第二話 殺意とそれから
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視点:三人称
タネコは気づけば、かつて自分が暮らしていた実家の中にいた。
しかしタネコは、それが幻想じみた偽りの空間であると瞬時に理解できた。
何故なら彼女は、自分自身でその家火をつけ、燃やしてしまったからだ。
「落ち着いているな」
唐突に、聞き覚えの無い声。振り返ると、そこには白人系の少年が立っていた。
ハンチングに、ベージュ色のシャツ、そしてオーバーオール。
タネコの目に、その少年の恰好は何処か時代遅れのような……とにかく、見た目からして、猛烈な違和感がぬぐえなかった。
「……誰?」
「それはあまり重要では無い。お前にとっても、私にとってもな」
タネコは会話の最中。祭壇のような場所で、今にも殺されそうな祖父の事を思い出していた。
「私——こんなことをしている場合じゃない!」
駆け出したタネコは実家の廊下を駆け、玄関に到達。すぐさまドアノブを捻るが——
「え……」
玄関を開けた先は、虚無の空間だった。
周囲を見渡すが、漆黒に佇むように存在するこの実家以外、確認できるものはない。
それを体感し、タネコは目を見開いて固まっていた。
「こんなことしている場合じゃないんじゃなかったか?」
「ここは……どこなの?」
タネコが尋ねると、少年はふっと笑った。
「習うより、慣れろだ」
少年はそう告げるなり、タネコの背中を蹴って、突き落とした。
漆黒の空間に投げ出されるタネコ。彼女は必死に何かに捕まろうとするが、当然のように下方へと落下する。
タネコは急速落下すると思ったが、実際は緩やかなスピードだった。
「精々、楽しんでいくといい」
少年は玄関から顔を出し、タネコを見下ろしながら言った。
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タネコは落下を重ねる中で、この空間が知識を習得する場なのだと知った。
それと同時に、タネコはこの空間が階層構造を成していることを知った。
ループするように、自分の実家が虚無の空間に存在し、タネコが落下をしながら横を過ぎていく。
落下を重ねるたび、脳内に知識が蓄積されていくのだ。
その中で、タネコは教わったこともない宇宙のことや、〝エンケラドス〟という兵器の使用法について学ぶことが出来た。
現在は七階層。タネコは知識が自動的にインストールされていく状況の中、それに爽快感を感じていた。
しかし、彼女はその自由落下に待ったをかける。
深層領域によって更なる知能向上をもたらした彼女にとっても、祖父の存在が第一だったからだ。
タネコは八階層に差し掛かった時。彼女は虚無の空間を泳ぐようにして。八階層目に浮かぶ実家の屋根に降り立った。
二階のベランダにジャンプし、窓を割って中に入る。
一階に降りてダイニングに入ると、一階層でも出会った少年がコーヒーカップを片手に、本を読んでいた。
「ここからどうやったら出られるの?」
タネコが尋ねると、少年は笑った。
「出たところでどうする? いきり立った馬鹿どもを相手に、無力なお前に何ができるというんだ?」
「エンケラドスを使う」
タネコが答えると、少年は眉をピクリと動かした。
「ほう? 詳しく話してみろ」
「私が無理やり親族たちに押し込められたのはエンケラドス。と、いうことはコレを稼働させればおじいちゃんを助けられる」
タネコの言葉に、少年はカップを置きながら楽しそうにクックと笑った。
「連中にとっては皮肉だな。永遠の命を求めて行動を起こし、それによってそれらが失われる要因になるとは」
「……永遠の命。親族たちの会話によく登場して、気になっていた。恐らく、その永遠というのは……この空間を指すのよね?」
「ご名答。まあ、実態はそれとは程遠いがな。〝永遠の牢獄〟に改名してもいいと思っている」
「ところで……アナタは一体、何者なの?」
タネコの問いに、少年は肩肘をついて楽しそうに彼女を見ていた。
「こんなことをしている場合じゃ合じゃ——」
「無いわね。出かたを教えて」
タネコがにらみつけるように言うと、少年は笑った。
「この空間では、全てが自分の意思によって反映される」
「……つまり?」
「この空間から脱する。それをもたらすのは自分の意思一つで可能だ」
「私は出ようとしているのに——」
「出来ていない。それは、お前が自分自身で拒んでいるから、他ならない」
