第五話 全てが始まっていく
△1985/7/30 火
視点:タガキ・フミヤ
現在は……何時だろうか?
湿度の高さからむわっとした、漆黒に包まれた室内。俺はソファに寝転がった状態だった。
脱水気味なのか、ガンガンと痛む重い頭を無理やり上げ、ようやっとの思いでソファに座った。
手探りで机上へと向かって進んでいく。ふと、手に何か触れた。ガスランタンだ。
俺はこれ幸い、と手にもって、つまみを捻る。
直ぐに明かりが灯って、整然とした執務室内が視界に広がった。
「そうだったな……」
一人、呟いていた。
俺は本日、演説終えてから、そのまま講堂で主流派幹部級と対面した。
全員が四・五十代くらいだろうか?
おかしい、資料で見た幹部の顔ぶれと違うし若すぎる、という印象の他には、かなり冷静であるということが見て取れた。
何故なら、
『馬鹿な兵士たちを騙せても俺たちは騙せませんよ?』と、面と向かって言われたのだ。
他にも、『ナスタディア合衆国の手先のくせに』とか、『てめえが言っているのは、ただのナスタディアに代わった代理戦争だろうが』とか、散々な言われだった。
俺はそれから苦笑交じりに幹部級たちに説明した。
これから起こる戦争のカラクリと、俺たち〝真の黒亜人〟が目指すべき場所を。
質疑応答を交えた会議は五時間に及び、俺の喉がカラカラになったころ。
『ちょっと待て……ふむ。これは、面白そうだな』
幹部級の連中は揃って、口々にそんなことを言い始めた。
しまいには、『どうせ俺たちはいずれ反乱の罪を着せられた戦犯となって投獄される。それならいっそのこと、一旗あげるのも悪くはない』なんてことを言い出す始末だ。
やはりと言うか、黒亜軍の過激派どもは穏健派と比べ、肝が据わっているように感じた。
そんなこんなで、まとまったとのか、まとまっていないのかよく分からん会議は終了。
俺が水分補給をしようと退室しようとすると、
『ミシマ将軍』
将軍なんて末尾をつけくわえられ、驚いて振り返ると。
『我々でごちゃごちゃになった部隊を再編しておきます』
そんな殊勝な申し出があり、苦笑しながらその場から去ったというわけだ。
俺はその後、フジイの案内で司令室へと案内された。
『直ぐに片づけさせます』
司令室からは初老の軍服を着た男が、兵士たちの手によって、担架で運び出されていた。
頭には銃創があった。思わずフジイを見れば。
『ああ、この方はこの基地の司令官です。穏健派に負けたと聞いて、責任をとって自害されました。他にも、数十人の顔役が自害したと聞いています』
△
執務机で主流派幹部から渡された部隊の再編制のリストを見ていると、
「すみません、ミシマ大尉?」
ノックと共に、女の声がした。
声音からして、誰かは察しがついた。
「入れ」
部屋に入ってきたのはアマンダだった。
服装は黒亜軍の軍服姿。軍帽を目深に被り、穏健派を現す赤いテープを腕に巻いていた。
眼鏡は無い。フキザワ島に居たころから、彼女の眼鏡は度が入っていないのでは、と思っていた。
おそらく、諜報員お得意の印象付けの為のトレードマークだったのだろう。
「穏健派に交じって、ようやっと基地入りできましたよ。それにしても、色々性急に動きすぎです」
汗をぬぐいながらそう話す彼女。
俺はそんな彼女を見て、ふっと笑っていた。
「合衆国はどんな様子だ?」
尋ねてみると、アマンダは額から汗を流しながら、
「正直、困惑しています。ミシマ大尉がこんなに性急にコトを動かすとは思っていませんでしたから」
「ほう。何かまずいのか?」
アマンダは呆れたようにため息を吐いた。
「穏健派はかなり動揺し、浮足立っています。アナタは穏健派の方針とは全く異なる演説を披露したではないですか」
「だろうな」
「だろうなって……穏健派は大尉の最大の兵力だったんですよ?」
「今は主流派がいる」
「……正直、首都決戦後から、主流派は現在も纏まりを欠いています。正常な軍機能があるとは思えず、それに良識的とは思えません」
良識的、か。何をもっての良識的かは分からない。
だが、合衆国的な規範による価値観なのは透けて見えた。
「ほう」
「なにより、彼ら主流派は反グローバリストの集まりです」
