第二話 演説
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視点:三人称視点
漆黒の空間。虚無に等しい、何の有機物も存在しない空間。
その中で、ワンポイントの髪留めをした一人の少女が無重力のように漂っていた。
「うっ……ここどこですか……サキ……みんな」
いくら口にしても、自身の仲間たちは現れなかった。
漆黒の空間で、啜り泣きだけが響く。
少女はただ、胎児のように膝を抱くしか方法は持ち合わせていなかった。
「ニャハハ」
「ひっ……」
不意に聞こえたそんな笑い声に、少女は小さな悲鳴を漏らす。
それは、その少女が最も恐れる声音だった。
「遊びに来たよ?」
目の前で突如出現し、浮遊を始めた軍服の少女。
それを見た少女は恐慌状態に陥った。
「お、おにいさん。助けて!」
「おにいさん……それ、誰のこと?」
続いて、少女の悲鳴が響く。
絶望を孕んだような、悲劇を表現するような。
助けは来ない。誰も来ない。
永久に響くような絶叫が、漆黒の空間にこだましていた。
△1985/7/30 火
視点:タガキ・フミヤ
吹き抜ける風。岸壁の上。時刻は八時くらいだろうか?
太陽は登って久しいほどに、頭上にて煌々と照っていた。
セノ・タネコが何処かへと歩いて去っていき、残されたのは俺と、幼い姿をした俺、そしてサラだけだ。
俺は倒れ伏し、寝息をたてる彼女らを抱き上げ、柔らかい草の上に寝かせてまわっていた。
「これからどうするつもりだ?」
不意に幼い俺に問われ、俺は唇をかみしめていた。
勝手な話だが、急に現実に引き戻された最悪な気分だった。
「予定は詰まってる。とりあえずは……主流派基地で演説だ」
「異なる思想の者たちをどう説得するつもりだ?」
「今なら理解できる」
俺はシトネの頬に触れながら言った。
「何を?」
「黒亜の……兵士たちが、何を求めているのかを」
そう口にすると、幼い俺は少しだけ笑みを浮かべた。
「月光に——イガ・テッカという少女がいる」
「イガ?」
「アブラヤ・セリと入れ替わっている者だ。奴は現在、アブラヤ・セリを完璧に演じる為に記憶改変をされている。良いタイミングで彼女の記憶を戻しておいてやる。今後、お前を一番に助ける存在となるだろう」
「……意味が分からないんだが?」
「詳しいことはタガキ・タケミチから聞け。演説が成功すれば再び出会うチャンスはあるだろう」
「……叔父さんは、本当にシトネの父親なのか?」
「ああ。シトネはお前の従妹だ」
俺は再びシトネを視界に入れていた。
彼女は穏やかな表情で、キノトイと並んですぴすぴと寝息を立てている。
「人格改変は身体のショックが大きい。三日は起きないかもしれない。今の内に合衆国人に回収してもらっておけ。彼女らには次の戦いもある」
「いや——」
俺は振り返り、幼い俺を視界に入れていた。
「シトネ達は……電光はもう戦わせない」
その言葉に、幼い俺は目を見開いていた。
そして、直ぐに神妙な表情へと戻る。
「電光は今後の戦いで大きな戦力となる。要と言ってもいい」
「その通りだ。特にシトネは十一階層。セノ・タネコに対抗できうる唯一の存在だ」
サラもそこで幼い俺に参戦してきた。
どうやら二人は俺の案に反対らしい。だが——
「俺はもう、彼女らを戦場に送れない」
その言葉に、サラは失望したように目を細めた。
「電光はダメで、月光のこどもたちはいいのか?」
まあ、そうなるよな。
だが——
「そんなことを言えば他の兵士たちも一緒だ。俺の命令で何人も死ぬんだ。だけど——それでも俺は彼女らにもう戦ってほしくない。安全な場所で、平和ボケしたまま死んでほしい」
俺の本心に、二人は暫く黙っていた。
やがてサラは諦めたように大きなため息を吐いた。
「だったら、なおさらセノ・タネコには気をつけろ」
「……どうしてだ。これから彼女は俺の味方になるんだろう?」
「奴を今まで出会ったパイロットと同列視するな。それに——」
ドンッ。胸に衝撃。
実体が無いと思っていたサラが、俺の胸に拳を叩きこんだ。
「モルガンが初めて本格的に依り代とした存在だ。得体が知れん」
「……モルガンは何を考えているんだ?」
「分からん。だが、信用はするな。奴は協定も破棄した」
「お前らは……俺の手助けをしてくれるのか?」
聞くと、サラは不機嫌そうに鼻をならした。
「あくまで今までモルガンが勝手をした分の補填……サポートの範疇だ」
「サポートって……どの程度だよ?」
「世界を救う為に悪魔となると宣言したお前が、甘えたことを言うな。とにかくお前は自分のすべきことをしておけ」
