだ! 久々っちだね、月光の子たち、そこんとこよろしゅう!』
月光のメンバーたちはそれぞれ顔を見合わせ、相談を始める。
そんな中、担架に寝かされていた子どもの一人。
癖ッ毛、ショートヘアがトレードマークの、ミズグチ・カレンがゆっくりと瞼を開けた。
「……どういう状況?」
それを受け、セリは腕を組んだままセノ・タネコを瞳の光彩に映していた。
「セノが復活して……ミシマにつくんだとよ」
それに対し、ミズグチ・カレンはぼんやりとした表情で一言。
「あっ、そう」
「それだけかよ」
「……他にどうしろってのよ?」
暫くの沈黙の後、セリは続けた。
「……どうする?」
それに対し、カレンは自嘲気に笑った。
「おバカちゃんたちはどうせ、セノにつくんでしょ?」
「だろうな。セノが現れた途端、〝希望が見えた〟みたいなツラしてやがる」
「……そう」
「だから、どうする? セノにつくイコール、またバカみたいな大人どもの戦争に付き合わされるぜ?」
「主人が代わるだけでしょ。今までと変わらないわ」
「敵が善良である保証がどこにある?」
それを聞いたカレンは、暫く黙った。
その言葉の意味の成すところを理解していたからだ。
敵が善良で、健全であるなら誰もが喜んで武器を置いて、付き従うだろう。
しかし、敵が実際にそうであるかは分からない。分かるはずもない。
だから軍隊は——人間は武器を持つのだ。
カレンはそれを知り過ぎていた。
だから彼女は——現実逃避するような問いを口に吐いていた。
「それ、誰の言葉?」
「家訓……〝だった〟」
「だった?」
「今は私の言葉だ」
再び暫くの沈黙。その最中——ミシマの拡声器を通した、演説が始まった。
「アンタはどっち?」
カレンが聞いても、セリは答えなかった。
カレンは体を起こして、視線をセリに映す。
セリはカレンの視線に気が付かないまま、呆然とした表情でミシマの演説に聞き入っていた。
「バカみたい」
カレンは再び担架に寝転んで、目を瞑った。
数分後、主流派の怒号のような大歓声で、彼女は再び目を覚ますことになる。