まあ、そうだな。反グローバリスト。「国際関係なんか知らん、俺たちの国家が第一だ!」 という、主義の総称だ。
その顕著たるナスタディア人にそう言われるくらいだから、それは確かだろう。
ナスタディアの連中は、同族をこれでもかというくらい恐れている。
主流派のような存在は厄介だろうな。
「それと、彼らが公けに動けないナスタディアに代わっての世界戦規模の代理戦争をすることを許容するとは思えません」
俺が思わず笑っていると、アマンダが眉を潜めた。
「……大尉?」
「いずれはこうなっていた」
「え?」
「世界戦を行う上で、穏健派は必ず足かせとなる。俺の思い描く戦争をするには、主流派が一番に働くだろう」
俺は立ち上がって、アマンダの横を通り過ぎて窓へと近づいた。
外を見れば、基地内どころか、町すらも真っ暗だった。
これは、月光のエルフライドが慌てて帰還してきたため起こった影響だそうだ。
基地内のライフラインは手動で動かせるボイラー施設以外、全滅。
恐らく、基地周辺の住居も同じだろう。
先日の首都決戦が行われてから、基地周辺、十キロ圏内に居を構える住民たちは主流派を恐れ、何処かへと避難をしているそうだ。
窓を開ける。相も変わらず、湿度に満ちた空気は不快感を増幅させる。
「主流派をまとめあげられるんですか?」
基地内の明かりは一つも存在していない。
月明かりで数人の歩哨が基地内を歩き回っているのが見えた。
軍人は明かりを必要としない生物だ。タバコの明かりですらスナイパーに狙われる原因となるからだ。
「幹部級は既に俺側につくと表明したぞ」
俺が階下を見下ろしながら言うと、アマンダは俺の横に並んだ。
「まだ足りません。彼らが裏切らないという保証が必要です」
「保証、保証だと?」
俺は思わず吹き出した。
アマンダを視界に入れると、彼女は緊張したように俺を見据えていた。
「世界を絶望に陥れた宇宙勢力を恐れず、徹底抗戦を表明した主流派二千五百人。彼らは、更には首都を一時占領し、命を懸けて戦った」
俺はアマンダへと詰め寄る。アマンダは気圧されたのか、一歩、後ずさった。
「そんな集団に対して……必要なのものは、何だと思う?」
俺が力強くそう問うと、アマンダは汗を流しながら、
「そういえば……主流派が裏でゾルクセスという宗教団体に所属する人々を虐殺していたという疑いがかけられています」
話題を変えてきたか。俺はつまらなさを覚えながら、執務机へと戻った。
「だったらなんだ?」
「大尉……虐殺は事実です。主流派はまともとは思えません。彼らは世界戦となれば、必ず同じことをします」
虐殺か。それが本当かどうかは分からない。
被害を受けたゾルクセスが大げさに騒いでいるだけかもしれないし、主流派を仲間に加えさせまいとするナスタディアの方便である可能性もある。
だが――
「四千万人だ」
俺の唐突に切り出した数字に、アマンダは呆気にとられていた。
「……あの、どういう?」
「四千万人殺せば、これから生まれてくる人類、数百億人。その人々に安寧が訪れ、一切、未来で起こりうる戦争や飢餓がなくなるとしたら、お前はどうする?」
アマンダは信じられない、といった表情を浮かべたあと、真顔に戻った。
「それは――あまりにも突拍子もない質問です」
ふむ、良い答えだ。
俺が黙って書類整理を始めると、ふう、と息を吐いたアマンダが一歩近づいてきた。
彼女は懐から紙を取り出すと、それを俺に差し出してきた。
「……最重要機密文書です。読んだあとは、早急に処分しなければならない逸品です」
「ほう」
読んでみれば、驚くべきことにナスタディアの大統領が正式に署名したであろう、公文書だった。
しかもその内容は、ミシマ・アサヒを筆頭にした独立軍が世界戦に挑む場合、グイアナ島を本拠地として活動することを黙認するという内容だった。
「ふっ、グイアナか」
「ええ。因みにこの署名は一般公開もされていません。議会は大荒れでしたが、我が国の大統領は、本気でアナタたちに世界統一戦を託そうとしています」
グイアナは確か……太平洋のど真ん中に位置する島だ。