「なあ、頼みがある」
俺が二人の目を見ながら言うと、察したように幼い俺がため息を吐いた。
「……電光のパイロットたちが安全に住める場所を見繕っておこう」
流石俺だ。素直にそう思った。
「……ありがとう」
そこまで話した時だった。
森の方向から——ザッザッという草をかきわけるような複数の足音がした。
俺が目を向けると、そこには合衆国の軍服を着た数人の兵士が、ライフルを携えながらやってきていた。
そして、先頭には合衆国のエースパイロットである黒人少女、ミアの姿もある。
「……何事です?」
倒れた彼女らを見て、そう口にする兵士たち。
俺が再びサラや幼い俺へと視線を移そうとすると。
二人は、音もなく。いつの間にかその存在を消していた。
△1985/7/30 火
視点:タガキ・フミヤ
その後、俺は合衆国のミア率いる兵士たちとともに、フキザワ島にひっそりと居を構える合衆国基地へと赴いていた。
基地には先にセノ・タネコが帰還していた。
複数人の女性職人に幼子のように抱きつき、ニャハハと朝食のようなものを食べさせてもらっていた。
女性職人たちも無邪気なセノ・タネコを可愛く思ったのか、困惑しつつも甘やかしていた。
「大尉……一体何が起こってるんです?」
唐突に回復したセノ・タネコと、担架で運び込まれる電光のパイロットたちを見ながら、情報局の職員であるザックが、そう問うてきた。
「月光の戦いで損耗したんだろう。しばらくは……休ませるつもりだ」
「……セノ・タネコが急に回復したのには驚きましたよ。ところで——」
ザックの鋭い視線は、無表情を貫く合衆国のミアへと向けられていた。
「知らぬ間に随分仲良くなられたみたいですな」
……合衆国のミアは、モルガンではなく、サラ・スワンティの指示で動いていた。
つまりは眷属みたいな立ち位置らしい。俺を電光のパイロットまで導く役を担ってくれた。
しかし、合衆国からすれば、勝手な命令違反を犯し、ミシマという他国の軍人を手助けしたことになる。
「彼女には随分助けられたよ」
「そのようですな」
「……処分は勘弁してやってくれんか?」
俺がそう口にすると、ザックはふっと笑った。
「それはこちらが決めることです、大尉どの」
「それは分かっている」
強い視線の交錯。ザックは不意にため息を吐いた。
「口添えはするつもりです」
「ありがたい」
「ただ——」
ザックは俺の横に並ぶと、ポンと肩に手を置いてきた。
「この件は大分骨が折れると思います。なんせ、彼女は合衆国エルフライド部隊の規律を乱したのですから」
「そうだろうな」
「大尉も他人事ではありません。彼女をそそのかせたと思われても仕方ありませんから」
「ああ」
「これから大尉も、合衆国に対して、信用できる人間だと言う証明を強めてもらうしかありません」
証明——証明、か。
俺が部隊を創設したなら、なんとしてでも手綱を握っておきたいと言う意味だろうな。
なんにでも条件をつけ、利を得ようとする。
これが合衆国の人間——いや、国家主義者という存在だ。
人類主義者の俺からすれば、コイツらは全員——排除すべき相手だ。
「ああ、もちろんだ」
返事をしながら、俺はそんな心情を浮かべていた。
△1985/7/30 火
視点:タガキ・フミヤ
その後、赴いた会議室で俺が発した言葉。
それを受け、合衆国の連中は度肝を抜かれていた。
「アマンダから聞かされていましたが——まさか本当に主流派も抱き込むつもりですか?」
俺のプラン。主流派も穏健派も巻き込み、世界に喧嘩を売る計画。
しかし、合衆国も当初は、俺が穏健派だけを巻き込んだ方策をとると思っていたようだ。
「穏健派は多く見積もっても五百程度しかいない」
俺の言葉に、ザックは眉根を寄せていた。
「……エルフライド部隊を運用する地上班としては十分では?」
「それだと被害を受けた時。補充が利かなくなる。何より——」
俺は呆けた顔を浮かべるザックを強い視線で見据えていた。
「主流派は黒亜の最高戦力。みすみす手放しは出来ない」
「バカげている」
ザックはそう口にした後、腰に手をやって、諦めたように息を吐いていた。
「としか言いようが無いですが……数々の奇跡を起こしたアナタが言う事だ」
ザックは机に手をつきながら言った。
「今度は我々に何を見せてくれるんですか?」
それを聞いた俺は、立ち上がっていた。
「パラシュート以外、無装備のエルフライドを一台……セノに準備をさせてくれ」
「もう出発されるんで?」
「ああ」
俺はエルフライド格納庫へと歩き出しながら——
「これからは……新たな時代の始まりだ。お前らは目撃者となる」