タネコは胸元を握りしめていた。
「……私は、おじいちゃんが大事」
その遺志に偽りは無い。だが、どう頑張ってみても。
この空間から脱せられる知識は得られなかった。
「お前のような人間にとって、世界は残酷すぎる」
タネコが顔を上げると、少年は諭すような表情を浮かべていた。
「どうして戻る必要がある?」
「私は——」
元の世界に戻る理由を考えた瞬間。
不安や恐れにまぎれ、タネコの心に少しばかり、復讐心のようなモノが芽生えた瞬間だった。
その途端、タネコの脳内にこの世界から脱する方法がインストールされていた。
「さあいけ」
少年はそうなることを読んでいたかのように、笑みを浮かべていた。
「教会のエンケラドスが起動するのは歴史上初めてのことだ。馬鹿どもはその事実に騒ぎたてるだろうな」
タネコの意識が遠のいていく。それは、この空間からタネコが離脱しつつある証明に思えた。
「つらかったら、戻ってこい。その時は一緒にコーヒーでも飲もう」
その言葉を最後に、タネコの意識は深層領域から切り離された。
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タネコは覚醒するなり、現状を冷静に把握していた。
眼前に広がるのは、モニター越しの薄暗い空間。
深層領域の没入時間は一律五秒。まだ親族たちは祖父に向かって行く途中だった。
この人型兵器の使用方法はシンプルだ。念じればいい。その通りに動く。
タネコはエンケラドスを利用し、その場で立ち上がった。
親族の一人が立ち上がったエンケラドスを見て驚愕した表情を浮かべていた。
「も——」
全てを言い終わらせなかった。
タネコは拳をハンマーのように叩きつけて、親族の一人を潰したのだ。
鈍い音とともに、辺りに血潮が飛ぶ。
「アハッ」
タネコは思わず笑いを漏らしていた。彼女にとって、大人は大きな体の、絶対的な存在だった。
だから、目立って逆らうことは無かったのだ。しかし、この兵器を使えば。
「ビーコン」
タネコはエンケラドスの〝呪文〟を使って、隠れ機能を行使。
即座に周囲の生体反応を確認した。敵はあと七つ。つまり、
「あと七ツ」
親族たちが恐慌状態に陥っていた。逃げまどう姿を見ながら、タネコはいつの間にか垂れていた鼻血をぬぐっていた。
「——だけかッ!」
タネコのエンケラドスが狭い空間で飛翔する。
みっともなく小水を漏らす親族たちの逃げ場は、最早どこにも無かった。
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死屍累々の状況の中、タネコは勝利していた。狭い空間でエンケラドスは跳ねまわり、殺戮の限りを尽くした。
時には遊び、時にはからかい、時には慈悲を見せたりもした。
結局残ったのは、バラバラの残滓だけだ。それを恍惚とした表情で受け止めていたタネコは、八ッと我に返っていた。
「おじいちゃん!」
コックピットから飛び出た彼女は真っ先に祖父の元へと走り寄った。
祖父は最後に声を張り上げてから、限界を迎えたのか倒れていたのだ。
祖父はタネコに抱き寄せられると、潤いを失った瞳を開けた。
「タネコ……」
「おじいちゃん! 直ぐに救急車を——」
「タネコ、聞け」
祖父は呆然とした様子で、周囲の飛散した残滓を眺めていた。
そして——。
「お前を愛してくれる……家族の元で——」
「それはおじいちゃんだけだよ! だからおじいちゃん、死なないで!」
「きっと……」
祖父はだらんと腕を垂らした。
タネコは叫んだ。喉が張り裂けそうなくらいに。
遅れて施設で異常を感知した信者が駆けつけ、悲鳴を上げる。
地下の薄暗いに空間に少女の絶望と、その血生臭い残滓がこだましていた。
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タネコはその後、ゾルクセス教団によって拘束された。
しかし、罪に問われることはなかった。教団が事情を理解したのと、タネコが〝史上初めての事態〟を引き起こしたのが要因だった。
教団施設に据え置かれたエンケラドスは、唯一神であるモルガンから、信者の子どもに深層領域を体感させ、人格を引き渡される為だけに存在する。
本来は、動かそうにも、動かせるはずがない。しかしそれが許されたといいうことは——唯一神であるモルガンがそれを許したのだ。
モルガンを神と崇める教団が、モルガンに許されたタネコを咎めるわけにはいかなかった。