近辺に出現した宇宙船の電磁波の影響で、島内のインフラ及びナスタディア海軍は大打撃を受け、島内全域にわたる避難勧告が出され、ナスタディア本国に脱出を果たした。その島民は現在も
世界が宇宙船の存在と電磁波の及ぼす軍事的脅威を知るきっかけとなった。
「インフラはどうする?」
俺が聞くと、アマンダは無表情のまま、
「元、ナスタディア軍の基地は完全復旧及び、電磁波対策は施してあります。そのまま使用できるでしょう。住宅地域も広範囲で、復旧は完了しています」
「グイアナの返還期日は?」
これは一番に聞いておかなければならない。ナスタディアの大統領は気移りが激しいので有名だ。
いきなり返せと言われたら、かなり面倒なことになる。
そこでアマンダは、打って変わって意味深な笑みを浮かべた。
「我々ナスタディアは、哀れにもミシマ・アサヒを筆頭にした皇国軍にグイアナ島を占拠された立場ですから」
ほう……あくまで、そういうシナリオか。
と、いうことは俺たちがグイアナを占拠した段階で、ナスタディア大統領からは「勝手にわーくにの島を占拠しおって!」と言われることになるのだろう。
つまりは、ナスタディアは一切、関与してませんというアピールをすることに躍起になる。
ナスタディア世論からは好印象だった俺への感情も、反ミシマへと置き換わるだろうな。
しかし、グイアナはかなり遠くに位置している。移動にはかなり骨が折れるな。というか不可能ではないか?
海軍はおろか、主要船舶すら乏しい黒亜軍で、数千名の兵士を太平洋の真ん中まで輸送することなんざ、現状では無理ゲーである。
それこそ、ナスタディアの力を借りなければならない。
そう思っていると――
「タガキ・フミヤ」
いつの間にか、サラ・スワンティがアマンダの隣に出現していた。
サラは深層領域の住人。つまり、深層領域を体感したことのある人間にしか見えない。
俺はアマンダに気付かれないように、表情を変えないことを努めて、黙って書類を読むフリをする。
「兵士を輸送するためのタンカーならある。商魂たくましいSARの海洋企業から、数百億で借り入れた。何、心配するな。金はゾルクセスの隠し財産が腐るほどある」
……タンカーか。それならいけるかもしれない。
そんなことを思っていると、アマンダが話を続けた。
「大尉。移動方法なら任せてください。ナスタディア海軍の船舶を秘密裏に運用し、兵士をグイアナまで送り届けます」
ほう? それならそもそもタンカーは必要いらないか?
そう思っていると、サラが口を挟んできた。
「話に乗るな」
思わず、サラへと視線を向けそうになった。
「ナスタディア軍の一部で、不穏な動きが存在する。恐らく、話に乗れば移動中にグイアナ占拠の事情を知らない、不当に思ったナスタディア勢力から、主流派部隊を壊滅させられる可能性が高い」
……ナスタディア軍はそんなに俺たちを嫌っているのか?
「あくまで、ナスタディア政府と、一部の軍の高官だけが知り得ているお前とナスタディアの秘密の協定だ。事情を知らない勢力は別の生き物だと思ったほうがいい。事情を知っていても、お前を危険視する輩は腐るほどいる。期待はするな」
……なるほどな。ナスタディアも一枚岩じゃないと思っていたが、そこまでか。
「……大尉?」
アマンダが固まる俺を見て、不思議そうにしていた。
俺は咳ばらいを一つ、
「折角だが、遠慮しておくよ」
「……は?」
「アテがあるんだ」
俺がそう口にすると、アマンダは表情を硬化させていた。
「アテ……ですか? 現在の黒亜軍じゃ、移動集団がありませんよね?」
「そこは魔法を使わせてもらう」
アマンダが怪訝そうな笑みを浮かべた。
「魔法、ですか? 何度か拝見させて頂きましたが……」
俺が黙って書類整理をする最中。サラは続けて、
「明日は私の配下を通じて、記者会見を段取りしてある。穏健派の戦勝記者会見という名目だが、お前は世界に対する宣戦布告を行え」
……どうやら、サラの言っていた「モルガンが勝手した分」のサポートとやらは、命令口調で行われるらしい。
ボキっと俺の手に持つ鉛筆の芯が折れた。
安心して、まともに寝られる日は暫く訪れないようだ。
いや、もうそんな日は一生来ないかもしれない。そう思いながら、俺は書類整理を続けた。