「もちろん、特等席で見せてもらいますとも」
「もう、この基地に寄ることはない。演説終了後、調整要員を一人寄越してくれ。角が立たないように東亜系が望ましい」
「それについては、カイハナにアマンダを一人で向かわせます——しかし」
「なんだ?」
「もう基地に寄らない? 電光のパイロットたちは?」
天井を仰いだ。分厚いであろうコンクリートに据え付けられた白色電球が俺を照らしていた。それだけだった。
「彼女らは民宿に寝かしておいてくれ。手出しは無用だ」
彼女ら……電光のパイロットたちには、幼い俺にお願いして安全に住める場所を提供してもらう確約になっている。
後は彼女らの保護者についてだが……俺にとっては一人しか、適任というか、心当たりがいない。
脳裏に浮かぶのは、凛々しい顔を浮かべた彼女の横顔。そして、そんな彼女を思い続けた一人の男の姿。
俺はポケットから、遺品のリングを取り出す。そこにはY・Sのイニシャルが、器用に掘られていた。
ザックは俺のそんな挙動に呆気にとられながらも、質問を続けた。
「……手出し無用? どういうことです?」
「迎えを寄越す。お前らは安心してフキザワ島を撤退してくれていい」
「……一体何を考えておられるんです?」
「演説が成功したら——分かるだろうさ」
演説の内容を聞けば、合衆国人にも理解できるであろう。
これは黒亜軍人——いや、真の黒亜人が何を望むかの臨床実験になり得る。
それを受けて合衆国は動かざるを得なくなるだろう。
そして始まるのだ——欺瞞と虚栄に満ちたこの世界の、破壊と再生が。
△1985/7/30 火
視点:タガキ・フミヤ
高度上空。移動中、少しだけ仮眠がとれたのは幸いという他無い。
エルフライドの棺桶で移動するのは四度目だったが、最早手慣れたような気分だった。
と言っても、俺は腹の中でおとなしくしているだけだがな。
しかし、それにしてもセノ・タネコのエルフライド操作は見事なものだった。
キノトイの腹や合衆国部隊の腹にコバンザメしたときよりも、確かな安定感があった。
例えるなら、ベテランドライバーの車に同乗して、スムーズなブレーキングに関心するようなものだ。
カンバシ・ミゾレという規格外を差し置いて、エースを張っていただけはあるな。
そんなことを思っている内に、エルフライドの着地を知らせるように棺桶が揺れた。
それから数分。外部から、ロックシステムを解錠する音。
外に出ると、調整していた穏健派の壮年幹部が無事到着していたようで、徐に拡声器を差し出してきた。
「気が利くな」
辺りを見回し、最初に感じた感想は壮観、だった。
派閥が違うだけで、ここまで兵士たちの毛色が違うものか。
手負いの獣の集団。殺気立った主流派の兵士たち。
逃げ場の無いよう、周囲一帯を囲み、こちらを睨みつけていた。
俺は演説に手ごろな高台が無いか探してみる。
すると俺たちを囲む兵士たちの一角——そこで、眉をひそめながら腕を組み、仁王立ちで俺と捉える少女と目があった。
確か彼女はアブラヤ・セリとかいう少女だったな。
電光ではコードネーム赤線と呼ばれ、荒々しさと繊細さを併せ持つ最重要敵機として、警戒していた。
彼女は電光パイロットたちの証言では、月光の準リーダーのように振舞っていたと言っていたが……。
おっと、そんなことを考えている場合じゃないな。
俺は、エルフライドのコックピット内で沈黙を保っているセノ・タネコに話しかけていた。
「出てきていいぞ」
すると、エルフライドのコックピットがガシュッと解放され、セノ・タネコはそこからぴょこっと姿を現した。
「ニャハハッ! 完・全・復・活!」
……ド派手な登場だな。
セノはまるで、戦隊ヒーローのようなポーズをとりながら、更に続けた。
「セノ・タネコ、見参!」
……もう何も言うまい。
とにかく、俺は彼女に拡声器を手渡してやり、月光に向けての言葉を促した。
セノ・タネコは流石というか、直ぐに意図を理解し、主に月光の子どもたちへと向けて言葉を吐いた。
『私はミシマ大尉につくことにしたのだ! 久々っちだね、月光の子たち、そこんとこよろしゅう!』
セノ・タネコはそうとだけ口にすると、俺に拡声器を渡してきた。
その際、彼女はパチッと星が出そうなウィンクを俺に向けてきた。
俺は苦笑つつも、拡声器を持ちあげる。
——これで月光のパイロットたちは一向の余地が出来るであろう。
今から俺が吐く言葉。それは、呪いの言葉だ。
この世のありとあらゆる国家主義者を殲滅するため、最も〝強固な国家主義者〟たちを作り出す。
それが呪い以外の何で表現できるというのだ。
『我々は——』