免罪されたタネコは、その後、〝教団付き〟という特殊な立場を与えられた。
教団付きとは、ゾルクセスで最も影響力のある三大家系、ベツガイ家、キリシマ家、カムラ家にも勝るとも劣らない、教団本部お抱えの立場だ。
実際は三大家系の方が教団本部よりも力を保持しているのだが、タネコがモルガンから許された存在であるという事実は周知され、誰も彼女に危害を加えようとするモノはいなかった。
しかし、逆に言えば。彼女に近づくモノもいなかった。
その理由は、彼女が地下室で行った行為だ。自分に危害を加えた大人をエンケラドスを使用して全員細切れにした。
その事が影響し、教団の人間の殆ど全員が、彼女に恐れを抱いていたのだ。
しかし、邪険にするわけにもいかない。教団は、半ば腫れ物のようにタネコを扱った。
それがタネコを更に歪めさせる要因に至った。
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タネコは祖父の遺言通り、自分を愛してくれる家族を見つけることにした。
と、言っても、教団の殆どの大人はタネコに恐れを抱いている。再び通えることになった学校にいるのは愛されて育ったぬるま湯の一般人。自分を理解してくれるはずもない。
タネコが目をつけたのは、イマイチタネコの状況を理解していない、子どもの信者たちだった。
タネコは信者たちの目を盗んで、度々エンケラドスに乗り込み、深層領域を体感していた。
その目的は、深層領域に不随する領域。〝記憶の牢獄〟を体感することだった。
深層領域には主に三つの領域が存在する。
個人によって感覚に差異がある学習機能を行う領域、深層領域と、
深層領域で暮らす人々が、自身らの想像力で作り上げた領域で暮らす楽園領域。
深層領域を体感した各個人の記憶が浮かぶ記憶牢獄の、三つだ。
タネコは記憶牢獄を使って、自分と同じ条件の子供を探していた。
理由は単純。自分と同じ境遇なら、お互いに理解し合えるし、洗脳しやすいからだ。
タネコは祖父の遺言を曲解し、お手軽に、人工的に家族を作ろうとしていたのだった。
その中でタネコは条件に合致した存在を偶然見つけた。
それは、三大家系のベツガイ家の長女、ベツガイ・サキだった。
彼女も自分と同様虐げられて育ち、そして優秀な兄弟に感じる劣等感を秘めていた。
彼女は三大家系の立場上、周りには常に人がいたが。誰も信用しておらず、孤独感を募らせていた。
条件に合った彼女を発見した時、タネコは歓喜していた。やっと自分に家族が出来る。
タネコは慎重にことを運ぶ為、色々と計画を練ったが。
それと同時に、教団の隠された目的を知ることとなる。
「もうすぐ、もうすぐだ! 審判の日がくだり、我々は神に試されることになる!」
教団本部。ある日の集会で、ベツガイ家の人間がそう口にしていた。
ゾルクセスの目的は、いずれやってくる宇宙人の脅威を退けるため、軍を利用して子どもの戦士を作り上げることだった。
その目的を知ったタネコは歯がゆい思いだった。今すぐに家族が欲しいのに、教団は戦士候補生を育成することに躍起になっている。
「もうじき戦士は選出される! 各信者たちは戦士の身、体調、周辺に特段気をかけるように!」
タネコは聞きながら、とあることを思いついて、下唇をペロリと舐めていた。
そうだ、どうせならこの状況を利用しない手はない。
タネコは集会後、教団本部の事務局に顔を出した。
「私も戦士に立候補したいのですが」
事務局は驚いていた。後見人のいないタネコは、戦士として送り出す立場の存在がいない。
そもそも、ゾルクセスの得られる永遠の命は、それを輩出した正当な血を引く一族の功績となる。つまり、身元不明のタネコの後見人となって、旨味があるものはいないのだ。
事務局は暫く頭を悩ませていたが、事務局長はその話を聞いていて大層感激し、タネコを呼び出した。
「私は戦士となる家族がいないが、我が父であり、母でもある主を尊崇している。唯一主に許されたアナタが戦士となれば、主も喜ぶでしょう」
事務局長はそう口にしてタネコの後見人となり、彼女を戦士とした。
これにはその他の信者も驚いていた。しかし、タネコを咎められるモノはいなかった。
何故なら、そのタネコ自身がモルガンに許されているのだから。
手続きはスムーズに進み、タネコは戦士候補生となった。
そのあとには厳しい教育が待ち受けていたが、元から頭の出来の良いタネコにとっては些末なモノであった。